GW2024

今年のGWの期間は、阪神甲子園球場に二軍の試合を観に行ったのと友人とコナンの映画を観に行った以外は特に目立った外出はしておらず、大半を家で過ごした。(二軍戦のチケットが映画のチケット代より安いなんて)

期限が迫っている番組を移動中にradikoのTFで聴き、パンパンになったHDDの空きを作るべく録画した番組を観たり消したりして、欲しい本を新たに買って読むために部屋に積んでいる本を読んだりした。家に既にあるもので過ごすのでコスパは良い、ただ追われている感が凄い。

この追われてる感はなんなんでしょうね。

追われている感といっても録画した番組を見るのとradikoやTVerでは感覚が全然違って、録画した番組を見るのは古いレコーダーなので「壊れるなよ!」という心配は少しあるが「録画したい番組がスタートする前にできたら見たい」という焦りや心配で消費している感が強いのに対し、radikoは擬似リアタイの気分になるのでなんだか落ち着く。期限が迫っているのに変わりはないのにね。もしかしたらちゃんと観たい録画番組ではないもの、取り敢えず録画したものとかから見ていっているからかもしれない。ただ、TVerも消費してる感があるんだよなあ。擬似リアタイの感覚は曜日感覚も手助けしているのだろうか。生放送番組の「あっ、今日は火曜日だから星野源のオールナイトニッポンじゃん!」が、収録番組でも「あっ、今日は日曜日だから吉岡里帆さんのラジオの日じゃん!誰がゲストかなあ。」から「あっ、今日は日曜日だから吉岡里帆さんのラジオの日じゃん!タイムフリー期限が迫ってるよ!」になっているだけだし。火曜日に「あっ!一昨日の吉岡里帆さんのタイムフリーで聴かないと!」とはあまりならないので。

ただ擬似リアタイという名のギリギリ視聴というのは、radikoは寝落ちしたら終わり、TVerと𝕏のスペースは通信状況に左右されたりアプリが落ちても終わりというスリルが付き纏うし、見逃し聴き逃しが発生するのでやめた方がいいに決まっている。今はradiko、TVerは再生数や離脱率なんかも情報として上がっているだろうし、ラジオに関してはコーナーにメールを送るのを忘れるので、そんなんええから早く見ろよと毎回思う。一週間いつでも聴ける=全番組が裏被りみたいなもんだろうから数字は大事になってくると思うし。「この一回の集中力」、「落ちたら終わりだ」という危機感が良いスパイスになっているのかもしれない。擬似リアタイとか関係なく、曜日感覚は大事なのかなあ。何曜日はこの番組とか、習慣化というか、体内時計に近いような感覚というのか。

これからも擬似リアタイの日々が続くと思うので見逃し配信、radikoのタイムフリーにはお世話になると思います。脳内を駆け巡るまとまっていない思考のモヤモヤを吐き出せたので少しだけスッキリした。追われたGW2024が終われた。

そしてこの文章を書いている間にまたTVerの「あとでみる」から番組が消えていた。見逃した。追われたと終われたで良いオチがついたな、じゃないんだよ。

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