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1年前の自分に会いにゆく

東京スケバン散歩/巣鴨

今年に入ってから、思い出しては日記(といっても、iPadのスケジュール+備忘録ノートアプリ)の“1年前の今日”を見返すようになった。

昨年はお正月に母が風邪をこじらせ入院する騒ぎから始まったのだが、これがもし新年ではなく2か月後だったら入院もできず、ご近所一帯もコロナ・パニックで大騒動になっていたかもしれないと思うと幸運だったのかも…とか。

1月にはボン・イヴェール、エサ=ペッカ・サロネン&フィルハーモニア管とそれぞれの来日公演があって、まだ1月なので気が早すぎるけどどちらも今年のベスト来日公演になるだろうな…と思っていたところ、これ以降ほぼ全部の来日公演がキャンセルになったため、結果として不戦勝でホントに年間ベスト来日公演になってしまったなーwとか。

2月のはじめには、ひと目ぼれして、何年ぶりだかわからないくらい久々にお値段ドッキリ系のスーツを、まー、今年はがんばって仕事すればいいよねー、今年はあれとかあれとか人前に出る仕事もあるのでちゃんとした服も必要だよねー、と、自分に言い聞かせながら清水ジャンプで買ったのだけれども。そういえば春が来る頃にはすでにノイローゼで家に引きこもって正しくリラ子な毎日だったし、今に至るまで一度も袖を通していないわ、あーははは…とか。

何がおいしかったとか。誰に会ったとか。こういう曲を聴いたとか。新しい服を買ったとか。他愛のない些細なメモが、今になって見返すとジワジワくる。

だって、まるでS Fパニック映画のプロローグではないか。

なんてことない平和な日々が、ある日いきなり、世界を襲う伝染病や核戦争や洪水やゾンビまたは宇宙人の攻撃によってガラガラと崩れ落ちる。が、その直前まで、人々は楽しく平和にいつもどおりの日常を過ごしているのであーる。

みたいな。

とはいえ、その平和な日々の中にも、実はちょっとした前兆があってだな…。

みたいな。

(BGMはTHE 虎舞竜の「ロード」でおねがいします。)

面白いもので、日記を見れば無意識のうちにいろんな“前兆”もメモってる。記録は大事だね。そんな平和な日々の中でも年明けすぐの「中国でナゾの肺炎が流行しているらしい」とかいう噂話に始まり、感染拡大や政府の後手後手を予感させるイヤな前兆はあちこちにあった。が、何故かパンデミックとは認めないWHOの優柔不断や、いつまでも入国制限に踏み切らない政府の判断にイライラしながらも、意外とノンビリしている日本の対応に「これって、実はホントにたいしたことないのかも」とも思ったり。
人は、自分の望むように物事を解釈しようとしてしまう。

と、そんなわけで、2020年の日記の読み返しは発見も多くて面白い。
何も知らない1年前の自分に向かって「この主人公(=私)、1か月後の世の中がどうなるかも知らないで呑気だなーw」とか「そのスーツを買っても、来年まで袖を通す機会はないぜ」とか「大喜びのところ申し訳ないが、リアノン・ギデンズもザ・ナショナルも来日中止だよー」と、なかなか話が進まないゆるゆるNetflixドラマを観ている時のようにツッコミを入れたくなったり。何も知らない1年前の自分に対してマウントとろうとする現在の自分。アホか。

そして今日は2月26日。
1年前の日記を見た。

Perfumeの東京ドーム(2日目)と、EXILEの京セラドーム公演が中止。
と、ある。
彼らのライヴに行く予定もないのに、わざわざそのことを記しているのは理由がある。1年前、エンタメ業界もそろそろ、今後予定されている多くの公演の開催か、中止か、延期かを判断しなければいけない状況に差し掛かっていた。しかし政府のガイドラインが今ひとつはっきりしない中で、小規模のカフェ・ライヴからアリーナ公演まで、イヴェントごとにそれぞれに事情を鑑みて自主判断を求められるという本当に難しい時期だった。そんな中で、関係者たちがひとつの指標として見守っているのがPerfumeとEXILEのドーム公演で、両公演が中止/延期となった場合、業界全体が一気に自粛の方向へと傾くのではと噂されていた。
今日、1年前の日記やニュース記事のアーカイヴなどを眺めながら当時を思い出していたのだが、エンタメ界だけではなく、なんとなく、この日あたりを境に、日本でもいろいろなことが慌ただしく動き始めたような気がする。

