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【METライブビューイング】 マシュー・オーコイン『エウリディーチェ(Eurydice)』

【METライブビューイング】
マシュー・オーコイン『エウリディーチェ(Eurydice)』

 メトロポリタン・オペラ21/22年シーズンのシアター上映“METライブビューイング”。今年1月に始まった今シーズンの上映3作目、待ちに待ったマシュー・オーコイン『エウリディーチェ』を新宿ピカデリーで観てきた。

 いや、暇だった訳ではないんです。映画館なんて行って遊んでる場合じゃないんすよ、今月は28日までしかないし。でも、これはどうしても観たかったのです。なぜなら、今、もっとも気になる米国の若手作曲家のひとり、マシュー・オーコインのメト・デビューとなった作品だから。

以下、ネタバレなしです。なぜなら、たらたらオーコインのことを書いていたらみるみる6800字くらいになってしまったので内容や歌手について詳しく書く時間がなくなったからでーす、の、じぶんあるあるw お気軽につまみ読んでもらえたらうれしいです。
朝からオペラ!いいご身分だなオレ!

●マッカーサー・トライアングル vol.1 !!

 『エウリディーチェ』はギリシャ神話のオルフェウスと妻エウリュディケーの物語を下敷きにした、2003年のサラ・ルール作の戯曲が原作。“オーコインのオペラ”というよりも、本国ではむしろ有名戯曲のオペラ化という見え方かも。オペラ化の台本もルール自身が手がけている。そして演出はメトロポリタン・オペラでの仕事も多く、幻想的な舞台で知られるトニー賞ウィナーの演出家メアリー・ジママン。
 2020年のLAオペラでの世界初演、そして今回のメト初演ともに3人でがっちりタッグを組んでいる。

 で、驚くべきことは、オーコイン、ルール、メアリー・ジママンは3人ともマッカーサー・フェローの受賞者なのだ! それぞれ2018年、2006年、1998年に受賞している。
 別名“天才賞”、アメリカのノーベル賞とさえ呼ばれるマッカーサー・フェローは、毎年、医学とか化学とか天文学とか音楽とか映画とか評論とかあらゆる創造・学問のジャンルから、全米でたった20〜30人だけがもらえるというものすごい賞。ずばぬけた独創性を持つ、アメリカの未来を担うであろう才能に対して、返済不要の奨学金が贈られる(現在は60万ドルくらいらしい)。これまでの功績を表彰するのではなく、従来の枠に収まりきれない発想や、ともすれば規格外として見過ごされてしまう才能を支援しているという点がユニークで、また、その選出の方法はずっと極秘だという。ドラマみたいー。マッカーサー・フェローは受賞者もすごいが、選考の慧眼もすごい。
ちなみにクリス・シーリーやリアノン・ギデンズも受賞者です。

https://youtu.be/cSQqv5RLp7c

▲18年、マッカーサー・フェロー受賞時の紹介ビデオ。

 と、いうわけで、ひとりだけでもすごいマッカーサー・フェローが3人集合。て、びっくり。ナイアガラ・トライアングルならぬ、マッカーサー・トライアングルですよ。もう、どれだけ夢のプロジェクトかおわかりいただけるでしょう。

https://youtu.be/zwe6gO27LHk

▲予告映像。
 ※タイトルは“エウリディーチェ”となっていますが、作品は♪ユーリーディセとか♪ユーライディチェっぽい発音で歌われていました。神話名表記むずかしいすな。

●ギリシャ神話を下敷きに、オーコインならではの音楽絵巻


 物語の原型はおなじみ、音楽の名手であるオルフェウスが、亡くなった妻エウリュディケーを冥界に迎えに行くが…という有名なギリシャ神話。それを、オルフェウスではなく妻の視点を主役にしたところから独自の解釈で広がってゆく。
 オルフェウスの神話は、細部や結論は違うけれど、日本では伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の夫婦神の神話とよく似ていることでも知られている。亡くなった妻を連れて冥界から地上に戻ることを許されるが、地上に着くまでは、夫は後ろからついてくる妻を決して振り返ってはならないと言われる…のに、つい振り返ってしまうという話。他の国の神話でも、似た話は多いらしい。不思議。

