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細かすぎて伝わらないグラミー賞2022よもやま(その1)

【グラミー・ノミネート裏道さんぽ〜ルールいろいろ変わりましたよ、の件〜】

●米国時間11月23日、第64回グラミー賞のノミネート作品/アーティストが発表されましたね。

授賞式は来年1月31日。
しかし、これは毎年のことなのですが、私は授賞式よりもノミネート発表のほうが楽しみなんです。
この季節にノミネートが発表されると、暇さえあるとノミネート・リストを眺めては精査するのが恒例行事になっています。聴きそびれていた曲を聴いたり、「これはおかしいんじゃね?」と文句言ったりしながら、ひとつひとつの作品に思いを馳せ、この1年の音楽ライフを振り返りながら晩酌するのはめちゃ楽しい。イメージとしては、野球場で「オレに監督やらせろっての」とぼやきながら気持ちよく酩酊してるおっちゃんみたいな感じです。

とはいえ、正直、私がもっとも気になるカテゴリーの多くは授賞式当日、テレビ中継が始まる前に決まっちゃって、たいがいグラミー公式サイトかツイッターで結果を知るんですけどね。クラシック部門やアメリカーナ、フォークも基本的にはプライムタイムではなく、プレ・ショウの段階で発表されちゃいますから。
ただ、最近はプレ・ショウの様子もネットで見られたりするので、事前に気になる部門をチェックしておくと楽しいですよ。WOWOW中継が始まる前から、ひとり賭博気分で当たったとか外れたとか騒いだりして。グラミーをより深く楽しめます。重箱の隅をつつく系のネタがお好きなマニアにはおすすめです。

主要部門やメジャーなジャンル、重要な賞についての予想や解説などは、いろんなところで有名な人が書いたり話したりするでしょうし、私も仕事で書く機会があるかもしれないし、今、わざわざ書くのもめんどくさいので省きます(笑)。
このnoteでは、ごくごく個人的な備忘録として、これまで個人的にちょこちょこメモしておいたようなことを、何回かにわけて書き留めておこうと思います。

今回はまず、ノミネート作品の前に、選考ルールについて。

今年はいろいろ部門が整理されたり、選考についての変更もありました。
これが意外と、今回のグラミーの“隠れ見どころ”かもしれないです。
その結果、すっきり見通しがよくなった部分もあり、もしかしたら雑になったかもしれない部分もあります。まぁ、そういうのはルール変更のたびに繰り返されていることではありますが。
レコーディング・アカデミーによれば今回は「透明性と公平性の強化」のための多少のメジャー・チェンジがおこなわれたとのこと。なんとなく、今の時代性なども視野に入れて、新しいグラミー賞に向かっての大きな一歩…なのかなと思わせるようなニュースもあったり、なので、ちょっと期待。

●われわれが毎年、輝く!日本レコード大賞の選考基準はどうなってるんだろうとか審査のマジョリティがいまだスポーツ新聞記者なのは何故だろうとか考えることもなく、ただ、年末にテレビの前で結果だけを見てわーわー楽しんでいるのと同じように、基本的にはグラミー賞の内幕など知る必要もないことだとはわかっているのですが。というか、米国のアウォードなんて、日本とは比べものにならないくらい煩雑なシステムが構築されていて、かつ、いろんな意味でオトナな儀式なので、その内側にいる人でない限り説明できるものではないと思いますしね。

とはいえ、興味深いのは、最近のグラミー賞はどんどん変革をしていて、それがうまくいってるかどうかは別として、アメリカ音楽シーンの情勢に合わせたアウォードとして機能させるための努力がたゆみなく続けられているのですよ。
その結果として、今、グラミー賞というイヴェント全体を見渡せば、とりあえず今のアメリカの音楽シーンはこんな感じなのね…という、だいたいのフワッとした輪郭はわかるような感じにはなっている。大人社会と文化の両立…なんて言いかたは棘があるかもしれないけれど。そのあたりのバランスが、日本とは圧倒的に質感が違うなぁとちょっと羨ましくなったりもします。

●余談ですが。グラミー賞を運営している団体・レコーディング・アカデミーの現在のCEOはハーヴェイ・メイソンJr.。音楽/映画プロデューサー、ソングライターでもあるメイソンJr.氏は、お名前からもわかるように、そう、あのレア・グルーヴ神ハーヴィー・メイソン様のご子息なのです。
いつの間にか業界のエライさんになっているのを知った時は驚きました。

