どっとライブの炎上についてまとめたい(2) 「モンペ」とは誰だったのか

(2020/8/14:これは去年に書いて放置していた記事を推敲せずに投げているよ)

前の記事からずいぶん時間が空いてしまい、今となっては色々な状況が変わってしまっている。

言葉の解釈がバラバラに分かれてしまった

ばあちゃるさんが配信で口にした「モンペ」という発言が、どういう人間を指すのか。
この解釈は大きく分かれた。
様々な意見があるが、Twitter上で見かけた意見や、私が実際に他のファンと話をした内容を振り返ると大きく分けると以下の二種類であるように思われる。


解釈1)アイドル部およびどっとライブメンバーのことを心配したり、日々の活動や生活がもっと良くなるようにと願って行動していたが、運営からその行動を咎められた人のこと。

解釈2)アイドル部およびどっとライブメンバーの評判を貶め、日々の活動を阻害し、メンバーを傷付けようとする人のこと。


Twitter上ではモンペを自称するファンと、それに対して嫌悪感を示すファンの対立が深まり、一部のファンによるアンチ活動とも取れる行動が過激化していった訳だが、そういった状況が過熱していった理由はここにあるのではないだろうか。

解釈1を採用するのであれば、モンペというのは逆境にも負けない献身的な人物になる。
しかし、解釈2の視点から見ればモンペとは排除すべき悪だ。
ここが決定的に食い違っているために、一方が「モンペやめろ」と言えばもう一方は「どうしてやめなきゃならないんだ」と言う。どちらもアイドル部およびどっとライブメンバーが好きで、応援したいと思っているはずなのに、と思うと大変皮肉な話である。

蛇足になるが、この解釈の違いによって「敵」も変わってくる。
解釈1の視点から見ると、メンバーに不利益を与え、尚且つファンを無理に押さえつけようとする運営が敵であり、攻撃対象となる。
一方、解釈2の視点から見るとメンバーに不利益を与える「モンペ」こそが敵だ。

どうしてここまで食い違ってしまったのか、これほどまでに深刻な解釈の分断が起きた理由を、この記事では考えてみる。

※この記事は2019年8月末から9月初頭に起こった出来事を対象にして書いており、その後の出来事については全然関係ない。今となっては色々と変わってしまっていることも多いが、あくまでその頃の話だと割り切って読んで欲しい。

どうしてそんな風に解釈が分断されてしまったのか

解釈の分断が発生した原因を考えたり、Twitterで様々な意見を見たり、人と話をしたりする中である時、ファンによって持っている情報が想像以上に解離していることに気付いた。
私たちは「同じVtuberを推している」という体験から、自分以外のファンもだいたい自分と同じような知識や経験をベースにして話をしているだろう、と思い込みがちである。
だが、それは明らかに間違いだ。

「だいたい同じ」と言える点など、ほとんどなかった。
そして、この認識の相違こそが「モンペ」という言葉の解釈の分断を生んだ原因のひとつではないか。
以下に、私が見聞きしたことを簡単に書いていく。

以前からにじさんじを追っている人や、本間ひまわりちゃんのファンからは、電脳少女シロ生誕祭へのひまわりちゃんの出演が決まってからひまわりちゃんやにじさんじを叩きまくる人がよく見えていた。

しかしその一方で、普段からアイドル部やどっとライブメンバーにしか興味がなく、にじさんじのこともよく知らない、そんな人に見えていたのは「シロちゃんの生誕祭楽しみだね」という声だけだった。

Vtuber Landのホールイベントのゲストが発表された時、運営に対して怒りをぶつけるファンを見ている人もいれば、TwitterやYoutubeのコメント欄で叩かれるゲスト達を見ている人がいて、そもそも神楽めあさんや犬山たまきさんを知らずただホールイベントにゲストが来るということしか知らない人がいた。

中には炎上が最大限に高まって、アイドル部の配信に低評価が数百単位で寄せられ、コメント欄が荒れ狂っている最中でもそのことに全く気付いていない人もいた。彼が普段見ているTwitterのTLにはVtuberの話題がほとんど登場しないし、配信のコメント欄やTwitterでのファンの発言には全く興味がなく、配信が始まったらさっさとフルスクリーンにして作業用BGM的に視聴しているらしい。
最後のやつはちょっと特殊な例かも知れないが、そういう人も居たのだ。

ここからは私の推測だが、これだけ各々の見えているもの、前提条件が違うであれば「モンペ」という言葉の解釈に大きな違いが出てしまうこともまあ、あるのではないだろうか。
それぞれが自分の知っている情報を元に「モンペ」という言葉を解釈しようとした結果として、ファンである自分の活動への批判と受け取るか、他人を叩くような人への注意だと受け取るか、どこか知らないところに居るアンチへ対する発言だと受け取るか、そういう風に解釈が分かれていったのかも知れない、と私は思っている。

