幸せの貼り紙はいつも背中に(私立恵比寿中学)とティーンエイジ・シンフォニー
「幸せの貼り紙はいつも背中に」は2014年6月に発表された私立恵比寿中学のメジャー6thシングル「バタフライエフェクト」にカップリング曲として収録(2015年1月の2ndアルバム「金八」にも収録)された曲で、ソロパート歌唱の個性を重視するエビ中には珍しい全編ユニゾン合唱曲。
様々な音楽ジャンルを取り込んできたエビ中ですが、13年の全キャリアを見渡してみても異色のサイケデリック・ポップ風の曲であり、2014年時点で見れば更に唐突感も感じられるほどです。
私立恵比寿中学「幸せの貼り紙はいつも背中に」(2014)
長年、陰に日向にエビ中の進化の原動力の一つとなってきたボイストレーナーの西山恵美子先生が当時を振り返ってこの曲に対する印象をコメントされてます。
この「有名なアーティストの方」というのが鈴木慶一さん。日本のロックの源流とも言える「はっぴいえんど」のサポートミュージシャンなど、1970年代初頭から活動を開始し、その後ムーンライダーズの中心メンバーとして長年活動されていたレジェンド中のレジェンド。
商業的な成功にはあまり縁はないけど、ミュージシャンズミュージシャン的な尊敬を集めている方です。イカ天と共に1990年代のバンドブームを牽引したテレビ番組「エビス温泉」の司会としても知られています。
その鈴木慶一さんが「金八」に寄せたコメントがこちら。
DIVE INTOでは共同アレンジの曽我部恵一さんが詳細な経緯を述べられていて、これがなかなかに驚きの経緯です。ソニーミュージック側からの具体的な要望は一切無く「好きにやって下さい」とのこと。
さすがに納期くらいはあったと思うのですが、予算的な制約もほぼなかったらしい。(さて、ここまでDIVE INTOで曽我部さんが述べられていることを含めてちょっと纏めてみます)
鈴木慶一&曽我部恵一による共同アレンジ(ダブルケーイチ→WK1)
音像リファレンスとしてキース・ウェスト”Excerpt from a Teenage Opera”
プロデュース側からの具体指示一切無し(「好きにやってください」)
作詞作曲はCM音楽を多く手掛ける平野航
完成度が高い膨大なデモデータを基に生楽器演奏へ置き換え
ボーカルディレクションはノータッチ(エビ中側はアレンジにはノータッチ)
レジェンドによる最大級の賛辞(「2014年の日本語の曲の中でナンバー1」)
サウンドからオマージュされている曲を探る
先ずは音像のリファレンスとしたというこの曲は、1967年に時のサイケデリックムーブメントにインスパイアされたミュージカルのために制作され、そこにボーカリストとして起用されたのがキース・ウェストです。
彼は1960年代中盤から70年代にかけて、後にイエスを結成するスティーブ・ハウらと活動していた時期もあるロックシンガー。
Keith West - Excerpt from a Teenage Opera (1967)
と、知ったようなこと書いてますが全くの初見です。聴いてみましたが、当時の英国の少し湿り気のある空気感に、初期ピンク・フロイド(というよりシド・バレット)が想起されます。引用はこの空気感ではないかなと思いました。
それ以上に、やはりビートルズ、ビーチボーイズ等の有名曲の断片が散りばめられている印象が強かったです。特にカラオケ音源を聴くとその印象が強くなります。印象だけではなく細かく聴いてみることにしました。
幸せの貼り紙はいつも背中に (Less Vocal)
(0:00〜0:04)イントロ:ピアノフレーズ
→Keith West “Excerpt from ・・”冒頭のハンマーダルシマー?のフレーズ
(0:05〜)イントロ:ハープシコードのフレーズ
→The Millennium "Prelude “の冒頭からのハープシコードのフレーズ
(0:13〜)イントロ:スネアドラムのイコライジングされた音色
→The Beatles “I Am the Walrus””Hello, Goodbye”(特に2:45〜)等のドラム音色
(0:21〜)ハープシコードのコード弾きを中心としたリズム
→The Beach Boys “God Only Knows”に代表されるBrian Wilson得意のリズムパターン。またはそれに影響されたThe Beatles “Your Mother Should Know”のリズムパターン
(0:40〜)ベル音?オルゴール音?のSE的リフ