何年か前、ブルーノート東京で見たメイソン・シニアの「カメレオン」ライヴでのプレイがあまりにも神がかっていて今でも忘れられないのですが。こんなご立派な息子さんを育てられて、しかも父ちゃんは神がかりときたもんだ。

ますます神とうちゃんがカッコよく見えてきます。

●さて。今回は、そのメジャー/マイナー・チェンジしたと発表された事項の中で、音楽ファンとして個人的に注目したポイントをいくつか紹介しておきたいと思います。

(1)ふたつの新カテゴリー追加

グローバル・ミュージック部門のBest Global Music Performance、ラテン・ミュージック部門にBest Música Urbana(ラテン・ヒップホップなどを含む、ラテン・アーバン) Albumというふたつのカテゴリーが追加されて、合計86カテゴリーになった。

 そもそも前世紀から引きずってきた“ワールド・ミュージック”という言葉自体が、どこか曖昧で古いものになりつつあったので、単なる言葉の問題だとしても“グローバル・ミュージック”という新しい枠組みになっただけでずいぶんすっきり見通しがよくなった印象はありました。

そして。
この新設のカテゴリー“Best Global Music Performance”に、いきなりヨーヨー・マ先生が入ってきた!この醍醐味。
いろんなワールド系ミュージシャンとコラボしたヨーヨー・マの新作ソロ『Notes for the Future』から、西アフリカ出身のアフリカン・ポップ女王アンジェリーク・キジョーをフィーチャーした「Blewu」でのノミネート。

もともと、この曲は約1年前、コロナ禍でのヨーヨー・マのプロジェクト、#SongsOfComfort
としての一環として公開されたキジョーとのリモート・セッションから生まれたものでした。

20年前、「ワールド・ミュージックのチャンピオンが集まって、西洋音楽のマナーで新しい音楽を作ったらどうなるだろう」というアイディアからシルクロード・アンサンブルを立ち上げたヨーヨー・マ。とはいえ、彼自身はあくまでクラシカル・フィールドの演奏家。決してワールド・ミュージックの看板を掲げるミュージシャンではない。でも彼は、キジョーや、シルクロードで共演するソリストたちをはじめとする世界中の非クラシカル、非アメリカ音楽のアーティストたちとコラボすることで、いつも新しい音楽のありかたを模索しています。そんな彼がずっと続けてきたグローバルな活動を評価するには、グローバル・ミュージックという部門がふさわしい。もちろんクラシックというカテゴリーにとっても、ヨーヨー先生はなくてはならない存在。だけど、クラシックという世界だけでは、彼の全方位活動をとらえることは無理。そのことを、このノミネートで痛感した次第です。

なお、キジョーは同部門で他にもBurna Boyと組んだ「Do Yourself」でもノミネートされているし。グローバル・ミュージックのアルバム部門でも、自身のソロ・アルバム『Mother Nature』がノミネートされています。絶対女王。

ちなみにフェラ・クティの息子さんのフェミ・クティも同じくパフォーマンス部門でノミネートされていて、さらに息子のメイド(フェラの孫)との名義でのアルバムもノミネートされています。こちらも名作。キジョーさんか、クティ家、どっちかに受賞してほしいなー。

近年のグラミー賞では、常にジャンル問題が議論されていました。既存のジャンルによるカテゴライズができない音楽が増えてきた傾向を、かつては賞のカテゴリーを増やすことでなんとかカヴァーして対応してきたわけですが。今、ジャンルで縛ることのできない音楽が増えすぎて、もはや部門を増やしてもきりがない。解決策にはならない。特にラテン部門に関してはもう、いい意味で幅広すぎて、もはや言語が違う意外は何がラテンなの?みたいな音楽をどうするのか問題などもあって完全カオス状態に。結果、かなりラテン部門はかなり交通整理もされてきた感はあったのですが、そんな中でBest Música Urbanaというカテゴリーを新設。これは、現在のラテン・シーンはどこにフォーカスするべきかを念頭においた音楽的な判断だと思う。やっぱりレコーディング・アカデミーは音楽シーン全体の“地図”を把握しているように見える。面白いです。

(2)アルバム・オブ・ザ・イヤー

アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞する対象は、アーティスト、ソングライター、プロデューサー、エンジニア、ミキサー、マスタリング・エンジニアまでを含む。※ソング・オブ・ザ・イヤーも、場合によってはエンジニアも対象に含む。

