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「無理ゲー社会」「大下流国家」を生んだ責任は…

40歳くらいに意識の断層があるのだろうか。
私はそれなりに若い世代をわかっているつもりでいたが、実は何もわかっていなかったことが明白になった。若い世代が優秀であるのは間違いない事実であるが、彼らが活躍する社会環境は正直言ってないと思える。この世代をどう社会の中心においていくのかが、これからの日本にとって重要であるが、かなりの若者は自信喪失状態にあるように感じる。2冊を読み進めながら、以下のような感覚を持つ若い世代が多いのではないかと思えたのだ。さて、どうすればいいのか…

結構忙しくて書きなぐりなので、間違いがあったらすみません。

『経済大国だった日本など再び目指さなくてもいい
今、豊かではないけど、何とか生活できている
そして、今後、この国の成長はどうも無理なようである
だとしたら、無理に成長を目指す「賭け」に出るくらいなら
今の生活を維持できていたらいいから、変わらなくてもいい』

『世襲ではなく、公平な競争をすべきだという人がいる
それは、本質的には正しいと思う
しかし、能力もかなりの部分遺伝するのではないか
私に能力が足りないのかどうかはわからないが、
今、競争に投げ出されても勝てるとは思えない
だから公平な競争とやらに投げ出されるより、
しっぽを巻いて逃げ出して、
今の状況を世間のせいにしておけば、
今以上傷つくこともない
だって、生まれで負けて、実力でも負けたら、立ち直れないではないか
チャンスを活かせ、つかみ取れと人は言うが
それは能力のある一部の人だけができることだろう
とりあえず生きることに困らないのであれば、
競争から早々に退散し、今を肯定するのである』

これが、もしかしたら今の若い世代の空気感なのだろうか。
教えて欲しいところだ。
彼らは、バブルも知らないし高度経済成長も知らない。
彼らが気づいた時には、日本は低迷の時代に入っていたが、低迷の時代とは言っても、治安はいいし何とか食べられる社会にいて、映像で見る途上国のアフリカやアジア諸国のようには困ってはいない。だから、変に変わるよりは変わらない方がいいと感じているらしい。
しかし、今の日本は30年以上成長しておらず、少子高齢化による社会保障費の負担率は私が若い頃より2割以上は上昇しているはずである。
そして、積み上がった国債を返さねばならんと、積み上げた本人の無責任なジジイ達がのたまう。
加えて、海外諸国の所得は相当に上昇しているのに反して、日本の所得はこの数十年ほとんど変わっていない。政策関係者にこれを指摘すると、我々が対策しなかったらもっとひどい状況になっていたといいはるのである。もちろん、他国との違いや論拠は明確には示されないのだが。
つまりは、このままでいいという考えでは、いわゆる「ゆでがえる」状態になり、急速に貧しくなっていく可能性が高い。一歩でも上へ行く気持ちを持って、何とか現状維持ができるのではないかというのが、世界的に見た日本の現状だと思う。

11月18日に経済対策で55兆円の予算が決定されたが、20日の日経の記事によるとこのうち投資部分は良くて2割止まりだろうということである。私は投資的支出が今もっと必要であると思えるのだが、どうもそうなってはいない、予算に関しては、すぐに財源という人がいるのだが、少なくとも投資的経費と生活支援的経費、いわゆるバラマキ経費は分けて議論して欲しい。投資的経費は将来のリターンのために支出するものであり、日本では自国通貨建て国債を発行すれば実質無利子でお金が調達できるのである。将来にわたり返せる目処がないのであれば、慎重に判断する必要があるが、資産、資本となるものに関しては限度はあると思うがあまり慎重になりすぎないことが必要だと思う。財政破綻論を言う人には、ぜひ1982年の非常事態宣言以来、国債が増え続けているのになぜ財政破綻していないのか?どういう状況であれば財政破綻するのか?非常事態宣言が出されていながら財政規律がこれまで守れなかった責任はどこにあり、その責任を子世代に取らせるという失策の責任をどうとるのか?を聞きたいところです。

2冊の本で、今の日本の社会状況が何となくわかってきました。
国債残高を返済するための方策が見当たらない中、MMT論があり、さらに今の資本主義変えちゃえばいいんじゃないという、社会的共通資本論や共感資本主義、里山資本主義、信頼資本主義などが提唱され、それなりに出口が見えるかなという感じはあったのですが、多くの若い世代の意識が2冊の本にかかれているような状態では、出口方策の運用は難しいかなあと思えるところです。

どう変えるべきかを考えないといけないですねえ。

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