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2020年7月の記事一覧
僕がスタジオを作った理由⑤
21歳 無職 自称ミュージシャンそんなこんなでレコード会社との契約が無くなり
自動的に出版社、事務所との契約も終わり
フリーランスという名のただの無職になりました。
新しくバンドやろうかな〜と、しばらくは神田くんと
高校からの友人のドラム三四郎も誘い定期的にスタジオに入りながら
ボーカル探しをしつつ交通警備員のアルバイトをしてました。
そんなこんなしているある日、棚橋UNAさんから電話が。
「
僕がスタジオを作った理由④
Coney Island Jellyfish〜ビクタースタジオというわけで19歳でConey Island Jellyfishというバンドを始めます
ホコ天でも数百人のお客さんを集めて居た僕たちだったのですが
それまでオーディションだったりコンテスト的なものに出た事は無かった
のですが、何故か神奈川のとある街のバンドコンテストに出る事になりまして
そこで当時ビクターのディレクターだった野崎Pが
僕がスタジオを作った理由③
高校時代 後半戦高校2年〜3年ともなると周りが進学や就職活動で忙しそうなわけですが
僕はバンド活動が忙しく、バンド活動の拠点は東京で
週3日の練習スタジオも電車で家から1時間くらい
帰ってくると深夜0時過ぎで学校もよく休んでました。
学校までも自転車で1時間かけて通ってたのでなかなかの体力です
1時間目から記憶が無く、起きたら6時間目だった事もありますね。
昼休み誰か起こしてよ〜 と思いましたが(
僕がスタジオを作った理由②
高校生時代編〜Daichiというミドルネームが誕生さて、高校に入ってからギターを始め コピーバンドがとても楽しかった
高校1年でしたが、ここで良く聞かれるミドルネームのDaichiの由来を。
埼玉の公立高校に入ったのですが地元から離れた高校だったので
当然友達もひとりも居なかったわけです。
クラスの他の人たちは地元が多かったので、少しづつ友達も出来るようになって
みんなで集まっている時に「そうだ
僕がスタジオを作った理由①
独り言としてnoteに書いておこうと思ったので
なんとなく書いてみます(笑)
スタジオを作った理由として色々と考えてみましたが
全てが最初から繋がっていて上手く説明が出来ない事が判ったので
なんでこうなったのか?という
結果的に今までの音楽人生のキャリア的な事を書いていこうと思います。
「初めての楽器(中学時代)」中学時代、同級生の友達2人がギターとドラムを始めると言い出しました。
僕は音楽の