主要3部門の対象にマスタリング・エンジニアまで含まれるというのは、美しいです。というか、当然。でも、その前提を明言する姿勢がまず、素晴らしい。日本でもプロデューサーやエンジニアなどの専門分野のクリエイターたちの功績がとりあげられる機会は多くなったけれど。それでも、年間ナンバーワンに輝く作品にクリエイティヴな立場で携わったエンジニアでも、“裏方さん”という前提で語られることもまだまだあるわけで。世界的にプロデューサー兼エンジニアのクリエイターは激増している時代に、細かいことではあるけれど、このあたりのルール明示はさすがだなと思う。

しかし、もし今までもずっとマスタリング・エンジニアが受賞対象になっていたら、グレッグ・カルビとか大変だっただろうねー。毎年、どのアーティストが獲っても全部カルビは受賞、みたいな珍現象を巻き起こしていたはず。
トロフィー5万個くらいになりそう。

(3)クラシック・シングル

クラシックでは、これまではアルバムだけが対象だった主要部門で、シングルも選考対象に含まれる。

これは、個人的にも何年か前から気になっていた。そろそろ変わるのではないかと思っていた点。
今まで、フィジカルとしてリリースするにはどうしても複数の作品を組み合わせる必要があった。でも、本格的なサブスク時代になってからは、デジタルでは交響曲や組曲など1作品だけを収録したep形態でのリリースが可能になった。特に、このコロナ禍では、物理的にカップリングを構成することが難しい状況にあったり、デジタル・オンリーのリリースゆえにアルバムの体裁を整える必要がなかったり、チャリティとしての超レーベル企画での単曲などがすごく多かったり…という状況が追い風になって、クラシックepの必然性が高まった気がします。
これまでは世界的に有名なオーケストラでも、録音した作品を1年2年かけて丁寧に修正を重ねてリリースするのがデフォルトでした。でも、この2年近い緊急事態期間中、クラシックでもzoomでのリモート合奏がフツウになったり、YouTubeでのライヴ配信なども当たり前になってきたこともあり、今後は「録って出し」に近いデジタル・リリースへの抵抗感も薄まってゆくのではないでしょうか。となると、ep形式も増えて、制作費のコスパもよくなり、リリースタイトルも増えて選択肢も広がり、クラシックはもっとカジュアルになってゆくのではという気がしています。そんなわけで、これ、単に「シングルも受賞対象にする」というだけのルール変更ではありますが、未来へ向けた、なかなか意義深い課題をも包括しているように思えてくるのです。

そもそも、グラミー賞の中でのクラシックって存在感が薄いんですよ。
86もあるカテゴリーの中で、クラシック音楽が対象になるのはたった10~13。日本でも、小澤征爾さんや五島みどりさんが受賞された年は別として、ふだんはグラミーのクラシック部門なんて話題にもならない。欧州のクラシック・アウォードに比べたらないも同然。
でも、グラミーのクラシック部門って、最近どんどん面白くなっているんですよ。去年とか今年などは、もう、わたくしは予想もドンピシャで大興奮でした。
なので、せめて20部門くらいに増えて欲しいよなー、と、アメリカのクラシック好きとしてはいつも思ってしまうのです。
中継でも、1部門くらいは放送してほしいわー。ヤニック・ネゼ=セガンやヒラリー・ハーンのレッドカーペットが見たい(笑)。
そろそろ、クラシック部門も“ふくらむ”べき時代ではないでしょうか。

(4)評議委員会の廃止

総合部門、各ジャンル部門ともにノミネート評議委員会(The nominations review committees)の廃止。

グラミー賞は、全世界にたくさんいる審査員の票によって決まるのでめっちゃ民主主義…ということが言われきました。ただ、単純に投票だけで決まるわけではなく、投票者とは別途に、投票結果の精査や、それに基づく評価、最終的な候補者の絞り込みなどを議論する評議委員会が、音楽家を含むジャンル別のオーソリティから組織されていました。この評議委員会が、今回、総合部門・各ジャンル部門ともにすべて廃止されました。
評議委員会は、おそらく諸刃の剣だったのだと思います。
投票も、その結果に評価を与える評議員の議論も公正な民主主義であったとしても、ある程度は人数や顔ぶれが把握できている評議委員に対しては、何らかの公正なプレゼンなりネゴシエートも(理論上)可能なわけです。たとえば評議員が音楽家や音楽制作者なら、ジャーナリストの観点で投じた票に疑問を感じることもあるかもしれません。グラミーやアカデミー賞の季節になると始まるロビー活動での、プロフェッショナル中のプロフェッショナルな凄腕パブリシストたちの存在についてのエピソードは昔からよく聞きます。もちろん、そういう人たちのロビー活動も含めてのアメリカ・エンタメ業界ではあるのも事実です。が。考えてみると、この制度はどこかアメリカの大統領選挙に似ているようにも思えてきます。なので、今年になり、いくら公正で透明といっても、ルールにのっとった行動であったとしても、投票の過程で外部から投票者以外の別の力がかかるのは不公平では…という視点から見直しがあったのは、いかにも2021年らしい動きだとも思いました。
アカデミーによれば、評議プロセスを廃止するという大きなルール改正によって、候補者と勝者はすべて審査員による投票(過半数)によって決められることになり、今後はより透明性の高い審査になるだろうとのこと。

