推しは推せるときに推せ。

2020年12月1日 14:00。
小林賢太郎が芸能界を引退した。

正確には、引退”していた”。それも、半月も前に。
思い返せばTwitterを設立したのも、オンラインショップを立ち上げたのも確かに事後報告だった気がする。後出ししてしまうのはタイミングを図っているのも大前提であるはずだけれど、彼のことだから気まずさや事前告知をして否定的な意見が来るのが怖かったのかもしれない。所詮、想像の範疇を超えないが。

初めて彼の存在を認識したのは10年前。私がまだ高校生だった頃、友人がラーメンズを教えてくれたところから始まった。初めて観たネタはなんだったかな、アメリカ学校か不思議の国ニッポンだったか。
私が好きになった時には既にラーメンズとしての活動はしていなかったので、細々と情報をかき集めるしか出来なかった。南の島国には当然テレビで彼らが映る番組は放送されないし、舞台を観に行こうにも東京までの往復の飛行機代と舞台チケット代は高校生にはとてもポンと出せるものじゃなかった。
そうしていつしかラーメンズを教えてくれた友人よりも私は彼らに詳しくなった。元々オタク気質でハマったらとことんな私はDVDを借りて歌ネタは歌詞を書き起こして覚えた。レンタル期間中に何度も何度も見た。帝王閣ホテル応援歌とひよどり兄妹の歌が好きです。
後はKKPのLENSがとても、とても大好きで。作品もそうだけど天城くんのキャラクターが何よりも大好き。時代背景も。

彼の作るコントは、コントと言うよりも劇作品を観ている感覚があった。勿論、所謂コントと称されているようなものも沢山あったけど、コントと言うにはボケや笑いが少ない気がするし、劇作品と言うには笑いどころがお笑いに通ずるところがあった気がする。採集、はその最たる作品じゃないかと思う。あと、銀河鉄道の夜。
彼の作る世界は彼にしか思いつかない発想と面白さがあって、ひとりでは表現しきれないものを相方はじめ、信頼できる仲間たちで、その世界を表現して私たちに見せてくれていた。

私が上京して暫くして彼が立ち上げたのは演劇集団 カジャラ。本当に残念ながら第一、第二公演は見逃してしまったけれど、第三と第四公演は有り難く観劇させてもらった。高校生の頃の自分に今日のことを伝えたらきっと羨ましがるだろうな、と思うほど、私はその日の舞台を楽しみしていた。観る前から小林賢太郎の作る世界には絶対の信頼があったから。
観る前からそう決めつけるのは良くないのかもしれないが、生憎私は彼が作った作品で面白くないなと思ったものがひとつもなかったから仕方ない。
そして迎えたカジャラ第三公演『働けど働けど』。就職フェアリーが最高でした。初めて生で観た小林賢太郎はとても遠かったけれど、彼の表現している世界はとてつもなく大きかった。映像ではなく目の前でその大きさを一身に浴びれていることが何よりも嬉しかった。それが2018年の3月10日。
次は2019年2月21日。カジャラの第四公演『怪獣たちのいるところ』。この日は夕方まで友人と会っていて、会場に着いたのがギリギリになった記憶。しかも、現金の持ち合わせが少なくてグッズがあまり買えなくて悔しかった思い出が。行き慣れていないことがグッズ購入で如実に表れてしまった。
謎のカジャラ遊びから始まった舞台で、最後になだぎさんが作中で仰っていた「辛い過去と向き合ってちゃんとケンカせなな」と言うセリフが胸に突き刺さったのが懐かしい。辛いからこそどうしても逃げてしまうけど、逃げたところでそれはいなくならないし、どうせ遅かれ早かれ向き合うことになる。それは自分に対する戒めの言葉で、覚悟で、決意でもあったのかもしれない。信念かもしれない。
血の通った言葉を生み出す彼の世界は観ているだけなのにとても体力を使う。演者の演技力も当然あるが、何よりも本が素晴らしい。世界観も言葉選びも。私に語彙力と表現力が足りないばっかりに、彼の良さを伝えきることが出来ない。もっと、もっと素敵で素晴らしいものを作っているのに。みんなに観て欲しいのに、それをどう伝えれば100%の熱量が届くのか分からない。

