僕がスタジオを作った理由⑥
後藤真希「愛のバカやろう」
だいぶ時間が空いてしまいましたが、そろそろ続きを書いていきます。
当時26歳
そんなこんなでアレンジャーとしてつんく♂さんと再会し
アレンジの発注を受けさせてもらえるようになりまして
アレンジを進める訳ですが、どのグループが歌う曲なのか
制作中には教えてもらえないくらいの極秘案件でして。
一度アレンジデモを提出して、つんく♂さんとミーティングしまして
その時につんく♂さんに言われた事が
『このアレンジは何を聴かせたいのか?
聴いた人に判り易く際立たせる事が大事だよ』
と言ってもらいまして
楽曲の中に入れていたエスニックなフレーズを膨らませて
エスニック+デジタル感 のある不思議な楽曲に仕上がりました。
結局歌うアーティストを教えてもらったのはトラックダウン(ミックス)
つまりレコーディングの最後の工程の頃でした(笑)
当時街のどこにいても楽曲が流れてきてドキドキしましたね。
この頃まだ7畳のアパートで作っていました。
AKAI CD3000(サンプラー)と
ROLAND JV2080でほとんど作っていたと思います。
当時の僕は「音」としての音楽は作れていたけど
景色を見せたり感じさせたり、そう言った部分は考えられていませんでした。
このセッションでそういう部分を考えるようになり
その後の音楽制作に対する考え方が変わるきっかけになった作品です。
ここからハロプロ作品に沢山関わらせて頂く事になります。
次はモーニング娘。の『Do it! Now』かな?
それではまた。