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高橋幸宏さんのご冥福をお祈りしています

 子供の頃からずっと音楽好きだった我が人生において、高橋幸宏さんからいただいた幸せな時間は数知れず。そして大人になってからは、膨大とは言わないけれど長い歳月の中での累計としてはかなりの数、仕事を通じてご一緒もさせていただいた。
 うれしいことと楽しいことしか、思い出せない。
 私が駆け出しだった頃、朝からみっちり取材が詰まっている日にいつもトップバッター枠で取材させていただいていた。後から、その理由が「能地さんのインタビューはヒントがもらえる、これから取材で話すことが整理できるから最初にしてほしい」とご本人が言ってくださっていたからと担当者に聞いた。絶望的に自信も教養もないバカな若者にとって、その言葉がどれだけ力をくれたか。信頼していただいたうれしさが、後々の人生でどれほど大きな勇気へとつながったか。決してお役に立てたとは思わないけれど、育てていただきました。感謝してもしきれないです。

 しかしながら、今、ここに書くべき文章というのはまったく思い浮かびません。

 ソロ・アルバムはどれも同じくらい大好きで。だけど、今は聴きたくない。もう少し時間がほしい。特に90年代のソロ作品がいちばん心に滲みて好きなのに、90年代の作品はとりわけいちばん淋しい曲が多いから今はいやだ。幸せな曲なのに、じわーっと寂しくなるのですよ。寂しさの3年殺し、とか言って笑ったことがあったな。
 幸宏さんの歌は「悲しい」でも「寂しい」でも「淋しい」でもあるんだけど、実は、厳密にはそのうちのどれでもないともいえるし、だけど全部の感情に道が通じているような何か“秘密の場所”みたいな感情のようにも思うし、いったい何と表現するのがいいのだろう…と昔からいつも悩み続けている。

 ひとつだけ。追悼として、ごくごく個人的にいちばん思い出深い作品をあげさせてください。スティーヴ・ジャンセンさんとのコラボレーションによる12インチ「STAY CLOSE」(1986年)。初CD化された時に書かせていただいたライナーノーツを幸宏さんはことあるごとにほめてくださって、ずっと後になってスティーヴが来日した時には自ら「このひとが、CD化の時にいいライナーを書いてくれたんだよ」と説明して紹介してくれた。

 そうだ、このCD化がA&Rとしての初仕事だった平田くんも若くしてすでに天国にいるのだ。なんだか今日は淋しいことばかり考えてしまうな。

 若い頃には考えもしなかったけれど、最近、残されてゆく悲しさというのはこういうことなのかなと少しずつ身をもってわかってきたような気がする。でも、そんなことを年上の知人に話したら「まだまだ。もっと歳をとったら、もっと寂しいよ。そんなもんじゃないくらい寂しくなる時が来るよ」と言われた。わかりたくないけど、生きている限りは仕方ないことだ。

 アルバム『幸福の調子』のジャケットがとても好きで、発売当時の取材で「これは『STAY CLOSE』から続く“小津シリーズ“ですね」と言ったら、『STAY CLOSE』の時は若いのに大人ぶって“なんちゃって小津“をやっていただけだけど、今はもう、フツウにしていても“小津色”が滲み出るよねー…というようなことを、発言うろ覚えですが、そんなことをちょっとだけ嬉しそうに笑って話されていたことを思い出す。目の前の幸宏さんは、そんなことを話している表情からして、もう、リアル小津とでも言いましょうか。なんだか、小津映画に出てくるハンサムな壮年男性…みたいだったな。


 最後まで勇敢に病と闘った高橋幸宏さんの魂が、今は静かに穏やかに癒されますよう。ご冥福をお祈りいたします。天上の音楽、という慣用句もあるくらいです。天国はきっと、想像できないほど美しい音楽に満たされた場所なのでしょう。残されたご家族やご友人、音楽仲間のみなさまの心に天国からの優しい音色が響く日が訪れますよう願っています。
安らかにお休みください。

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