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讒文芝居

中学校の教諭が授業中に曰く
「芸術って、巧い人が巧く遣るのが凡てだと想う乎ね?」

違げーの乎よ。

多分、教室の誰しもの頭に去来したろう。

「違うんだ喃ー。弩下手喃人が懸命に遣って、其れでも下手!
其れも芸術」

「でも、先生。其りゃあ素人と変わらんですぜ」

矢張り誰しもが想ったろう。

「サッカー在るでしょ?彼れって、誰ーも邪魔せんでゴールしたら?
面白い?面白く無い?」

面白く無えに決まって居る。

「詰まり、困難在ればこそ成功に価値が生じる訳で、
成功成功って容易過ぎ足ら、誰も興味何乎持たないでしょ」

癪だったが、頭に電流が奔った気がし度。

中二病の走りの「重度の昔マニアでしょ乃公病」であったので
新作其方退けで昔の映画や音楽…文化と謂う文化をば

手当たり次第に漁って居た。

苛められっ子で在り、友達も殆ど居らず
生来の天邪鬼の所為も

両親が別れて環境が他の子と違うってのも

生まれて三度も死に損なっ度所為も御座ったろうが

現状の境遇からの逃避も在ったろうが

其の場で容易く眼や手に這入る物が
実は真実からは遠いと感じて居た。

昔の物は、其れは外れも多いが外れは外れ為りに自由に拵えて在り、
可愛気も在り

中りと為れば、其の濃さは半端じゃ無乎っ度。

何故乎?と想った。昔のが困難だったからじゃ無えの乎。

滅茶滅茶深く考え抜かねば、明日も危うい。
何ん喃冒険選りも、困難喃日常のがスリリングに想え度。

只今は流石に色色知ったので浅はかだったが、一理は御座る。

漫画の主人公も、兵隊やボクサーや忍者、F1レーサーが其の昔は
多乎っ度。

矢張り、極限に身を置き、命辛辛。

其の時、三度死に懸けた暁に病室の天井ばっか見詰めて想ったのは、
「人生何も出来無いからつって、何もせねば何も無く死ぬ」
「病気で好かった喃ー」って事で。

否、厭じゃんスガ好いと謂う乎。

あたしの如き、不感症の如き人間は世の中が実感し難きもんで。

多分、生まれたてで死に懸けたんで親が甘やかしたので
人生が空っぽだったのだ。何も脅かさぬ。

其処に、定期的に死の宣告が立て続けに来るので

稀代の怠け者と雖も、突き詰めて考え然るを得ぬ。

生きるのが容易いのは、成功ばっかって事で御座ろう。
其れは、其れで愉しいだろうが。

あんまし、容易いと人はあんま憶えて無え。
多分、直ぐに記念撮影すんのも忘れちまうからじゃんしょう。

大体、後で笑い話の語り種に為るのは、決まって失敗談だ。

病気の人間は毎日が御手軽にドラマチックだ。
抛っといてもピンチが我武者羅に攻めて来る。

まあ、云う程楽でも無いが、「何も無い選りはなんぼ乎まし」

人は、誰乎が困難に在ると嗤うが、其れってマジに莫迦で御座る。
だって誰だって、絶対に一度は死ぬ時間制限附きだのだ。

困難に臨まぬとも宜しいのに、自ら困難に立ち向かう御仁。
綺麗事じゃあ無くって、無理も無えと想う。

まあ、其の困難の種が好きな物の範疇なんだろうが
時間制限内に最善を尽くして居る。埋めようとして居る。

一見、無駄や駄目喃事をして居る人も
「本来何も無い人生を某で埋める」と謂う事では
「其の人の価値観に従って、一度に懸ける」と謂う事では

万に一つも詰まらぬ人生は無え。

刑務所に這入るも宜しい。
煙草を喫い捲くるのも宜しい。

病気や窮地を愉しむのも宜しい。

他人様は謂う乎も知らぬ「不幸喃奴」

だが、下手喃事を莫迦が懸命に遣るから面白いのだ。
下手喃阿呆の一生も然り也。


■ヘヴィ・メタル「人間椅子」

「深淵」