 この戯曲/オペラの舞台は現代(たしか60年代だったかと。ウロですんません)。オルフェウスのように優れた音楽家である男が、恋人のエウリディーチェにプロポーズする場面で幕を上げる。そしてめでたく結婚パーティを開くのだが、その夜、エウリディーチェのもとに、今は冥界にいる彼女の亡父からの手紙が届く。それを受け取ろうとしたエウリディーチェは、冥界の支配者の企みによって転落死してしまう。妻のいない日々に絶望したオルフェウスは、音楽を失ってしまう。そして、ついに妻を迎えに冥界へ…。という、神話をなぞった大筋の中に、喪失、忘却、愛、救済…といったテーマが力強く描かれてゆく。
 面白いのは、オルフェウスはふたりでひとり。現実の“オルフェウス“(テノール)と、彼が奏でる“音楽”(カウンターテナー)をふたりの歌手が演じている。心の声は“音楽”が歌うのだが、現実のオルフェウスよりも“音楽“のほうがハンサムだったりするところは、ちょっとクスッとしてしまうユーモアセンス(笑)。

 LAオペラでの世界初演はロックダウン直前の2020年2月だったが、本来ならその半年後に上演されるはずだったメトのほうはロックダウンで延期になってしまい、ようやく昨年末に上演された。そんなわけで、世界中の誰もが同じように喪失や別れを経験したロックダウン後に上演されることになったメト公演では、結果的に、物語にさらなる深い意味がつけ加えられることになった。

 芸術家たちは神様の“器”だ、とも言われる。彼らは、神様が人々への慰めやメッセージ、贈り物を入れるために存在する美しい器であり、だから優れた表現、芸術作品というのは、時に本人たちがまったく意図しないのに、時代を導く預言者のような役割を果たすことがあるのだと。そういう意味では、これもまた、さすがマッカーサー・トライアングルというか。はからずも、コロナ後の世界へのメッセージともいえる作品になってしまった。偶然の巡り合わせとも思えず、結果的に神様からの何かしらのメッセージを受けとめる“器”の役割を果たしたのかな。と、妙に納得してしまったり。

 もともと戯曲として高く評価された作品のオペラ化なので、ストーリーの素晴らしさは言うまでもないのだけれども。いやー、やっぱり、マシュー・オーコインはすごい。注目の才能が大勢いる同世代の中でも、頭ひとつ抜けてる。

 古典的なオペラ作品にある「来たっ!」という感じの、ちょっとベタなくらいに王道なツボも外さず、ミニマルとか不協和音のような現代音楽の要素もずーっと縦軸としてあるし。台本のよさは言うまでもないので説明を省きますが、音楽的にもバランスがいい。意外と、かなりエモい感じで劇伴とか映画音楽のようなポップなBGMでつないでゆく場面もあったりして、現代オペラといっても観客を飽きさせない工夫があちこちに仕掛けてある。クラシカル・マナーは踏み外さないけれど、いい意味でのエンタメ志向もある。シリアスな重苦しさを傷つけず、音と音の間のとりかたで笑わせたりもする。楽しい場面のはずなのに音楽は不協和音…みたいな、視覚と聴覚による立体感をはじめ演劇的な手法が散りばめられている見事さは“マッカーサー・トライアングル”の共同作業の真骨頂なのかも。もともと「音楽と言葉」というのはストーリーにおける重要なテーマにもなっているが、作品そのものの面でも音楽と言葉のバランスはとても心地よく感じた。

 個人的には、オペラ的な要素だけでなく、エッセンス的に織り込まれる「それ以外」の要素の多彩さと巧みさも深く印象に残った。結婚パーティでのダンス・シーンの振り付けにはマイケル・ジャクソンの「スリラー」っぽいモチーフを挿入しているのだが、それは単に「ポップカルチャーの引用」とかいうことではなく、華やかな祝宴の場面なのに「スリラー」のオカルトチックな世界を連想させる群舞を持ってくることで、それが今後の冥界展開への暗喩にもなっているとか(オーコインだけでなく演出チームのセンスもすばらし!)。全編、基本的にはポップ・ミュージック風のモチーフにことごとく“悪魔の誘惑”的な含みを(わりとあからさまに)もたせていて、それが全編に散りばめられたオペラ文化へのオマージュとの対比になっている。デジタル世代の若者文化を油絵で描く、みたいな感じなのかな。とにかく、その対比の鮮やかさは作品のオペラティックな輪郭をくっきり際立たせる効果にもなっているのは巧いなー、と、映画館の暗闇で気づいて唸りました。“ポップ”とオペラの両極の楽しさをわかっている作曲家だからこその視点だと思った。
 あと、オーコインはハーバード大学からジュリアード音楽院に進んだ人で、ハーバード入学時にはロックバンドをやっていた。なんというか、音楽的にはまぁ、いわゆる00年代のインディ・ロックっぽいことをやっていたみたいなのですが。近年の天才クラシカル青年の活動しか知らない私としては、ロック・バンドでのオーコインというのがこれまで今ひとつピンと来なかった。が、この作品、不穏とか不安とか焦りに満ちた場面で、ベースなど弦楽器の激しいパッセージがしばしば登場するのがめちゃカッコよくて、私のようなクラシック素人にすると、その響きは00年代のパンキッシュなインディロック・トリオのリフにしか思えなかったのだった(笑)。そして、ああ、やっぱり彼のルーツにはしっかりとロックがあるんだなーと嬉しくなったりして。

