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春馬くんと星野道夫さんの魔法のことば

春馬くんが好きだった星野道夫さんの書かれた「旅をする木」
私は春馬くんのことは彼が10代の頃から好きだったけれど、熱心に追っかけをしていたファンではありませんでした。

だから春馬くんがいなくなって、知らなかったことが結構あって驚いていることがあります。

そんななかで、「そうだったの!?」
という中に星野道夫さんのこともありました。
まったく偶然に図書館で「旅をする木」を見つけて、脚本家の根本宗子さんの本もそうなのですが、あの広い図書館の数多あるたくさんの本の中から偶然に春馬くんが星野道夫さんを好きだと知らないで読んでいて、私も惹かれていたのです。

星野道夫さんのことは、ファンのあいだでは有名だったんでしょうね。
私が読んだ図書館の本は、かなり読み込まれていた古い文庫本で、(今は新しく本を買い直しましたが)
読み始めると星野さんのアラスカに向ける自然を表現する豊かな言葉とその人柄を想像出来る寡黙さとあたたかさのある文章は、アラスカへの憧れと好奇心に呼ばれて、静謐な文章は自然と対峙する厳しさと優しさにアラスカを親近感にあふれる場所へと変えていきました。

春馬くんが時に触れて「旅をする木」を読んで、自分のエネルギーに変えていたと言っていた気持ちがとてもわかります。
アラスカに行きたかったでしょうね。

今、私は2010年に1刷目が出て14刷目の文庫化した「魔法のことば」を本屋さんで見つけてゆっくりゆっくり読んでいます。
この本は星野さんがいろんなところで講演した内容を文字起こしして本にしたもの。
星野さんの撮られた写真も添えられています。

星野さんの本を読んできた人たちには、
その内容は星野さん自身の文章で目にした言葉たちです。
子供たちに向けての講演会もあり、「魔法のことば」を読みながら、かつて読んだ内容を思い出したり、あらためて考え直したりすることがあります。

あらためて考えてみること

そんななかで心に止まったのは、
星野さんの生き方を変える事になったと書いてあった中学生の時からの親友が21歳の時に山で遭難し、その死を星野さんが受け止めて自分の中で一年かけて出した結論のところです。

この文章を読んで私はまもなく4年になろうとしているのに私の中で春馬くんのことは、どう受け止めてどう結論出せたのだろうかと考えるとぜんぜん結論を出せていないと思うばかりです。
時が一部2020年で止まってしまっているんですよね。

自分の中に結論は出せないけれど、
春馬くんがいなくなったことによって
私の中でなにかが大きく変わってしまった実感はあります。

それを言葉にすると、子供の時にみなさんも考えられたことがあるとは思いますが「自分が必ずいつか死にゆく存在」だと知った時の気持ちです。

この気持ちは成長するにつれて生きていく大変な日々のいろんな雑多なことに紛れて気にしていられなくなり、「まあいいか、いつかは死ぬにしてもそんなことは、はるか先のこと。目の前の雑多ことを今は片付けなければ」という気持ちに紛れて薄れていくといったことです。
忘れたわけではないけれど、日々のことにいっぱいで気にしてはいられないのでしょうね。

私は大きく、人には2種類の人がいて、
この「いつか死ぬことは、わかっているけれど
気にしてはいられない」という人と
「死ぬことをいつもどこか意識して生きている人」に分かれるのではないかと密かに思っているのです。
そして私は春馬くんがいなくなるまでは、
確実に前者だったのですが、あの悲しい日からは
後者になったんだなと思っています。

このことはその人の年齢や立場も関係するのかも
知れませんが、星野さんもアラスカで暮らしながら、もしかしたら後者であって、春馬くんもそうだったのかもしれないと思っています。

自分たちは生まれたその瞬間から、残された時間を生きていく。
それを意識して生きるか、意識せずに生きていくか。

どちらが良いとも言えないのですが、アラスカの地で死と隣り合わせに生き、自分の周りの全てを愛して生きた星野さんだからこそ紡げた「魔法のことば」だと思いますし、自分の置かれた世界で全身全霊で生きることに向き合っていた春馬くんだから、その残された作品は、心に届くのかもしれませんね。

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