2020年は色々あった。世界中に蔓延しているウイルスもそうだが、私たちの生活様式もガラッと変わった。風邪気味でもマスクの着用が叶わなかった職場では寧ろマスクに伴いフェイスシールドと手袋の着用が義務付けられたし、休日に繁華街や観光地に訪れる人は減って、みんながみんな突如変わった世界に頭と心が追い付かず、1年前よりも明らかに苛立ちやすくなっている。私は運良く好きなものがインドアで堪能できるものばかりだったので自粛期間をそれなりに楽しく過ごすことが出来た。それでも気が滅入る時は動画を見て気晴らしをしていた。寝る前には動画を流しながら眠る習慣はこの時期からついてしまった。
そうなるほど私にとってお笑いや彼らのコントが日常だった。何度も繰り返し観て、セリフもタイミングも歌も一緒に歌えるくらい観ていたくせに、それでも何度も観たかった。いつか最新の彼らがまた観れると思っていたから、それまでの間 過去を目いっぱい楽しもうと思っていた。いつかまた観れると思っていたから、ラジオは先延ばしで聞かず、舞台を楽しみにしていた。第五公演が外れてしまっても第六公演に行けばいいと思っていた。でも、そんな未来はなかった。
ラーメンズとしての活動はなくても、カジャラの第一公演で揃ったから、復活はもしかしたら近いのかもしれないと思っていた。数年経っても、復活のその日がいつか来ると思っていた。ずっと活動がなくても解散さえしなければ希望はあると思っていた。まさか解散をすっ飛ばして引退するとは思ってもみなかった。
嫌いな言葉第一位は「解散」だったけど、今日更新されて「引退」になりました。殿堂入りは「死亡」です。
本当にとても素敵な本を、世界を創る方だから、執筆活動は辞めないと聞いて一先ず安心しているけれど。彼の想像した世界を、物語を、彼が信頼している仲間たちが再び舞台上で演じてくれることを切に願う。本当に本当にお疲れさまでした。美大じじい、観たかったです。
今はまだお疲れさまと純粋に労いたい気持ちと、また観たかった淋しさと、皆から引きとめられるほどの才能を遺憾無く発揮された素敵な舞台を観せてくれていた感謝と、色んな感情が入り混じって整理がついていません。声や、舞台上でのパフォーマンスのクオリティや、創作物に対して一切の妥協をしない姿勢や、好きなところが沢山あった。昨日だって寝る前にポツネンを観ていた。毎日毎日、毎日観てた。こんなに彼の舞台が好きだった。何年前の本でも関係ない、いつ観ても、今、好きだった。好きだなぁって思って笑ってた。可能なら今すぐラーメンズの記憶をなくしてもういちど新鮮な気持ちで映像をみたい。記憶をなくして、何回も笑って、何回も感動して、何回も感心して、何回も惚れ直したい。
発表された彼の言葉はとても”らしい”し、片桐さんの言葉も”らしい”。ふたりの間でどんなやり取りがあったか私たちは知らないけれど、今でも片桐さんが彼を相方と呼んでくれていて、賢太郎と呼んでくれていて、それだけで胸がいっぱいになる。
本人が考えて考えて、決めたこと。友人として、相方として、いちばん長く彼を見ていた片桐さんがそう思って言うなら”そう”だ。勝手に彼らのパフォーマンスを見ていた私は勝手に彼らが辞めてもなにも文句は言えない、このやるせなさと淋しさを抱えて日常に戻るしかない。
「賢太郎は今後も創作活動は続けるそうです。(中略)楽しみにしていてください」そう言える関係性って本当に素敵だよなぁ。今週のエレ片絶対聞くし、片桐さんの今後もめちゃくちゃ楽しみ。ふたりはずっと最強だ。

この先、目の前でパフォーマンスをしてくれる彼が現れないのかと思うとただひたすらに淋しい。やりきれない。勿論、大前提として応援しているし、彼の身に降り注ぐ災難は今後少しでも存在しえないといいなと願っている。けれど、これの事実を受け止めて、飲み込んで、思い出にするのはまだまだ先になりそう。
本当に本当にお疲れさまでした。高校生の頃から約10年間。ラーメンズを、小林賢太郎を好きでいれて幸せでした。

これからの貴方の人生に幸多からんことを。

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