→The Velvet Underground “Sunday Morning”イントロのトイピアノ
(0:51〜)ドラムフィル
→The Beatles “Drive My Car”イントロドラムフィル等ビートルズ中〜後期によく見られるリンゴのドラミング
(2:15〜)「キューン」というSE
→The Beach Boys “Heroes And Villains”
(2:45〜)ハープシコードのバロック風ソロ
→The Beatles “In My Life”(1:29~)のピアノソロ
いくつか音源(リンク)を引用してみます。
The Millennium - "Prelude / To Claudia On Thursday" from 1968's BEGIN
The Beatles - Hello, Goodbye (1967)
The Beach Boys - God Only Knows (1966)
The Velvet Underground “Sunday Morning”(1967)
やはり当初の印象の通り、いわゆるサイケデリックエラと呼ばれる1967〜68年前後、シーンに影響があった曲のオンパレードでありまして、有名曲、重要曲であるが故、参加したミュージシャンの間では、例えば「この曲のこのドラムの感じ」で通じるんだろうと容易に想像できます。
さて、調べていくうちに面白い事に気づきました。”Excerpt from A Teenage Opera“は、ビートルズ「マジカル・・・」等とおそらく同時期に同じスタジオ(アビーロードスタジオ)で録音されているんですね。
更にエンジニアも同じという。
・Excerpt from A Teenage Opera (Released: 28 July 1967)
・Sgt. Pepper's …(Rec: 6 December 1966 – 21 April 1967)
・Magical Mystery…(Rec: 25 April – 3 May / 22 August – 7 November 1967)
・Yellow Submarine (Rec: 26 May 1966 – 11 February 1968)
後述する歌詞との親和性とか、時代を象徴するところとして名前が上がったのではないかな?と想像しています。
もう一つサウンド面での特徴としては、モノラル録音である事で、音が重なって少しくぐもった感じや、音像の奥行きがいかにもサイケデリックエラの音楽をオマージュしていると思います。
(ステレオの再生機器普及は70年代から。60年代はモノラルが基本)
歌詞から見る「ティーンエイジ・シンフォニー」コンセプト
鈴木慶一さんは 2022年1月にNHK教育テレビの「クラシックTV」に「ビーチ・ボーイズ のティーンエイジ・シンフォニー」 と言うテーマで出演され、ビーチボーイズの幻のアルバム”SMILE”について解説をされていました。
番組では「シンフォニー」についての話が中心で「ティーンエイジ・シンフォニー」としての話はなかったのですが、これは1966年頃にビーチボーイズのブライアン・ウィルソンが制作を始めたアルバム"SMILE"の当初タイトル案であったとも言われる「 神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」を指しています。
「子供が持っている無垢さと成長による喪失」をテーマにしたアルバムになる予定だったといわれ、パラノイア的完璧主義のブライアンは相当な量の録音を重ねつつ完成に至る事ができずに途中で頓挫したアルバムです。
のちに部分的にその後のビーチボーイズのアルバムに収録されたり、ブートが出回っていたりましたが、長らく幻のアルバムとして伝説となっていました。
さて、「幸せの張り紙はいつつも背中に」の歌詞ですが、冒頭歌い出し
この魔法とはまさしく子供の頃持っていた「無垢さ」を示していると思われます。
そして松野莉奈さんによるセリフパートは「成長による喪失」と・・・
関係者からの明言は無いものの、サウンドの指向性、歌詞の世界観の近似性から「幸せの張り紙はいつも背中に」の世界観には、ブライアンの「ティーンエイジ・シンフォニー」からの影響が色濃く反映されているというのが私(筆者)の見立てであります。
更には
ブライアンの「ティーンエイジ・シンフォニー」を軸のコンセプトとして、そこに英国サイケの空気感とさまざまなサイケデリックエラの曲達のカケラを散りばめたものではないか?
