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たった1つだけ違った。パートナーと別れた。

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2021年12月31日に花と別れた。(花はパートナーの名前)

なんだかこのnoteを書いてしまうと、本当に関係もすべて終わってしまうようでなかなか書き出せずにいた。

今でも花のことはとっても好き。
花のことを思い浮かべると、おれに向けてくれる6歳児みたいな笑顔を思い出して胸が苦しくなってしまう。
毎日、1日のどこかで思い出し、そのたびに、次に進むために別れたんだから早く切り替えたほうがいいよな、って思って、また胸がチクリ。

実際には、進んでもいる。好きな人もいるし、花と別れた理由である複数人との関係性を深めていくことも止まっているわけじゃない。
でも、まだ後ろ髪をひかれる引力みたいなものを感じているのも確かだ。


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花と付き合ったのは4年前の冬。初めて出会ったのは4年半前の夏。友達と一緒に運営していたシェアハウスによく遊びに来てくれた。今思い返せばこれだけまっすぐに且つ謙虚に心を寄せていてくれたことはすごく幸せだなぁと思う。
花と付き合ってから長い時間を、遠距離で過ごした。


自由奔放なおれの生き方を見て花は応援もしてくれたし、憧れてもくれたしそしてちょっと心配もしたりしていた。本当はどうだったんだろうか。おれが思うより不安は大きかったんじゃないか。
遠距離だったからかおれは花と過ごした思い出をわりと鮮明に覚えている。いつどこに行ったのかどんな話をしてどんな景色を見たのか海馬が弱いおれでもなぜか覚えていることがたくさんあった。


初めて二人で一緒に出かけたのは真冬のキャンプ場。その3ヶ月後にはボリビアのウユニ塩湖へ。 調子に乗ったおれはウエディングフォトを撮りたくて、スーツとウエディングドレス、そして花束を用意してサプライズ写真を撮ったり。
つい見栄を張りがちなおれは贈り物をする時多分収入に見合ってなかったと思う。それがいいのかはわからないけれど1ヶ月に1度しか会えない分、おれなりに伝えたかったことが有り余っていたんだろう。

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いつでも花は等身大をおれに見せてくれた。「嫉妬しちゃう。そういう自分がいるのが嫌だ。 」悲しい気持ちになったら悲しい表情をするし、ウキウキしてる時は飛び跳ねて喜ぶ。おれは日常であんまり喜怒哀楽を表現する方じゃないから、おれの様子をうかがっていたことも多い。ふと考え事をしている時に「どうしたん?」と声をかけてくることが何度もあった。そのたびにおれは何でもないよ、と返すけれど、何かありそうな顔してるって花からは返ってくる。自分の心に素直にそしてその心を相手にまっすぐ届ける、そういうシンプルなことを伝え続けてくれていたようだ。

4年間も時間を共にすれば自分の中に芽生えてきた新しいものを感じずにはいられない。
それは感謝とか愛情とかそういった類のものだけじゃなく、自分自身に起きている変化、相手の人生に起きている変化を与え合っているんだと、時間とともに認識した。


おれはこの4年間で花にずっと、あなたの心はあなたの中にある、その心に素直に生きてほしい。そう伝えてもらっていたような気がする。
花はあまりお金を使わない。節約しようという意識もあるんだろうが、それとはまた違った意味も感じている。花は幸せの感じ方が豊かだ。諦めを孕んだ幸せっぽいものの享受ではなくて、今この瞬間を生きて味わえるよろこびを全身で味わっていた。おれはお金が十分にあるわけじゃないが浪費癖がある。だから花と一緒にいると常に背筋が伸ばされる。とってもありがたい存在。


花はガッツがある。GRITというやつ。これをやるって決めたことは必ず最後までやり遂げる。決して勉強ができるタイプではないけれど、本当に賢く聡明な人だと思う。彼女がやると言ったことをやりきって出た結果は常に素晴らしい。それは成績が優秀だという話ではなく、やり遂げた後の彼女の顔の清々しさが物語っていた。


そんなガッツのある花を見ているとおれにも勇気が湧いてくる。考えがコロコロ変わり、やりたいことも次々に浮かぶ。自由奔放な楽しい生き方の一方で、どこか中途半端な自分に後ろめたさも感じていたそんなおれを叱咤激励するように花は愚直に、正直に生きている。おれも応援されているみたいだった。いや、きっと応援されていた。


おれは花との話しで、何度も言葉にしていたことがある。
おれが花とどういう関係でありたいのかという話。おれが花に、花はおれに関わることで、関わり合うことでお互いの人生が豊かになると感じられる関係でいたい。 どちらかの存在がお互いの人生の制限になることがあったらその時は、お別れ。