ただ、今後、日本が、社会が具体的にどうなるかはまったく想像すらできなかった。まぁ、日本中の誰ひとり正確なところはわからなかったと思うけど。
翌週から小中学校も2週間休みになることも発表されて、“世界が2週間止まる”という初めての経験がものすごく不安で怖かったことを思い出す。
2週間というのが果てしなく長い期間に思えて、とにかく、掃除でも読書でも何でもいいから、しっかり生産的なことをしよう…と、そんなことばかり考えていた。
結局、2週間どころじゃ済まずに今日に至るわけだが。

もし、1年前の自分に何か言葉をかけるとしたら…

1)先は長いぞ落ち着け
2)明日から未訳の洋書を読むとか言ってたけど、1文字も読まずに『愛の不時着』と『梨泰院クラス』にドはまりします
3)マスク・バブルはGW明けに暴落するから慌てるな
4)トイレット・ペーパーは少しだけ予備を買っておけ
5)もうすぐあべちゃんがマスク配って国民大爆笑だぞ

くらいかな。

まったく、1年前のあれこれを見るにつけ、コロナ禍の前の世界とは間違いなく「過去」なのだと思い知らされるばかり。

そんなことを考えながら、巣鴨のとげぬき地蔵通りをぶらぶら。
そういえば去年、桜の頃にはコロナも落ち着くんじゃないかと友人たちと巣鴨〜染井霊園近辺(ソメイヨシノ発祥の地とされる)のお花見を計画していたのだ。

「やっぱり無理だね」と「お花見くらい良いのでは」と意見は分かれたけれど、結局、残念だけど来年に延期ということになった。
けれど、今年も無理だな。

巣鴨の有名な“とげぬき地蔵尊”は商店街の真ん中にあるが、その商店街の入口近くにあるのが江戸六地蔵としても知られる真性寺。いつも美しくおだやかな空気が流れていて、静かな威厳を感じさせるお寺だ。

有名な、河津桜。もうかなり咲いてしまいました。

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地元では、この河津桜を春の“目印”にしている方が多い。
ご近所の奥様と「真性寺さんの河津桜が咲いたわね」「ああ、やっと冬も終わりですね」なんて会話を交わしたりして。

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紅白の梅も、上品で美しいー。
豊後梅と白梅。桜みたいな淡い桃色よき。

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ちなみに、真性寺さんは秋の菊まつりも有名。

今日の午後、ランドセルを背負った小学生の女の子がひとりで静かにお参りをして、寺門のところで礼儀正しく深々と礼をすると元気よく走って行った。何かお願いごとがあったのかな。かわいかった。

どんな時も美しい花は人の心を和ませると言うけれど。

去年は、梅が咲こうが桜が咲こうが心は沈んだままだった。
むしろ、何も知らずに楽しく平和に「夏は旅行に行きたいなー」なんて言っていた1年前の私のように、この先どんな世の中になるのかも知らずにコロナ禍でも無邪気に満開になる花々を見ると、もちろん、心慰められる時もあったけれど、時には、その健気さが世の無常を逆に際立たせるような気がして胸が痛みもしたものだった。

特に、とげぬき地蔵通りは“不要不急の外出自粛”を呼びかけられてもなかなか人出が減らないことが批判されたり、テレビでも連日その様子が報じられたり、でも、それを取材するテレビカメラがたくさんいることを知ってやってくる人々もいる(渋谷のハロウィンと同じ)し……。なので去年は、自粛云々以上にとげぬき商店街のあたりは“とげぬき”どころかややトゲトゲしい空気もあったしね。

今年は、少し前に咲いた河津桜を見上げてほっとしている自分がいた。
1年前よりは、いいんじゃないかね。たぶん。


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