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映画感想「シン・エヴァンゲリオン劇場版」…一番面白いアニメ・エヴァンゲリオン

2021年3月8日

冷たい雨の降る早朝、まだ暗い空に向け傘を差し出かけた。
肌寒い空気の中でも、高揚感の為に辛さを感じなかった。
この感覚が心地よかった事は忘れないと思う。
「もう既に面白いんだよな」、そんなモノローグと笑みがあった。


1995年のオタク少年

平成7年、当時14歳だった小生だりあは高校進学目前で片田舎から街への通学を楽しみにしていた。中学までは自転車で通っていたので、純粋に遠くの街に電車で通うのが格好良く思えていた。
確か高校の下見の帰りに寄った本屋で、ある漫画目当てで少年エースという創刊間もない雑誌を手に取った。そこに掲載されていたのがエヴァンゲリオンというSF漫画の第一話だったが、「ちょっと面白そう」程度の認識に留まっていた。
この頃アニメ・声優に興味を抱きビデオに録画しては繰り返し観る少年だった小生は、夜はアニメ関連のラジオ番組を深夜まで聴き漁り学校ではいつも寝不足という有様だった。高校生活が始まり最初の夏、秋からの新番組として「新世紀エヴァンゲリオン」という作品が始まる事と主題歌、残酷な天使のテーゼを耳に入れた事で先の漫画を思い出し、数ある作品の一つとして全26話を毎週、ビデオに録っていた。


2021年という混沌の時代

それから26年が経った現在、VHSテープなどは過去の遺物となり映像作品はデータで売買される時代になった。高校生だった小生は40代になり、地元を離れ関東で会社員をしている。趣味に打ち込むオタク気質は変わっていないが、世の流行りを認知するのが精一杯であり、十代、二十代の頃の熱量は思い出になりつつある。
また今、新型ウィルスの蔓延により社会全体が大きなダメージを受け、生活の在り様まで変わってしまった。ここまで来て、95年に出会ったエヴァンゲリオンがようやく完結を見た。小生自身も世の中も大きく変わったが、この作品はその変化を「面白さ」に結び付けた大傑作であると言える。


シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

今、小生は脚本を学び始め5年が経つ。コンクールで最終選考に残ったのが一度あるのみでまだ形となって世に放たれる段階ではないが、それでも作劇の基礎を身につけつつ古今東西の映画を数百本は吸収している。その学びの中で得た「面白さとは何か」への明確な答えがある。
それは、キャラクターでも状況でも、「変化」がある事。
弱かった主人公が強くなる、またその逆。
劣勢だった状況から優勢になる、またその逆。
漫画、小説、映画、なんでも、読者・視聴者が惹きつけられる時は「変化」があった場合であるというのは普遍的な定理である事を教わった。
今回の映画は155分という長尺ながら「変化」に富んでおり、面白さでは四部作の中で随一だと言える。
そして何より、TV版&旧劇場版からエヴァに触れて来た人間にとっては、新劇場版全体が「変化」に溢れる面白さの塊だった事をこの最終作で改めて認知させられた。

新劇場版は、旧エヴァと比較すると随分明るくなった、とよく言われる。それは世紀末思想により閉塞感があった90年代とそこから解放された2000年代の空気感の違いだろうと思う。庵野監督自身の変化も含め、時間を経たことが作品に推進力を持たせた珍しいケースではないだろうか。
観客の目線でいくと、既に観たエヴァンゲリオンが新しく作り直され、前よりポジティブで明るいというだけで興味深く面白いものなのだ。
今回のシンエヴァは、前作Qで語られなかった「14年後の世界」がほぼ全て描かれきる。何もかもが新情報、知りたかったことで、それらが皆旧エヴァからの変化である。「旧エヴァと同じ」という評文もあったが、それは残念ながらエヴァへの関心が薄れてしまっている人の惰性の現れでしかない。

第3村に流れ着いたパイロット三人、そこでシンジは大人になった旧友達と再会し更に苦しい中で懸命に生きる様を見る。黒波ことアヤナミは村の人々に混ざり働き、人間の暮らしと感情を覚えていく。だがアヤナミは傀儡ゆえその命を失くし、それがシンジを奮い立たせるキッカケになる。
アスカと共にヴィレの旗艦ヴンダーに戻ったシンジ。
ネルフの人類補完計画を阻止する為の戦いが始まり、セカンドインパクトの爆心地カルヴァリーベースでの激闘。しかしそこはヴンダーと初号機を奪還するための罠が張られており、アスカは新2号機と共に散る。フォースインパクトが始まり、更に首謀者碇ゲンドウは十三号機と共に更なる儀式の場、ガフの扉の向こう…マイナス宇宙へ飛び立つ。
隔離されていたシンジは初号機への搭乗を志願、そこでぶつけられるクルー達からの怨恨。艦長ミサトの負傷を以て激情が鎮まった後に決戦に向かうシンジ。
マイナス宇宙での十三号機と初号機の死闘。力での決着ではなく対話による相互理解に向け歩み寄る親子。そこで、世界を壊さんという狂気に走ったゲンドウの背景が明かされる。計画通りに進んでいた最後の段階で、世界を守ろうとする人の意志が新しい槍・カシウスをシンジに届ける。
逢いたいと懇願していた妻はシンジの中に居た…それに気付いたゲンドウの補完は終わり、シンジは「時間も世界も戻さず、エヴァの無い世界を」とNEON GENESISを宣言し地上に帰還する。
数年後、成長したシンジとマリは手を繋ぎ晴れやかな街に向かって駆け出していった。

旧エヴァまで含み、繰り返しの物語であった事を消化して美しい着地をしてみせたシンエヴァ、新劇場版。
映画としての完成度もさることながら、二時間半どこをとっても面白く、心が前のめりにならない時間が存在しなかった。
ただひたすらに、素晴らしいという他ない。


1997年の拗らせ少年

思えば24年前、旧エヴァが完結した時の淀んだ気持ちはまさに「呪縛」だったと言える。
TV版での謎が明かされる、という謳い文句に期待を込めて春、夏と二度の映画公開に足を運んだが、17歳の小生には「よくわからなかった、でもわかる人にはわかるんだろう」と自分を納得させて「エヴァってどういう話?最後どうなるの?」と聞かれた時の答え方を必死に考えるのが精一杯だった。
自分が好きで観て来た作品の結末が納得行かず、かつ面白くもなかった事を認めたくないがためにTHE END OF EVANGELIONを「理解できた」振りをする毎日が始まった。「面白いと思ってる」と自分に言い聞かせながら、あとはその頃多数あった考察本から腑に落ちるものを探す、といった具合に。
それでもエヴァという作品の面白い部分は変わらないので、やがては「結末については語らない、でもエヴァマニア」という人間が構築されたのである。


ようやく胸を張って

新劇場版が始まる前、始まってからのことは別項にしてもいいと思うので割愛するが、今回のシンエヴァを以てようやく「エヴァンゲリオンはクライマックスも凄い、面白いアニメだ」と言える様になった。ここに至るまで26年の月日がかかったのは大変な事だが、庵野監督含めクリエイターの方々と共に歩んできたと思えば変化、成長の記録として綺麗なものとして残る。
それは「呪縛」ではなく「軌跡」だから。
振り返ってみても、これだけの道を歩んできたアニメ、映画、その他のエンターテイメントは存在しない。紆余曲折もひっくるめて「終わりよければ全てよし」の諺を以て「エヴァンゲリオン」にお礼を言いたい。

一番面白いアニメだったよ。
さようなら、エヴァンゲリオン。

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