 あと、ルールみずからオペラ化した歌詞も、テーマ的にはエバーグリーンなものなのだけど、それでも明快なメッセージ性など“今”のシャープさが魅力的。特に、英語の歌詞だからわかることだったのだが、イディオムとか、ちょっとした言い回しに「これが今のフォークソングやロックバンドの曲だとしても不思議じゃない」と感じるものが多くて、そのあたりも新鮮だった。

●この若き天才は、昨日今日ではないのだ。

 オペラ界は世代交代が急務だと言われているけれど、この作品のような手触りを新鮮だと思うロック/フォーク世代(なおかつ、大人になってクラシックの面白さにも目覚めてきた人たち)は多いんじゃないかと思う。

 現在、世界最古とされているオペラがヤコポ・ペリによる『エウリディーチェ』(1600年)。同じ題材を、若きオーコインがとりあげた…というあたりには、ややあざとい戦略が見え隠れしなくもない。ま、それも含めて面白いなと思うけど。
 実際、世界初演時には、ニューヨーク・タイムズがオーコイン版『エウリディーチェ』を“The World's newest major Opera”=世界最新のメジャー・オペラと評して絶賛した。

 1990年4月生まれだから、現在31歳。そういえば松竹のMETライブビューイング公式サイトを見たら、オペラ研究家の方が、幕間のインタビューを見てオーコインの若さにびっくりしたと書いてらした。アメリカのインディペンデントなクラシックばかり追いかけている私にすると、オーコインはけっこう長くやってて知名度もバツグンで、「もう30歳になったんか!」とか「ちょっと大人っぽくなった⁉︎」みたいなイメージだったのですが。メジャーなオペラ界では、メトのアシスタント指揮者時代とか、この作品以前のオペラなどはまだ夜明け前って感じだったんですかね。
 その幕間インタビューでも話していたけど、オーコインが今度オペラの本を出すというのも、若くしてメトのアシスタントになりサロネンからアデスまで様々な巨匠たちを間近で見てきた経験が大きかったのではないかと思うのですが。
 そういえば、レヴァインとはどうだったんだろ。唯我独尊のレヴァインが高く評価するタイプには、正直あまり思えないんだけど。

 ちなみに私がオーコインを気にするようになったのは、ボストンの室内楽団A FAR CRYをフィーチャーして、自らも指揮台に立ったオペラ『Crossing』の頃だった。この作品はホイットマンの南北戦争中の日記を原作にした作品で、この時のオーコインはなななんと25歳! あまりに若すぎてびっくりした、ので、今や31と言われても驚かない自分がいる。そんなことに耐性あって何の役に立つんだよ、って話なんですけど。とにかく、この時期の「最近まで神童でした」くらいの若々しい、無邪気なたたずまいが強烈なイメージとして残っている。

▲当時のニューヨーク・タイムズでの大特集記事。現代音楽、オペラの若き鬼才が、ピアノの隣にベッドがある狭いアパートメントに…という図はいかにもだけど、いい写真だなと思った。タイムズ好みの素材ですね。この記事は折々で読み返して役に立った。こういう丁寧なバイオグラフィーって大事ですね。

 なぜ『Crossing』が気になったかというと、その頃、時を同じくしてヴァン・ダイク・パークスとジョン・アダムズという異ジャンルのふたりが「アメリカの言葉、歌詞を知りたければ、ホイットマンを読め」と言っているのを読んだばかりだったのです。で、まるで両巨匠の言葉を体現するかのようにホイットマン・オペラを書いた気鋭の若手作曲家がいるというので、がぜん興味がわいた…という。それだけのことなのだけど。個人的に、アメリカのクラシックがどんどん面白くなってきた頃だったので、オーコインを追いかけているといろいろと面白い若い才能を知ることができたり。そういう、ある種のしりとり遊びのような感じで新しいクラシックを聴き漁っていた時期だった。懐かしい。