おれが花と別れることになったのはこの制限をお互いに感じることになったからだ。


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2021年の大晦日の日。花と年越しキャンプをする予定でキャンプ場に行った。

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冬ど真ん中だったのでさっさと焚き火を焚いて暖を取り始めた。何の予兆もなく幸せな時間だった。 日が暮れた夜6時頃お互いに一年を振り返り始めた。この一年はお互い、気持ちの波にたくさんの揺れがあった。後から手紙で知ったことだけれど花はこの1ヶ月前からおれと別れることを決めていたらしい。

不意に自分たちの関係性の話になり 目の前に別れの決断が突きつけられる。今日こんな話をするとは思っていなかったから不意を突かれた。でもなぜか心が落ち着いていて、くるべき時が来たような気もしていた。


おれは複数の人との関係性を育んで家族を作ることに肯定的だ。自分もそういう生き方をしてみたいと思ってる。それはある意味ではポリアモリーと呼ばれて複数恋愛を意味するような側面もある。しかし花ははっきりと自分の理想とは異なることを伝えてくれた。私にとってはそれは受け入れられないこと。一人の人と家族を作って家庭を築いていくそれが私の描く幸せの形。


お互いにお互いの考え方や生き方を応援したいと思っているからこそ攻撃性はなく、あるがままの自分の願いを言葉にしている。


3分ほど悩んだ。おれにとってはこの4年間、ずっと、おれの人生には花だな、花と一緒に生きていきたい。花に対してのこだわりや執着があった。自分の願いに多少我慢したとしても、相手に多少我慢してもらったとしても、花と一緒に生きるということはどうしても手放したくなかった。この一年散々迷ってきた悩んできた、 それはきっと花も同じだろう。


正直別れてから2ヶ月近く経った今でも花に対してのこだわりや執着は拭いきれない。やっぱりこの人なんだよなという気持ちが今まで以上に強くなっているような気もする。


焚き火の前で3分ほどの沈黙の末、別れてほしいとおれから告げた。ここでおれに別れを告げさせてくれたことは花なりの優しさだったのかもしれない。
花は穏やかに頷いてくれておれたちは別れた。別れ話なんかしてないかのような雰囲気だったけれど。


あまりに外が寒かったので22時前にはテントに入った。 大晦日だというのに普通に眠り次に気が付いた時は夜中の3時。あけましておめでとうと一言声をかけてまた眠りについた。


朝起きて2022年。元々予定していたのでおれたちは1月の1日、2日も一緒に過ごす予定。

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京都に移動して初詣に行った。お互いに手紙を書いて思い出話も振り返ったりした。感謝も愛情もたくさん伝えた。
この2日間で何度も「未来はどうなるかわからないけどね。」と言葉にした 。
その言葉の中には、自分の願う人生に素直に生きるなら、思いがけない別れがあることも受け入れていくしかない。という意味にはおさまらない思いが詰まっている。


決断した心とは裏腹にもう一度花と人生を共にすることはできないのかなあと言う名残惜しさと期待感、しがみつきたい思いが滲み出ている。


正月、一緒に過ごした2日間、やっぱり戻れないかな、という言葉は言えなかったし言わなかった。せっかく決めてそれぞれの人生を次に進めるチャンスだから。


2日の夜お別れする当日の夜。4年前におれが花に告白した時の公園に行った。すごく鮮明に覚えている付き合った時のおれの台詞からの返事、どんな格好していたか、どれぐらい寒かったのか。自分に刻み込まれていることを改めて自覚した。


本当に別れの瞬間、感謝と愛情以外の気持ちはなかった。
その後、またねと一言声をかけて別れた直後に悲しさと寂しさが襲ってきた。


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花と別れたことは後悔はしていない。
それでも思い出してノスタルジックな気持ちになってしまうのは、花という存在がおれの中で大きいからだ。
実際におれの花に対する思いは別れた後も何ら変わっていない。とても大好きで、大切に想い、心から彼女の人生を応援している。
そしてこの気持ちは、今後薄れていく予定は今のところない。
もちろん時間が経っておれの人生がどのような物語を紡いでいるのか、花がどんな幸せを味わっているのか、それは分からないから一生変わることのない気持ちだとは言い切れない。


それでも今現在、おれが花のことを、花の人生を心から応援している存在だということには間違いがない。


ただ各々が願う最高の人生の形がイメージが異なっているただそれだけ。それ以外のことは変わらない。 それでも関係性の形は変わった。ただ今はどうか花が幸せに過ごしていることを願っている。


どうか元気で。



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