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オリンピックのない平和な世界

「オリンピック、なくなっちゃったね」

「せめて、途中まで開催されるのかと思ったら、珍しくいさぎの良い判断だね。

僕は好きだよ。無駄なものをすぐに中止できる人は」

「ははは、じゃあ、今日の手料理も中止しちゃおうかな」

「それは、ダメです。全会否決。衆議院の解散をしてでも、信を問う!」

「もう、大袈裟なんだから」

アイランドキッチンの真ん中で僕らは抱き合う。

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僕らは、関西の真ん中で、しかし、それを完全に拒否するように「標準語」を、

つまり、二人が出会った時に使っていたその言葉を使い続けている。

オリンピックの開催が決定されたのは、僕らがちょうど大学生の頃だった。

駅前の居酒屋ではしゃぐ大学生を横目に、僕は思った。

失敗する。すればいいとかじゃなくて、このオリンピックは必ず失敗する。

なぜかって?

披露するものがない。

それは、例えば、結婚指輪のないプロポーズやウエディングドレスのない結婚式に似ていた。

何も見せるものがない式典を、首都のど真ん中で、実施すると言うのだ。

金だけはドブに投げ捨てるかのように使う。

狂気の沙汰だ。

誰かが失恋したのではない。僕らが、失敗したのだ。政治選択を。

「まともな選択のできる政治」という環境を僕らは、半ば放棄してしまっていた。

復興五輪なんて言っていたのは、遠い昔。

日本中どこを見ても、停滞した経済という病に犯されている。

もう、金を使ってしまった。だから、なんだ。

ダメなものはダメだ。やめてしまえ。

「ねえ、やっぱり料理するのめんどくさい。外行こ」

僕は、ジャガーのキーを取って、彼女の靴を履かせる。

ラルフローレンの部屋着から、バーバリーの薄手のシャツに着替える。

阪急で買った食材を全て冷蔵庫に詰めたことを確認すると、玄関を出る。

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灼熱の日差し。

世間の後ろ暗い空気なんてどこかに行ったかのようだ。

僕らの私権は、ここにあったのか。

六甲沿いの自宅、ガレージから車を出し、山をくだる。

行きつけのイタリアンに着くと、店内はガラガラだ。

「二人きりみたいでよかったね」

彼女が少し不謹慎で、しかし、僕にとってだけ嬉しいギャグを言う。

パンがサーブされる。

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それを、彼女は自分の小皿と僕の小皿に取り分ける。

それ以外にはどこにも取り分けない。


僕が欲しかった幸せは、美少女と二人きり、その子が僕だけを見ている現実だった。


オリンピックは中止された。それでも、世界は何事もなかったかのように回る。

イギリスではワクチン接種が進み、ノーマスクでのナイトパーティや海水浴、それに会食だって解禁されたらしい。

「来年はいけるといいね、遠いとこ」

僕は頷く。

「二人以外誰もいない場所をたくさん探そうね」

僕は、バターとハチミツを塗ったパンを口に頬張って、彼女に破顔一笑する。


オリンピックも変な政治もない。

嫌な人間関係もない。

僕が望んだ生活だ。

仕事を9:00から始めて16:00に終える。

その帰り、百貨店に寄ったり、美容院に寄ったり、歯医者に寄ったりする。

家に着くと、19:00だ。

彼女が料理を作り、僕が部屋の掃除をする。

たまに、ルンバに蹴つまずいて、彼女に笑われる。

シャンパンかオーパスワンを空ける。たまに、モンラッシェを空ける。

ヘネシーのコニャックを飲みすぎて、彼女にたしなめられる。

そのうちに料理が出てくる。

どれもこれもが好物だ。

僕は、美少女の料理が世界で一番の好物なのだ。

どんな星付きレストランも、そのサービスも、ふにっと曲がった半月型の目をした美少女が、テーブルに並べる料理には勝てない。

「東京では、またウイルスが流行ってるって」

「大変だね。ま、こんな兵庫の山の中には、ウイルスも登ってこれないよ」

二人でテレビを見て笑い合う。

オリンピックがなくなった。

世界が平和になった。


何より、僕らは幸せな生活を送っている。

何もかもが、嘘だったみたいに平和にすぎていく、といいのに。


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