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映画「デュアル」自分のクローンとどう対峙する?!

こんちには!
海外へのフライト中は映画を見る貴重なチャンスだ。しかも、普段なら絶対に見ないような映画を。

もし、機内でハイスピードインタネットが無料で使えれば、NetflixやAmazon Primeとかで好きな映画を見て過ごせる。
 
あいにく、この科学技術の発達した現代でも、いまだ機内のインタネットは有料が普通だ。しかもインタネット初期のダイアルアップ回線のようなフラストレーション満載のカクカクとした動きだ。
 
しょうがないので、機内エンタテイメントで暇をつぶすことになる。わざわざハリウッド系の疲れそうなアクションものを見てぐったりしたくない。むしろ、見て激しく後悔するようなB級映画を見てみたくなる。
 
そんな私におあつらえ向きの映画に出会うことになった。
 


「デュアル」
 

原題「Dual」2022年公開のアメリカのSFスリラー映画。
 

あらすじ(たぶん、ネタバレはしないかもしれないし、ダダ洩れるかもしれない)


近未来、人のクローンを短時間で製作できる技術が確立している。一方、奇妙なルールも法制化されている。

人類は、深刻な病気などで死期が迫ると、残された家族などのために、自身のクローンを後任(リプレイスメント)として有料で作ってもらうことができる。
共存期間中に引継ぎを行い、死後、本人の役割を引き継いでもらう。
 
問題は、その本人が死ななくなった場合。原則は、そのクーロンを殺処分だが、クローンが自身の自我を確立し生きたいと思った時はどうする?

この映画の世界では、ふたりのコピー人間の存在は許されないので、決闘でどちらが生き残るか決める制度が確立されている。
もちろん、その決闘前に殺せば殺人罪、その決闘が怖くなって逃げれば別の重罪。
 
この映画でも、死ななくて済むことになった本人(オリジナル)とクローン(コピー)による、最期の戦い(オフィシャルな決闘)に向けた準備が始まる。

映画の世界では、この訓練期間の業界も確立しているようだ。オリジナルである本人は個人トレーナーのもとで体力強化から、決闘でのありとあらゆる殺し方を学ぶ。もちろん、クローンも。
 
決闘のルールは簡単だ。二つのテーブルには5つの強力な武器が白い布で隠されている。布が取り払われた後、もっとも効果的な武器を選び、いかに早く相手を殺せるかどうかの決闘だ。

どういう訳か、この世界では、この殺し合いと言う決闘がエンタテイメント化されている。まるで日本の学生ラグビーのような感じの寂しい球場に、同じく寂しい観客数でありながら、
物好き?はたまた、その親族までもオリジナルかクローンが生き残りを賭けた戦いの観客となる。
 
この物語では、扱いが難しそうな主人公の女性が不治の病にかかるところから始まる。パートナーとも母親とも関係が今ひとつ。
即、クローンを作ってもらうが、クローンだけに素直?であり、パートナーとも母親とも良い関係を構築する。むしろ、オリジナルの方がコピーのような存在になる(どうせすぐ死ぬから)

幸か不幸か、不治の病が奇跡的に完治してしまう。もちろん、クローンの殺処分も心情的にできない中、生き残りを賭けた戦いのカウントダウンが始まる。可哀そうな主人公は、パートナーからも母親からも離れ訓練に明け暮れる。
 
訓練でどんどん戦えるスキルと体力を得て自信を持ちつつある本人。それでも、本当に冷酷な人間にはなれないところに、コピーが確実にある意思を持って本人の目の前に現れる。果たして、この二人の行えは?!
 
そんな映画だ。
 

感想
 

100分未満の短い映画。B級感満載だが、アメリカではなくフィンランドでの撮影も異国感や近未来感を表しているようだ。

現実的に、クローンは実現可能と思うが、法制化や決闘が商業化されるとは思えない。思えないような世界を描くのが映画とするなら、このような世界で、もし、私が不治の病に
罹ったらクローンを作るのだろうか?
 
仕事では、死ぬほど忙しい時、私のような人がもう一人いたらと思うが、実際に、目の前にいたら、生意気で絶対に嫌いなると思う。
家族のために、クローンを後任として用意すべきかどうか?あいにく、私のクローンを必要とするような家族も多くない。

もしも、決闘のような場面になったらどうするか?死にたくないから必死で特訓するかもしれない。でも、相手は同じDNAのクローン。きっと同じくらい訓練するから、勝てないかもしてない。
いい加減な私だが、一発勝負の試験や勝負事には運がある方だが、クローンも同じだろう。

そうなると、生き残りを賭けた戦いは避けて、戦う前に相手を葬る方が簡単なのではないか。
そんなことをあれこれ考えさせる奇妙で面白い映画に出会った。

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