「幸せの張り紙はいつも背中に」は、鈴木慶一さん、曽我部恵一さんによる「ティーンエイジ・シンフォニー」として仕立てられた曲ではないのか?
1960年代中期からのサイケデリックポップの歴史
さて、「サイケデリック・ポップ」というワードを説明なしに使ってしまっていますが、ここで「サイケデリック」ムーブメントについて触れておこうと思います。
諸説ありますが、一般的には1966年に発表されたビートルズ「Tomorrow Never Knows」が最初の「サイケデリック・ロック」と言われています。
The Beatles - Tomorrow Never Knows (1966)
初期ピンク・フロイドもサイケデリック・ロックの典型と言っていいかと。
Pink Floyd - Interstellar Overdrive (1966)
初期ピンク・フロイドを牽引したシド・バレットのバンド脱退後のソロ作は英国サイケ(サイケデリック・ポップ)の一つの大きな成果であるとも評されています。
Syd Barrett - Terrapin (1969)
米国ではドアーズのような方向性も。
The Doors - Break On Through (To The Other Side) (1967)
それまでのティーンエイジャー向けの(言ってしまえば)楽しいだけのポップミュージックから脱却~進化して、人間の内面に向き合いそれを描こうとする試みや、これとは逆のベクトルとしてドラッグによる認知の拡張を主題とする等々。
音楽以外のファッション、アート、映画、文学等様々な分野でのムーブメントと連動して、ポピュラーミュージック既存の概念を大きく覆したものでありました。その特徴を簡単にまとめますと、
ドラッグ文化との関連性(所謂「ドラッギー」な表現「幻覚」を音楽で表現)
長尺反復されるリフ、リズムによるサウンド(プログレッシブロックへ)
哲学的なテーマ(東洋哲学へのアプローチ)
非西洋、非キリスト教的価値観への志向(エスニック楽器や古楽器導入)
サマーオブラブとの関連性(社会への視点、反戦反体制運動との結びつき)
ブライアン・ウィルソンの「Pet Sounds」
一方その頃、ブライアン・ウィルソンは、ドラッグの影響はあるものの、当時のいわば「アッパー」なサイケデリックムーブメントとは趣を異にした、より「ダウナー」で「無垢」な世界観を持ち前のポップセンスでまとめ上げた傑作アルバム"Pet Sounds"(1966)を作り上げます。
The Beach Boys - God Only Knows (1966)
The Beach Boys - You Still Believe In Me (1966)
The Beach Boys - I Just Wasn't Made for These Times (1966)
米本国ではそれまでのビーチボーイズのイメージとの乖離が大きすぎるというレコード会社の判断で碌なプロモーションも行われなかったのですが、英国での評判は上々でありました。
その証左の一つとしてビートルズ(特にポール・マッカートニー)へ大きな影響を与え、特にアルバム”Magical Mystery Tour”(1967)に色濃く反映されています。
極めて大雑把に言うと、この"Pet Sounds”及びその影響が見られるビートルズの諸作と英国サイケデリックの一部(シド・バレット)の影響を受けた音楽を「サイケデリック・ポップ」と言っていいのではないかと思います。
1966年"Pet Sounds"を完成させたブライアンは次に"SMILE"の制作に入りますが、その制作は程なくして頓挫する事になるのは前述の通りです。
日本におけるサイケデリック・ポップの底流
サイケデリック・ムーブメントは当時の日本のロックシーンへも影響を及ぼしました。潮流としては大きく2つ。英米のカバーを含む英語詞の楽曲、特にブルースロックを基調とした一派(内田裕也プロデュースのフラワー・トラベリン・バンド等)と、飽くまで日本語詞に拘ったはっぴいえんど一派。
