ポーランドのレジスタンス活動に関する極めて優れた記録文学『私はホロコーストを見た― 黙殺された世紀の証言1939-43』上・下(ヤン・カルスキ/白水社)

本書の著者ヤン・カルスキは、本名ヤン・コジェレフスキ。一度は外交官となるが、間もなく第二次大戦が勃発する。祖国ポーランドはドイツとソ連に分割されたこともあって、レジスタンスに関わる。並外れた語学力と記憶力を武器に、地下活動を続けるポーランド秘密国家に仕え、第二次世界大戦中、在ワルシャワ亡命政府の政治密使としてポーランドを脱出し、イギリスのイーデン外相、アメリカのルーズヴェルト大統領らに状況を直接伝えている。本書では、このことも含め、レジスタンス活動の具体的な内容を自身の体験をもとに描くとともに、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人から依頼された絶滅収容所の実態と救援を求める声も丁寧に書かれている。

ドイツのポーランド侵略は1939年、カルスキのポーランド脱出が1942年、原著刊行は1944年。カルスキの記憶力が素晴らしかったことに加え、その体験の異様さ、さらには体験したことと執筆までの期間が短かったこともあり、ポーランドにおけるレジスタンス活動が正確かつ詳しく明らかにされている。もちろん、カルスキが強調するにように「自分が体験し、目撃し、耳で聞いたことしか本書で語っていない」ため、レジスタンスの全体像を知ることには適していないかもしれないが、極めてリアルで臨場感のある場面が多い。
一度はゲシュタポに逮捕され、拷問を受け、自殺未遂、そして脱出。ドイツに協力する人々に対する刑の執行。潜伏生活やレジスタンス活動における若者への教育。そして、ヨーロッパ大陸からの脱出など、どれも強い印象を残す。

本書は、原著に歴史家でもあるセリーヌ・ジェルヴェ=フランセルが詳細な「注」を加えて編集したもので、フランセルによる「まえがき」には、カルスキの生い立ち、本書成立の経緯、本書出版後のカルスキ、映画『ショアー』との関わりなどについても書かれている。「注」では、原著刊行時には、防衛上の観点から伏せられていた具体的な地名、レジスタンス活動にかかわった人物たちの実名、そして彼らのその後(当然ながら、生き延びられなかった人が多い)などが明らかにされている。
カルスキの場合、どうしてもホロコーストの証言者という側面だけが強調されがちなようだが、本書の価値はそれだけでなく、ポーランドという国の悲劇的な歴史、危険をともなうレジスタンス活動に関わったポーランド人たちの愛国心の強さと勇気などを書いた極めて優れた記録文学でもあると言える。

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