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広島からエンタテイメントを世界へ発信したい!

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最近の記事

エンタテイメントの力

今年に入って、1月2月と立て続けに仕事の戦友が逝ってしまった。とてつもなく悲しい、なのに僕は泣くことができない。物心ついた時から泣いたことがない、というより「泣く事ができない」~これは僕が持って生まれた心の病のような気がする。泣けない変わりに、心に鉛がたまっていく、今年の2件はとてつもなく重い鉛だ。これまでもたくさんの鉛を生きていく中でためてきた、それを唯一溶かすことのできる力、僕にとってはエンタテイメントがそうだった。観客になること、あるいは作りてになることで実践してきた対

    • ローカルでエンタメを成功させるには⑤

      戦後最大に成功したローカルエンタメといえば、いまだに活躍の幅を広げいる札幌の「TEAM NACS」、森崎博之・安田顕・戸次重幸・大泉洋・音尾琢真の5人による、日本の演劇ユニット。彼らの出会いは運命のいたずらだった。たまたまいろんな事情で、本来同じ大学生活を送るはずのなかった(年齢が4年間では一緒にならない、また希望校に進んでいれば大学も一緒にならない)5人が、1996年に演劇公演を1回だけやるの目的で集まったのが「TEAM NACS」。その運命には、リバプールにたまたま同世代

      • ローカルでエンタメを成功させるには④

        まず、突出した天才が現れる事、そしてその天才性に気づかず戦いを挑む仲間がいること、それが、ローカルでエンターテインメントが発達する必要条件である(リバプールで生まれた、ビートルズもそう)。拓郎は、自分の才能に不安をいだいた時期もあり、大学4年生の時なんと就活をして河合楽器の内定をもらう。しかし、何かが違う、先日だしたフォーク村のアルバムの出来も何かが違う、その違和感に堪えられなくなった拓郎は、愛する母を広島に残し、就職も断って東京へと、車一台にギターと詰め込める荷物を載せ24

        • ローカルでエンタメを成功させるには③

          吉田拓郎を中心にした広島フォーク村は1968年~71年。広島青少年ホール(キャパ1,500人)を毎月満席にする人気を誇り、東京のインディーズレコード会社からアルバムも発表する、。そのアルバムタイトルは拓郎の曲「イメージの詩」(発表から半世紀たった昨年、アニメ「漁港の肉子ちゃん」の主題歌に)から引用した「古い船を動かせるのは、古い水夫じゃないだろう」。拓郎の曲は、それまでのフォークソングの主語が「わたしたち」であったのに対し、主語を「わたし」の一人称にしたところに特徴があった。

        エンタテイメントの力

          ローカルでエンタメを成功させるには②

          昭和。最初にローカルでエンタメが興行として成り立ったのは「広島フォーク村」。1968年から1971年の3年間の活動だったのにもかかわらず、いまだに全国の音楽好きに語り継がれている伝説の音楽集団である。当時、全国に雨後の筍のようにフォーク団体はできていた。大学紛争真っ只中、ほとんどの音楽団体は政治的メッセージを音楽を通じて発信していた。その中で、広島フォーク村は異色な存在、ただ純粋に音楽を楽しんでいた。その中心にいたのが「吉田拓郎」である、、、、続く

          ローカルでエンタメを成功させるには②

          ローカルでエンタメを成功させるには①

          文化の発信・成功は東京一極集中になってしまっている。しかし、ネットがインフラになった今、その状況が遂に変わる時がきた。これからの可能性を探るにあたって、過去わずかに成功したローカル発のエンタテインメントが何故上手くいったのか考察していきたい。~続く

          ローカルでエンタメを成功させるには①

          #創作大賞2022