校正がどんどん酷くなっているのではないのか―読書月記9

10年ぐらい前からだろうか、書籍の校正ミスが増えてきた気がしている。9月に読了した本でも、例えば、フェルマーの最終定理が証明されたのは「1944年」、チェルノブイリ原発事故は「一九六八年」、北條民雄の『命の初夜』といったミスがあった。前の二つは正しくは「1994年」、「一九八六年」。よくありがちな、単なるケアレスミスとも言えるが、『命の初夜』は確認をしていないことは明らかに怠慢だ。そして、さらに問題なのは、この3点の本を出した出版社は、いずれも際物など出さない、単なる儲け主義ではない出版社だ。

校正ミスが増えてきた理由にはいくつか理由が考えられる。単純に言えば、校正力の低下だ。書籍の校正は、著者と編集者だけが行う場合とその二人に加えて校正の専門家にも依頼するケースがある。長引く出版不況のあおりを受けたコスト削減のなかで、校正にかける費用が少なくなってきている可能性は高く、そうなると著者と編集者だけで行う場合が増えているのかもしれない。また、以前は校正の専門家に依頼しない場合、担当編集者以外が協力していたことがあったかもしれないが、人員も削減されればそれも不可能だ。また、校正の専門家の能力の低下、校正者そのものの不足、校正にかける時間の短さなども考えられる。こちらも出版不況とは無縁ではあるまい。私は20年以上も前に某出版社の単行本の校正をしたことがあるが、その頃から単価は低く、納期もそれなりに厳しかった。現在の出版状況で、その頃より物価上昇分以上に単価が上がり、納期が緩やかになったなんてことはあり得ず、納期の厳しさは確実に増しているだろう。個人で校正を請け負っている場合、単価が下がれば、請け負う仕事量を増やすしかなく、さらに納期が厳しくなれば、それぞれの仕事に対してチェックが甘くなるのは当然だ。

また、著者からデータを貰って入力することが増えていることも要因かもしれない。ワープロ原稿の場合、原稿を書いた当人の校正が甘くなりがちなのは、誰しもが経験しているだろう。その上で、校正の専門家はなし、仕事量も増えている編集者が一人だけで校正をすれば結果はおのずから明らかだ。

厳しく言えば、校正ミスがある書籍は欠陥商品である。もちろん「てにをは」や句読点の入れ違いなど、許せるものは少なくない。しかし、事実関係が間違っていて、読者が間違ったことを記憶したままでいれば、何らかの損害を受ける場合もある。個人で確認をすればいいのかもしれないが、実際には本全体の知識を全て読者が確認しながら読む、といったことは現実的ではない。書物内に書かれた事実のある程度の部分はチェックされていますよ、というのが書籍に支払われる対価のなかの一部なのだ。それはエンターテインメントであっても、無視しては困ることだ(例えば、第二次世界大戦の戦勝国はどこか、といった極めて一般的な知識を意図的に間違えて書いた場合に理解できないのは読者の側の問題だと思うが)。

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