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世代間ギャップと教養の境界問題

先日のワイドナショーでデビルマンが話題になっていた。
高校生の女の子が〝わら半紙〟について質問され、「なんにも知らない(です)。見たこともない」と答えた。それに対してわれらが松本人志は「誰も知らない、知られちゃいけない。みたいな言うな」と返したのである。
これはデビルマンのEDテーマの一節である。

たしかにあの女子高校生の答え方には丁寧ながらも逆ギレのような強調が感じられ、また独特のリズムがあって(瞬時にデビルマンの曲が浮かぶかどうかは別にして)多くの視聴者にざらつきを感じさせたはずだ。その小気味よさになにか言えそうな感じだ。

その日、世代間ギャップ(単語の使い方や所作)が話題に上っていたので「デビルマンも知らないし、おじさんたちはそういう古い喩えはやめてくれ」という流れになった。
この流れには大いに戸惑った。なるほど、そもそもデビルマンのテーマを知らない世代が社会に進出していたのだ。わたしとてデビルマン世代ではないし、アニメも観たことなければ、原作漫画のあらすじすら知らない。しかし件のテーマソングのその部分は確実に聴いたことがある。
ツッコミフレーズのチョイスとしてはかなり良い。同級生と酒を飲んでいるときにあの喩えを出せばみな笑うだろう。その場に20歳の子たちがいたとしても、おそらく使う。デビルマンは絶妙なチョイスである。しかし20歳の子たちは笑わないだろう。知らないのだから。

こんな日がきてしまったのかと少しだけ悲しくなった。
松本人志ですら(内心はどうあれ)寝耳に水というテイで、喩えが通じないという話の流れを引き受けた。あそこまでド真正面で松本人志を古い扱いすることなどそうない。
歳を重ねると、若手を笑わせることすら排除の対象になるのだ。小馬鹿にされるのだ。相手にされなくなるのだ。これはなかなか悲しい。歳は取りたくない。
(が、EXIT兼近という人を初めて見たけど、あそこで話を大きくしたのはとても好感が持てた)

で、少し考えた。
じゃあ、あの場面で「デビルマン」以外の喩えはあったのか? という現実である。例えば芸人という同じ土俵に立つEXIT兼近は、松本のデビルマンに代わる喩えツッコミをしたのか。あの女子高校生の言い草には見ている者全員がざらつきを覚えてなにか言えると思ったはずだ。
あそこに合わせるベストが「誰も知らない~」だとしたらそれはもう仕様がない。言わざるを得ない。知らないまま生きてきた受け手側の問題だと思えてこないだろうか。

〝教養〟などという言葉があるが、それに近い。
もちろんデビルマンは教養であると強弁するつもりはないが、よくよく考えてみればジェネレーションギャップ以前にこの問題はあった。

例えば――、
A「おまえはなにが怖いの?」
B「おれは女の子が怖い。特に10代の女の子がなにより怖い」
この二行だけでピンと来る人はピンと来る。
さらにBが実は女好きで、Aがいたずら好きで、など設定を足していけば「まんじゅうこわい」の亜種だと分かりやすいだろう。
しかし「まんじゅうこわい」を知らないと、上の二行じゃ絶対に気が付かない。落語が基礎教養だとも思わないが、「まんじゅうこわい」はかなり有名な古典落語だ。知っていて損はない。こういうことをどれだけ知っているかが、あらゆることを楽しめるか楽しめないかの差に繋がるのではないだろうか。
知っておけばこの先の人生で、まんじゅうこわいテンプレート、を使って笑いを取れる日が来るかもしれない。

SFの名作〝涼宮ハルヒの消失〟のなかで、切羽詰まった主人公が「キリストか、釈迦か、マホメットか、ゾロアスターか、ラヴクラフトか」と祈りを捧げる対象を片っ端から思い浮かべるシーンがある。
気付かなかった人もいるだろうが「ラヴクラフト」は主人公のボケである。ラヴクラフトだけ近代の小説家だからだ。クトゥルフ神話という存在しない神話をでっちあげた(失礼。創作した、です)作家なので名だたる神様的なものと並べられた、というボケなのだ。
クトゥルフ神話も教養ではないだろうが、そのことを知っていれば上のシーンではにやりとできるし、読みながらあなたがツッコミに回れたはずだ。
笑いはつっこんだときに生まれる。
知っていた方が楽しめるのである。

人魚の肉、も同様である。食べれば不老不死になるというのは有名な伝説であるが、知らなければそれを前提にした物語はなんのこっちゃになってしまう。
世の中にはこうした(ギリギリ常識と言えなくもない)設定というのが無数にある。だがそれは〝知っておいた方が良い常識〟として色分け・カテゴリ分けされていない。気が付いたら記憶の棚に並んでいる程度のものだ。
知らないことを馬鹿にしているわけでもないし、もちろん馬鹿にされる理由にはならない。

だから、である。
一番最初のデビルマンのくだりを世代間のギャップとして片付ける必要はないじゃないか。まんじゅうこわいやラヴクラフトを世代間ギャップとして処理しないのだから、デビルマンだってそっちの仲間に入れてくれ――。

無理があるだろうか?

コロナ自粛のなか朝からビールを飲み、ワイドナショーの録画を見ながら書き殴った。
認めよう。
負け惜しみである。


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