 ジュリアードで学ぶ前のハーバード大学で、オーコインは詩を専攻している。その時にバンドを結成して作詞作曲のスキルを磨いたらしい。バンド活動が、その後のジュリアードへの道を拓いたのかどうかはわからないけれど。もともと“コトバ”の人だけに、自分で歌詞を書く局面でなくても歌に対する意識が鋭いというか、言葉を伝えるために音楽という手段を用いるシンガー・ソングライターのような視点が常にどこかにあるのでは…という気がしている。
 余談ですが、彼がやっていたロック・バンドはクラシックやジャズの要素も入った音楽性が特徴だったらしくて、当時インディ・レーベルとの契約が決まった時に大喜びして「僕は音楽が大好きで、いろんな要素を入れてます!」みたいなかわいいコメントをしていたのですが。いやー、人生ってどこでどうなるかわからないですね。そのままバンドをやっていたら、ひょっとしたらザ・ナショナルみたいなことになったかもしれないし。そのうちバンドをやめて、まっすぐ詩人の一本道を歩んでいたかもしれないし。しかも、それがたかだか10年ちょっと前の話なのだから…やっぱり、今、この時代に音楽家としての道を選んだことを含めて、何か運命を背負っている感がある。すごい人だ。

https://youtu.be/8mPiwCoIr1Y

▲オーコイン指揮による、『Crossing』のオーケストラ版プロジェクト。

 そういえば。
 オーコインはもともと作曲家で詩人でピアニストであると同時に、指揮者でもある。『エウリディーチェ』も、L Aでの世界初演は自ら指揮をした。今回のMETで指揮を務めたのは音楽監督のヤニック・ネゼ=セガンで、もちろん、ポップ・ミュージックまでを含む広義の現代音楽の素養に秀でた彼の指揮は最高だった(特に私にとっては、世界一好きな指揮者なので)。でも、メトのアシスタントも務めたオーコインとしては、自分が指揮したい気持ちはあったんじゃないかな…とも思う。今、彼の世代で、メジャーなオペラを作曲して、指揮者としても「いずれはサロネンのように」とまで高く評価されている人は珍しいのではないだろうか。メト再演があったら次はぜひ作曲家自身の指揮で、あの剛腕メト・オーケストラを鳴り響かせるのを聴いてみたい。あと、これはあくまで個人的な願望なんですか…もしよかったら、アメリカでいちばんマッカーサー・フェローがいるレーベルのノンサッチでリリースしてほしいwww。

 あ!しまった。ついついオーコインのことをだらだら書いていたら、歌手のことを書く時間がなくなってしまった。タイトルロールのエリン・モーリーをはじめ、主要キャスト全員それぞれ素晴らしかったです(それだけかよ)。でも、このことを書き始めるとまためっちゃ長くなるのでいずれまた。
 『エウリディーチェ』の全国上映は2月24日までですが、東銀座の東劇では3月3日まで上映しているようなので、もし興味をお持ちになった方がいたらご覧になってみてください。あまりオペラに親しみがなくても、前知識がなくても、ミュージカルを観ているようにぐいぐい物語にひきこまれる作品だと思います。
 チケットが特別料金3700円なので、誰かれかまわず「ぜひぜひ」とおすすめするのはどうかなとも思いますが。それでも、5月に予定されているMETオーケストラのコンサートのチケットに比べたら10分の1ですから。すごいですよ。10倍。ネゼが来るかどうかわからないし、来なくても10倍ですから。10分の1で絶対にネゼが見られるライブビューイングはとてもおすすめです。

●ちょこっと告知●

あと、せっかくなので、ちょっと先の宣伝をひとつ。無料で読める電子音楽雑誌『ERIS』で、おもにアメリカのクラシック関係について書いているのですが。次号では、今年オペラ歌手として『ポーギーとベス』の舞台に立ち、この後、ついにオペラ作家としてデビューするリアノン・ギデンズについて書いています。ちょうどオーコインの『Crossing』の頃、初来日したリアノンがアメリカのフォーク・オペラについても語ってくれたインタビューなどを振り返っています。やっぱ、2015年前後あたりにアメリカではいろいろ同時多発的に面白いことが起こっていたんだなぁー。と、今日、ルネ様のインタビューにこたえるオーコインの姿を見ながら思っておりました。3月に出るのかなと思います、たぶん。メアド登録だけで、めっちゃボリューミーな記事がたくさん読めます。ついでに私の連載もご覧いただけたら幸いです。てなわけで、よかったらぜひ、読んでみてください。


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