叩き上げ議員の限界なのだろうか?
先日、日本維新の会の音喜多参議院議員がこんなブログを書かれていた。
一部を引用すると・・
政治好きのメンバーと今年1年の政治経済を振り返り、菅総理の支持率や今後の見通しについて語り合っていたのですが、
「菅総理の著作や発言を分析すると、やはり『これをやりたい』『こんな国を目指したい』という政治思想が本当にないのでは」
という話題で盛り上がりました。
実はこれと全く同じ会話を、政治に関心のある方々と何度もしたことがあります。
菅総理は携帯電話の引き下げなどいろいろやろうとはするが、最終的にこの国をどんな国にしたいのかビジョンが丸っ切り見えない‼️‼️と、誰しもがそういうのであります。
安部前総理は、賛否両論あったにせよ、どういう国にしたいのかという方向性だけは見えていた。だから、それに賛同していた人たちは、不祥事などがあっても支持し続けたわけです。だから、一旦支持率が下がっても、しばらくすると回復したのです。
しかし、菅総理にはそれがないので、問題が起こる度に支持率は下がっていく・・
菅総理は就任前は叩き上げで実務能力に長けているというイメージだったですが・・しかし、私が疑問に思ったのが、就任直後の国連総会でのスピーチであります。
日本語でスピーチをして、英語の字幕がついています。ということは、菅総理は英語が喋れないのです。
『低学歴のクズ』とネットなどでアンチから罵られていた安倍前総理は英語でスピーチをされていた・・ということは、安倍前総理の方が教養があることになる。
おそらくだが、安倍晋三さんという方は、その家柄から立候補する前(父親の秘書時代)から、総理大臣を目指していたのではないかと思う。だから、自分が総理になったらどういう国にしたいとか考え続けてきたのではないか? そして、英語でスピーチをする機会は当然出てくるので英語の勉強もしていた。
それに対して、横浜市議から這い上がってきた菅総理は、官房長官をやられている途中で、自分は総理になれるかもしれない?と思い始めたのではないかと思う。そして、実際になれてしまった。だから、総理になってこの国をこうしたいという国家観を持っていなかったのではないか? そして、英語の勉強もしてこなかった。
二世議員より叩き上げの議員を私は評価したいと思うが・・しかし、菅総理を見ていると、叩き上げの議員の限界のようなものを感じてしまう。
来年中に菅政権は終わるだろうね・・国家観の無い人間が総理を続けるべきではない。