どうして前提条件がバラバラなのか

前提として見えているものが違うので、解釈が分かれてしまったのではないか、と書いたがそもそも何故「同じVtuberを推している」という形で同じ文脈や体験を共有するはずのファン達の見えているものがバラバラなのか。

これについてひとつ言えることは、そもそもVtuberという存在が最新、あるいは後発のものである、ということだろう。
Vtuberという存在が後発のものである以上、Vtuberのファンは先にまず何かの趣味を持っており、その後でVtuberのファンになった可能性が高いということだ。Vtuberのファンにはたいていの場合「古巣」があり、それはゲームだったりアイドルだったりアニメだったりと色々な分野に分かれている。また同時に、古巣を持たない人というのも存在する。
そうして色々な分野の知見が集まる事になるわけだが、それは同時に「普段見ているTLがお互いバラバラである」ということでもある。
ある人は普段はとあるゲームの話を中心にするTLを見ていて、またある人は料理の話をするTLを見ている。そういう人たちがVtuberというコンテンツのもとに集まっているので、それぞれの持っている情報、見えているものがバラバラになるのは当然だろう。

もうひとつ、今回の騒動に関して重要な点がある。
それは、「過激な発言は削除されている」という点だ。

運営のTwitterの発言や、メンバーの配信を後から見たファンは、過去に存在していた過激な発言は見られない。削除されているから、知らないのだ。
だから、運営に対して過激な発言を行っていた人、ゲストに対して暴言を吐いていた人がいたこと、そういうことを知らない、という形で情報の断絶が発生する。

これは、TwitterやYoutubeのコメント欄で過激な発言を目撃した人が、通報を行うことで発生している現象である。と思いたい。

本来であれば、迅速かつ適切な通報が複数行われたということであり、コミュニティの健全さや団結力の高さを示すこの行動によって、思いもよらぬ結果が引き起こされている。

1. まず最初に、暴言や過度なクレームなど、問題のある発言が行われる。
2. 「1」を目撃したファンが、この発言には問題があると判断し、通報を行う。
3. 通報を受けた会社が内容を確認し、問題のある発言を削除する。

この時、「1」に同調してネガティブな意見を持ち、発信するファン(Aさん)が居たとしたらどうなるか。Aさんの立場としては「1だと言っている人が居て、自分もそう思った」というところだろう。
そのAさん発言を、別のファン(Bさん)が後から目撃した場合は、どうなるか。Bさんが後から目撃した時点ではすでに「1」は削除されているので、Bさんは問題のある発言が行われていたことを知らず、ファンの中からネガティブな意見があがっていた、という部分的な事実だけを知る事になる。

もしも「1」の時点であれば暴言や過度のクレームといった、問題のある発言が存在している。それを見て一緒になってそうだふざけんなクソ企業死んで償え、などと言う人はあまりいない。
しかし「3」以降であればどうだろうか。
問題のある発言はすでに存在しない。しかし、なんとなく不満、なんとなくネガティブな意見、そんなものが残っている状態だ。それを見て一緒になって、確かにちょっと良くないよな……と言う人は、少なくはないだろう。
そこで更に「1」を知っている人が、それを見たら。その時、ただ単にネガティブな意見に同意していた人たちのことが、「1」と一緒になって暴言を吐く人に見えるかも知れない。

そんな風にして、一体誰が「モンペ」で、何が間違っており、何を正すべきなのか、という認識がファン同士、そしてファンと運営の間で決定的に食い違ってしまった可能性がある。

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そうして、本来は糾弾される立場ではない人が「自分が糾弾された」と勘違いをして苦しんでしまっている状況や、本来糾弾されるべきだった人が誰にも咎められることなく平和に暮らしている状況が発生しているのかも知れない。

最後に

ここまで可能性があるとか、かも知れないとか、そういうまわりくどい書き方をしてきたが、私の知り合いの中でも実際に色々な「知らなかった」や「勘違いをしていた」という声があった。この記事はその経験を元に書いているので、もし私のTwitterのフォロワーであればああこれアイツが書いてるなと気付くこともあるかも知れないが、気付いても放っておいて欲しい。

繰り返しになるが、この記事では個人の考えや感じたことを否定するつもりはない。また、ばあちゃるさんの発言に対する解釈を行う意図もない。
この記事を書こうと思ったきっかけは、色々な人と話をしている中である日ふと思いついた程度の物だ。
何かを正そうとか、誰かをどうにかしようとか、そういうつもりはほとんどない。

この記事を読んでくれた人に対して、私から何か働きかけるとしたら「もしこの記事を読んで自分が批判されたと感じた人がいれば、それは勘違いなのでブラウザを閉じて欲しい」という一点のお願いだけだ。