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第六十三話 幸福論

こんばんワイパー
33歳男性です。


幸福とは何か


欲が満たされた生活だろうか
お金に困らない生活だろうか
愛に包まれた生活だろうか

いずれもそうであるとも言えるしそうでないとも言える。


満たされた生活から何か一つでも欠け落ちてしまうとそれはほんの些細なことだとしても不幸だと感じてしまうようになる。

例えばこのニュース。

振られた男が執着心を捨てきれず、
惨めなまでに付き纏い挙句一人の夢ある少女を殺した事件。

ワイパーも失恋をダラダラひきずってたからこそ少し、わからなくもない。
(もちろん殺すなんてのはもってのほかでストーカーをしようとも思ってなかったが)


ありし日の幸せを思い返してそれに縋って付き纏ったのが容易に想像できる。

女なんて生き物は男よりよっぽどドライだってことがどうにもわからない男が一定多数いる。
(頭ではわかっていても気持ちが追いつかなかったりもする)


ただこの事件、男が消費者金融に多額の借金があるところを見るとおそらく別の精神疾患があるように思う。
例えばギャンブル依存とか。

求めてることで欲求を満たせない場合依存症者は代替行動に出る。
それが過食だったりあるいは性依存だったりするのはすごくよくある話。

メディアにはただの殺人事件で片付けるのではなく男の動機を細かく紐解いて欲しい。

消費者金融に借金がある=いわゆる普通の状態ではない
(健全な経済活動が成立していない)
のでなんらかの金銭に絡む依存がある可能性は高い。

物事を教訓として周知するにはその内情までも報道してもらいたいものだ。
遺族にとっては残酷極まりない話かもしれないが。

ワイパーが仮にこの女の子の父親の立場だったらこの犯人の男は何年経っても許さないし、むしろ生かしておけない。20年先でも許せる自信はない。


しかし光が強いと影もまた濃いのだ。


例えばこのニュース。

離婚成立後の男が孤独に任せて元妻及び子供三人を刃物で殺害し自死を試みるも出来ず、放火をした事件。

男に明らかに原因のある不本意な離婚だったのだろう。
そして先の孤独を思っての凶行であろうことは想像がつく。

思い通りにならないなら破壊してしまえという思考回路の人間は一定数存在する。

どうしても離婚が嫌だったのかもしれない。
離婚に至る原因がなんだったのか、これも上述の事件同様犯人の内情に迫る必要がある。

例えばFXや仮想通貨による膨大な借金の発覚。
あるいは不倫(一家惨殺しているところを見ればこれは考え難いか)


失恋や離婚の話となるとそういった類の話は男の方がかえって縋り、付き纏い情けない一面を見せることが多い。


女なんて生き物は男よりよっぽどドライだってことがどうにもわからない男が一定多数いる。

情はあれどそれはそれ、これはこれと割り切ることができるのが女だったりする。(もちろんそういう人ばかりではないだろうが。)

しかし男は、依存し執着し、脅し、挙句自殺を選んだり、家族を殺したりまでもする。(もちろんそういう人ばかりではないだろうが。)

離婚後の自殺率は男性の方が圧倒的に高い

自殺に関するデータでは、令和3年版自殺対策白書に配偶関係別自殺率というのがあります。それを見ても、男性全体の自殺率が25.7なのに対し、離婚男性は101.0と突出して高いことが分かります。
そもそも自殺率そのものが恒常的に男>女となっており、ほぼ女性の2倍男性は自殺しています。これは日本に限らずほぼ全世界的に共通する傾向です。ここには、明らかに男性特有の要因が隠れていると思わざるを得ません。

「離婚男性の自殺率が異常に高い」なぜ日本の男性は妻から捨てられると死を選んでしまうのか

プレジデントオンライン / 2022年3月24日 10時15分

特にこの相関が見られるのは日本特有らしい。

日本人男性は孤独にめっぽう弱い、裏を返せば女に甘える生き物なのかもしれない。


幸福とはなんなのだろう。

満ち足りた状態が幸福なのだとしても何か一つ欠けてしまって即座に不幸へと落ちるのであればそれは幸福とはいえない。


真の幸福とは自分の中にあるのではなかろうか。

それは人を思いやる心、博愛、あるいは自己犠牲ともいうべき愛が自分の中にあり、それを分け与えることが幸せにつながるのであればそれは幸福と呼べるのではないだろうか。

ともすれば上述のニュースのように依存心・執着心が自分を幸福から遠ざけているのではないかと思う。


幸福に必要なものは何か


幸福な王子というオスカー・ワイルドの短編小説を知っているだろうか。

児童向け短編小説でありながら意外と考えさせられることの多い話である。

以下wikipediaよりあらすじを引用する

 ある街の柱の上に、「幸福な王子」と呼ばれる像が建っていた。かつてこの国で、幸福な生涯を送りながら、若くして死んだとある王子を記念して建立されたものだった。
両目には青いサファイア、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓はで作られていた。
とても美しい王子は街の人々の自慢だった。
しかし、人々が知らないことが有った。その像には、死んだ王子自身の魂が宿って自我を持っているが、かつて宮殿にいた頃はこの町の貧しい不幸な人々の実態を知らなかった。だがそれを知り嘆き悲しんでいるのである。

渡り鳥であるが故にエジプトへ旅に出ようとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってくる。
王子はこの場所から見える不幸な人々に自分の宝石をあげてきて欲しいとツバメに頼む。
ツバメは早く南へ渡りたかったが、やがて言われた通り王子のの装飾に使われていた美しいルビーを病気の子供がいる貧しい母親に届けた。
王子は片目のサファイアを飢えた若い劇作家に、もう片方を幼いマッチ売りの少女に持っていって欲しいと言われ、ツバメは「そんな事をしたら目が見えなくなってしまう」と注告するが、 「この風景を見る方が辛い」と言われ言われたまま両目のサファイアを届ける。

エジプトに渡ることを中止し、街に残り、王子と共に過ごす覚悟を決意したツバメは街中を飛び回り、両目をなくし目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせる。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんいる不幸な人々に、自分の体の金箔を剥がして分け与えて欲しいと頼む。

やがて冬が訪れ、王子はかつての輝きを失い、みすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも徐々に衰え、弱っていく。
自らの死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり、目の見えない王子にキスをし、やがて彼の足元で力尽きる。
その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立て二つに割れてしまった。
みすぼらしい姿になった王子の像は心無い人々によって柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが、鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。

天国では、下界の様子の全てを見ていた神が、天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ天使を遣わせる。
天使はゴミ溜めから王子の鉛の心臓を、そしてツバメの骸を持ってくる。
神は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった。

真の幸福とは王子のような自己犠牲の心を持つこと、そして博愛の心を持つこと。
つばめもまた本来の目的を捨て王子に献身を尽くした。

この心を持てることこそが幸福なのではなかろうか。
(最終的に幸福に導かれているし)

依存の心や執着の心を捨て、博愛の心を持ち、人に尽くすことこそが幸福への道ではなかろうか。

人は命に限りがある。
それを自分のためだけに費やすことよりも多くの大多数の幸福へつながることができればそれはより大きな幸福となり得るのではなかろうか。

だってご飯は一人で食べるより誰かと美味しいねと共有して食べた方が美味しいじゃない。

一人で幸せであることより、誰かと幸せを共有できることこそが幸せなのではなかろうか。


…でも


お金があればひとまずは幸せだよね。だって資本主義社会だし。

幸福な王子について書きたかったための日記でした。

おしまい。

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