讒文芝居

「雨ニモマケズ」は消極的喃、遣る気の無え
「哲学的ゾンビ」を目標として、若い裡から本気に為らずに

屁も放らず沈香も焚かず、懸命為る御仁をば嘲笑う事で
姑息に生きる事を是とする様に想えて、蛇蝎の如く厭って居度。

「乃公ぁ莫迦だから」と遣る前から諦めて遣らずに暮らさば
実りは無い乎も知らんが危うきも無し。
石橋を叩きもせぬし、渡りもせぬが吉。

つってる如く感じて余計に厭だっ度。

然る日、TVで庵野秀明さんが

「心を無くし度い。其れならば創作機械としてどんどん創る事が出来る」
(意訳)
つー様喃事も口にし、其れにも奈何ともし難き違和感を憶え度。


「○周して面白い」と謂う言葉が御座る。

詰まり、縦横無尽に遣り尽くし度先には「当たり前」に回帰する。

奇を衒い切った先には莫迦や下手を打ち捲くっ度
「挙句は何でも無い」が遺る。
凄まじいやら弩豪いを超えるには百手以上読んだ先に
「遣る必要が無え」が立ち昇る。

面白き事に「初めから諦めて遣らぬ」のと「最早、遣る必要が無え」
は傍からは区別が附かぬ事也。


極端は実は遣り易きに御座る。
微妙、絶妙の境地こそが、弁えた減り張りが難しき。

機械が大凡、0と1だのは「道具」だからで御座る。
一遍通りに遣る丈なば、機械の方が速いし精密。

人を叱る事が出来るのは人丈だ。
其れは、色色解って居る上で感情を容れぬ事が出来るからだ。

「真心が御座るのに、心無い事振りで誰乎の未来に意味を与える」
其れが出来るのは人間のみにて。


人は誰しも空っぽだ。其れは頭の良し悪しでは無え。
世の中、賢しき莫迦も阿呆喃悧巧も居る。

例えば、他人様から相談を受くる場合に
相談者は別に「貴方の本音」やら「真実」を望んで無え。

聴いて欲しき。解り切って居る一言を云って欲しき。
其れ丈也。其の場合は、実なんざ無え方が無い丈宜しい。

真実なんざ、人が違わば十人十色。
時代が違えば百八十度別の意味。
思想に拠るなら千変万化。

忘れ勝ちだが、言葉の先に御座る「何乎」を伝えるのが目的だのだ。
其れを実現然す「工夫」こそ意味の無い物に朧気に意味を持たせる事が能う

…乎も知らぬ。

例えば、解説やら説明でも、物凄く高度で複雑喃事を知って居ても
余所様が凡て同じ力量では無えのが世の中で。
誰もついて来ぬのならば、内容は無いのと等しき。一縷も届かぬ。
だから、同じ地平に下がって噛み砕く靭やかさが肝要也。

例えば、凡てを説明し切る事が、
実は実感や納得を退ける事に為る乎も知らぬ。
相手は云うだろう「深いねえ…」「其の発想に辿り着ける何て凄い!」
でも、真に相手の事を想うなば、
巧い示唆や助言を与え無いならば意味が無え。
答えを安易に云っては為らぬ。貴方の答えは相手の答えに非ず。
答えを直ぐに与えては、誰ーも何ーも考えぬ。実感もしようが無え。

「悧巧喃阿呆」の正体は工夫無き独り善がりの為れの果て。
本人は悦に這入って気持ちが宜しい乎も知らぬが、全く機能せずば

頭の廻る意味が無えー!

ギアをローの時はロー。ハイの時はハイに切り替えねば
自動車は動かせようが、交通違反で御縄也。
ハイで四六時中走って度らば、憐れ瓦斯欠乎オーヴァー・ヒート。

斬れる刀喃つーもんは、斬る一大事が無えなば
無用の長物也。其れで宜しき。

普段は鞘に収まって居るから便利だのだ。


■電気電波テクノ「電気グルーヴ」

「人事を尽くさず天命を待つ」