そして、この評議委員会の廃止によって生じる審査員の負担についても見直しがおこなわれました。
もともと審査員それぞれが担当する投票部門はひとりあたり15部門だったのが、今回から5部門減って10部門になったそうです。
どういうことかというと、もともと15部門の選考っていうのはかなり大変なことで、いくら音楽に詳しい業界人でも得手不得手はあり、「15部門すべて、ばりばりに精通している」ってことはなかなか珍しいと思うんですよ。「この分野は自信あるけど、あの分野はそれほど詳しくはないなー…」みたいなことも多かったはずで、そこらへんの脆弱性を補うためにも評議委員会による“粗より”的な作業は機能していたのではないかと(推測)。でも、この担当ジャンルが10部門に減ることで、投票者にとっても、自分がもっとも精通している分野での選考に専念できることで、よりひとつひとつの審査に集中できる。つまり、評議委員を廃止したことで、より専門家たちの厳しく公平な投票制度になるってことだと思われます。「よくわからないけど、よくわからない票を投じてしまう」状態の回避ですね。

これまでも公平だ、公平だ、と言われながらも、グラミー賞には毎回ナゾの結果というのがつきものでした。たとえばマライア・キャリーの昔からBTSの現在まで、これだけ売れて、これだけ世間で高く評価を得ながらも、なんで全然ノミネートもされないの?いじわるされてる?ということもままあったわけで。そういう「ものすごく売れているものが、なんとなく避けられてしまう」という不思議な傾向がどういう経緯で起きるのかにも興味があります。で、そういう傾向が、この制度変更によって変わるのか。そのあたりも注目してゆきたいと思います。

(5)パッケージ、ライナーノーツ、ヒストリカルのフィールドが統合されて、パッケージ、ノート&ヒストリカル・フィールドになった。

ま、これは、フィジカルをたくさん買って、ライナーノーツ依存度の高い消費者が実感として納得した変更です。


●さて。「ちょこちょこと書く」といったのに、ちょっとだけルール紹介しようとしたらめっちゃ長くなってしまったので今日はこのあたりにしておきます。

前フリが長くて本題がない、という醜悪なプレゼンみたいな内容になってしまったので、最後にひとつだけノミネート発表のニュースっぽい話題を書き添えておきます。
今回の最多ノミネートは、ジョン・バティステ。レコード・オブ・ザ・イヤー、アルバム・オブ・ザ・イヤーを含む最多11部門でのノミネート。
バティステは、スティーヴン・コルベア司会の『レイト・ショー』の開始と共にハウス・バンドの音楽監督に就任。今ではすっかり全米の顔となりました。でも、その前から、私の好きなミュージシャンたちのニュースでよく名前の出てくる、彼らと親交の深い“ニューオーリンズ出身で、ジュリアード卒で、なんでもできちゃう天才で、おまけに面白くて性格も最高なミュージシャン”として気になっていた存在でした。トランプ政権下でのさまざまな市民活動や、コロナ禍でのチャリティ運動などにも積極的に参加している姿にもいつも感動していたので、個人的にもとてもうれしい快挙。バティステのことはまたあらためて書きたいと思います。

それにしても、いろいろ変わったおかげでノミネートがめちゃ多いんですよ。

レコード・オブ・ザ・イヤーを例にとるならば、
アバ、ジョン・バティステ、トニー・ベネット&レディ・ガガ、ジャスティン・ビーバーfeat.ダニエル・シーザー&ギヴオン、ブランディ・カーライル、ドジャ・キャットfeat.SZA、ビリー・アイリッシュ、リル・ナズX、オリヴィア・ロドリーゴ、シルク・ソニック
と、10組。
多すぎるわ。これが評議委員会廃止の弊害なのかな。わからんけど。
授賞式の時、おなじみの「グラミー・ゴーズ・トゥ…」のドラムロールで、客席の10組をぐるぐる映していったら目がチカチカするわ。
この件も、また後日。

●ノミネート全リストは、グラミー公式サイト(英語)にて。

主要ノミネート作品チェックは、こちらのSpotifyプレイリストが人気です。







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