サイケデリックムーブメントの影響ということですと直接的なカバー曲が多かった内田裕也氏側への影響が大きかったとも言えるのですが、「サイケデリック・ポップ」的要素が伺える楽曲は極めて一部でした。(ビーチボーイズ/ブライアン・ウィルソンへの造詣が深い山下達郎さんや大瀧詠一さんの作品に初期ビーチボーイズ的な要素は色濃く反映されているが、直接的な"Pet Sounds"オマージュ要素は少ない)
その数少ない楽曲の一つが、はっぴいえんどとの交流から音楽活動をスタートさせた鈴木慶一さんの「スカンピン」。一見無頼派的な歌詞と世界観ですがシタール(ギター?)が印象的なサウンド、メロディー共に「ダウナーで無垢」なニュアンスを感じることができます。
鈴木慶一とムーンライダース スカンピン (1976)
日本のサイケデリック・ポップ、実は後に続く流れを含めた役割を鈴木慶一さんが密かに培っていたのではないか?というのが個人的な見立てであります。
その検証というわけではないのですが、下記記事にサイケデリック・ポップの日本における受容史的なものをまとめてみました。
この記事中でも触れましたが、「幸せの貼り紙はいつも背中に」は鈴木慶一さんと曽我部恵一さんの共同アレンジの下、参加ミュージシャンは、元カーネーションの矢部浩志さんを初め、鈴木慶一さん率いる「Controversial Spark」のメンバーとも重なる(Key:横山裕章、Ba:岩崎なおみ、Dr:矢部浩志、スクラッチ:bonstar)といった布陣。
言わば、「幸せの貼り紙はいつも背中に」は、1960年代後半から始まった日本の音楽シーンにおける「サイケデリック・ポップ」を受容する活動、その中心となったミュージシャンによる一つの到達地点とも言える楽曲に仕上がっているのではないかということです。
依然として残る不明点
DIVE INTOで曽我部恵一さんがこの曲の成り立ちを相当に詳しく語ってくれてるものの、依然としてわからないことがあります。
端的に表現すると「なぜこのようなプロダクションをしたか?」という制作の動機みたいなことです。なぜ鈴木慶一さん、曽我部恵一さんを起用したのか?ブライアン・ウィルソンのオマージュというテーマはどこまで共有されていたか?といったことです。
こんな経緯では?という全くの妄想(経緯)を書き出してみます。
平野航さんはブライアン・ウィルソンのオマージュとして初期デモを制作し、ソニーミュージックの某シンガーのコンペに提出。(2012年頃)
コンペには負けたものの、ビーチボーイズ/ブライアン・ウィルソンやサイケデリック・ポップに造詣の深いソニーミュージックのディレクターの目に留まり、日本のサイケデリック・ポップの最高作にしたいとの目標を立てて、曲のコンセプトに合致する歌い手として私立恵比寿中学に白羽の矢を立て、平野さんに最終アレンジ含めた楽曲制作を依頼。(2013年頃)
私立恵比寿中学側の反応としては当時(2013年頃)は、BABYMETALで顕著になった「アイドルが攻めたジャンルの曲をやる」という走りの時期であり、新機軸としての取り組みとして了承。
平野さんは曲制作を開始するものの、アレンジメントの詰めの段階でソニーミュージックからのOKがなかなか出ずに制作は頓挫しかける。そこでソニーミュージック側はサイケデリック・ポップの第一人者である鈴木慶一さんにアレンジを依頼。鈴木慶一さんは制作パートナーとして曽我部恵一さんを推挙。
とこんな経緯だったら胸熱・・・ということで。(但し曽我部さんの発言を読み解くとソニーミュージック側がイニシアティブをとった形跡があるのであながち大外れはしないようなきがします)
最後に、
これまた思い付きの願望ですが、モノラルシングルで「幸せの貼り紙はいつも背中に」のアナログレコード(ドーナツ盤)出して欲しいです。
東洋化成さんの「レコードの日」キャンペーンと併せて、鈴木慶一&曽我部恵一アレンジだって前面に出せニーズあると思うんですが。
B面は何がいいかな?とまで考えたんですが、エビ中楽曲で最強B面曲ってなんだろう?と考えると「幸せの貼り紙はいつも背中に」自体が最強B面曲っぽいので、「幸せの貼り紙はいつも背中に」のカラオケ音源が良いと思います。
以上