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パブ男だった話

はじまりました2023年。皆さん如何お過ごしでしょうか?今年は「癸卯」という事で「これまで育ててきたものが芽を出す一年になる」と言われております。
弊社もシード期の事業がたくさんありますので、大胆かつ丁寧に萌芽してまいりたいと思っております。


さて、そんな新年の初稿になる訳ですが、私、大学時代に2~3年メンパブで働いていた事がありました。そうです。もちろん経済的な理由で。

私の家は代々、炭焼き小屋を商っておりました。旧上川郡朝日町の山奥で暮らし、人力で木を伐倒し、土場まで運んで薪を割り、それを炭にするのですが、父は病弱でなかなか仕事を多くこなすことが出来ないし、それまで炭づくりを手伝っていた長男の私が大学で家を離れたのもあって、アパート代はおろか学費を支払うのもままならなくなり、私は苦界へと身を投じ、お水の呼吸を会得し、「耳たぶの剣士・熊原友介」という源氏名で呼ばれたのでした。



もう誰も「〇〇の呼吸」って使ってません


もう記憶は朧げなんですが、店のシステムは2000円で2時間飲み放題+1フードの店で、卓はVIP*2(10人くらい入れる)、フロア*20(1宅4人くらい?)でまあまあの広さの箱でした。営業時間は19時~5時まで。またそのメンパブ、変わっていたのがニュークラ併設型だったんですよね。もちろん硝子張りの仕切りはあるんですが、厨房は共用で、そっちも20卓くらいはあったと思います。キャストの質はあやまんが100点だとしたら25点くらいが平均で腋臭が多かったです。
メンパブの客層は若くて、殆どが20歳ちょろちょろ。まあメンパブなのでお水の女剣士が仕事上がりで多くいらっしゃってましたね。

私の業務はまず接客ですね。指名もありました。僕は口下手の床上手なので接客は苦手で大変でした。ただ指導してくれた先輩が話題の作り方などを熱く教えてくれる方だったので助かりました。その先輩は客はあまり付いてなかったのですが、仕事を教えるのが上手だったのでみんなから「教授郎」と呼ばれていて、お客様の煙草に火をつける時にZIPPOを使うという、マナーに欠けるが炎のように熱い、まばたきの少ない、熱い男でした。




ちょいちょい本編に必要のないくだりを入れる癖やめたい


それでステージではないのですが、ホールに結婚式の二次会とかでダーツゲームとか余興とかをやれるスペースがあって、1日に1回か2回、そのスペースを使ってキャストによるショータイムも行われていたんです。

ある日、開店前に会議がありまして、営業成績とか何か問題とか話をする場なんですが、部長から「だいちゃん、やる気ある?」と問い詰められました。その部長、理不尽な事で有名で皆から嫌われていて、あからさまなツーブロックのヅラだったので「無様様」と呼んで馬鹿にしていたのですが、「全然指名もらってねーじゃねーかお前!やる気ないからだろ??」とかなりの剣幕でした。

ただ、やる気うんぬんよりもまだ働き出して10日くらいだったので、「じ、自分はそう思いません!」と反論したところ火のついた煙草を僕に向かって投げてきたんです。で、「お前今日からショータイムやれ」と。





で、もうその日からいきなりショータイムに出る事になったのです。

開店し、ショータイムの時間が刻一刻と近付いてきます。心臓が破裂しそうな勢いで鼓動を打ち、接客どころではありません。ノープランのまま、ショータイムの時を迎え、ホールは暗転し、ショータイムを告げる布袋寅泰のバンビーナが大音量で流れます。DJに「西城秀樹のヤングマンを流してくれ」と告げ、バンビーナが終わるまでの間、僕は控え室でボーリングのピンの着ぐるみを着て立ち尽くしていました。


そこから先の事は余り覚えていないのですが、僕はヤングマンの音に乗せ、昔、父がなにかの儀式で見せてくれた演舞を舞いました。ショータイムが終わると併設されたニュークラのお客さんやキャストもホールに雪崩込み会場は興奮の坩堝と化しました。終演後、部長が見せた嫌な笑顔が今でも忘れられません。


それからその店は大流行りになり、お客さんが殺到しました。
芸能人の方もたくさん訪れ、過去最高の売上をずっと更新し続けるような事態になったのです。

そこで稼いだお金はもちろん、学費や生活費、時には実家へ送金、などせずに全て4号機に溶けていきました。





誕生日おめでとう



次回、9人ニキ、散る。でお会いしましょう。

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