東京都北区赤羽〜町を照らす灯台が如し【お菓子の種屋】〜
東京都北区。
暴れん坊将軍(8代吉宗公)プレゼンツ!の由緒正しき歴史を持ち、今や都内屈指の桜の名所として名高い 「飛鳥山公園」を筆頭に、明治期に多くの文人を惹きつけた高台・田端や滝野川など、風流の香りを今に残す・・・・
だけではなく、都内唯一のチンチン電車が駆け巡る区域には、清野とおる先生 の大ヒット漫画「東京都北区赤羽」で全国的知名度を誇る様になった最強の人情タウン赤羽(素敵な飲み屋多し!)や、激シブ商店街が縦横無尽に駆け巡る十条など下町情緒も色濃く残す人口約34万5千人、埼玉県との県境に位置する「住めば北区東京」な町。
夜の帳が下りて、町に灯がともる・・・・
味わい深い飲み屋・商店街が連なり、呑兵衛だけではなく若いOLさん達にも人気の町・北区赤羽が今回の舞台。
「赤羽中央街」の一角にあり、子供達はもちろんの事、タバコやお菓子を買いに来る常連さん・ご近所さん、筆者の様なハイセンスな品揃え!と言う噂を聞きつけ遊びに訪れる好事家に至るまで、毎日老若男女で大フィーバーしている「お菓子の種屋」※以下・種屋を紹介します!
種屋・・・・
その名は戦前、種の販売をしていた事に由来します。
戦後に本格的にお菓子の店として再出発を果たしたのは、現おばちゃんの御両親。
近所の人達は、それまでの様に親しみを込めて「種屋さん」と呼んでいたそうで、「ならばいっその事、そのまま店の名前にしてしまおう!」と決められたそうです。
いいですね~。
ほっこりするエピソードですね~。
筆者が訪れしは、或る日の夕暮れ時の事。
近所の学童(幼稚園・保育園からも多い!)から依頼された「駄菓子の袋詰めパック」作りに大忙しの時間帯でした。
子供達が買いに来れば「こんにちは~」と笑顔であいさつ。
今日あった出来事などを話し合い・・・・・
常連さんが買いに来れば「いつもの~」で通じてしまう阿吽の呼吸があいさつがわり。
近況報告など日々のちょっとした事を話し合い・・・・
ひっきりなしに訪れるお客さん達。
その合間をぬって、赤羽と種屋の移り変わり・歴史、人気の駄菓子をエピソードを交えながら、親切丁寧+とても楽しく話してくれた、石井紀江さんと中島麻美さんの母娘二人。
この場を借りて御礼いたしますYO。本当にありがとうございました!
種屋の魅力。
それは店内に溢れる温もりと歴史、そして何といっても菓子・駄菓子の量!
見てるだけでも飽きない=これぞ商い(笑)。
揃わないものある?って感じで。
余談ですが、松山製菓 テキサスコーンシリーズ が都内でここまで揃っているお店、筆者は他に知りません。
ええもちろん。買い込みましたよ!しかも、即日胃袋に入りましたよ!それが何か?(笑)
駄菓子類を店頭に置き始めて半世紀。
この充実のラインナップは特筆に値します!!
さらに、各地の郷土菓子のラインナップもすごくて・・・・
その一つ一つにわかりやすい手書きのPOP紹介(蘊蓄・小ネタもあって最高!)がついてるんです。
長年培った菓子に対して知識と愛情、そして深い敬意が無ければここまで出来ませんよね!
御教授頂いた知識、忘れんうちに復習にいきますね~(笑)
忘れちゃいけない2011年3月11日・・・
復興の一助になれれば!との想いから、御二人は「販路が無くて・・・」と困っていた被災地の郷土菓子を売ろうと決意されたそうです。
※写真は岩手県宮古市の「田老かりんとう(田中菓子舗)」。他にも「みみかりんとう」・「紅はるか」など
「『あー!これ岩手のでしょ?懐かしいや・・・俺、生まれ岩手なんだよ~』とこれを嬉しそうに買っていく人もいて・・・売っている所をテレビ電話で中継してもらったり、わざわざ岩手から来てくれたり・・そういう御縁を大切にしていきたいですね」
そう言ってニッコリ微笑むお母さんと、その言葉を聞いて頷く娘さん。
少しジーンとしながら筆者もニッコリしていたのは言うまでもありません。
ご近所さんが呼び続けた事から屋号になった種屋。
しかし今は、子供達や常連さん、そして遠く被災地の方達の心に、笑顔の花を咲かせるタネをくれる場所なのかもしれません・・・
皆さんも心に笑顔のタネを貰いに、種屋に行ってみてはいかがでしょうか?
※当記事は2016年「大切なことはすべて駄菓子屋が教えてくれた」より転載
「お菓子の種屋」アクセス
JR京浜東北線・埼京線「赤羽駅」 徒歩3分
東京都北区赤羽1‐29‐10