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国鉄の悪魔化とネット人民の記憶について

国鉄職員の無法狼藉なぞ近くとも中曽根政権以前の話であり、還暦以上でないと大人の利用者としてのまともな記憶など持ちあわせない筈なのだがネットの風聞などをあたかも自体験のように語り、過剰に悪魔化するばかちんが後を絶たないのはわりと問題が多いのだよな。

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まさにゴブリンやオークの群れのような言われ様だが、わしらの学校に居た日教組教師(2ちゃんじゃ悪鬼羅刹のような言われ様)の9分9厘が普通の人だったように大方は平凡な労働者つまりそこらのおっちゃんであり我々はいま歴史修正の真っただ中にいるのだ。

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これ、「尾崎豊バイク盗んでんじゃねーよ」と同じく、時代における許容範囲の話なのよね。いまやバイクドロなんて余程のバカしかしないが80年頃は本当にカジュアルに盗まれたのだ。当時のヤンキー漫画みればわかる。

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暴走族に国民の支持があったなんて、いまの若い衆には信じ難い話だろうが、大人から子供まである程度の許容がなければ横浜銀蝿なんて成立しないわけでな。

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「春闘」も毎年うぜえとか会社泊まり込みじゃ大変じゃなんて声ももちろんあったが、妥結額がその年の賃上げをリードすること知らんサラリーマンも居なんだので応援する市民も当然いたのだ。そのへんの理解が必要。

時代によって「やっていいこと悪いこと」は変わるという当たり前の話。新宿のフォークゲリラなんかもそうやね。

だいたい欧州の鉄道労働者はもっと酷いストをやりまくっていて、欧米信仰の強い文化人やマスコミもサッチャーのような新自由主義者が出てくるまでおおっぴらにストを叩けなかったのだ。

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こういうのは昭和四、五十年代の「まだ社会党共産党に国民の三割ぐらいの支持があり、文化人や大学人にマルクス経済学者や親ソ派や文革派が当たり前にいた」という背景を踏まえないと理解を誤るな。労組がカルト的に頭おかしいんじゃなくて(おかしいけど)そういうテンプレ言説が通用していたのだ。

要するに全共闘の学生がコスプレ(当時そんな言葉はないが)だったように(坂本龍一や猪瀬直樹の後の変節みればよろし)、労働争議も「よきボリシェヴィキ」「戦う労働者」みたいなコスプレだったんだわ。

俺が入社した頃はすっかり牙を抜かれたあの頃の労組ジジイがまだ結構いてな、そいつら「いま管理職やってるあいつらみんな吊るし上げてやったんだ」って元暴走族のやんちゃ自慢のノリなんだわ。

要するに時代の空気と許容度の問題。昔は許されたことも今の非常識という話で、学生運動も春闘も「いまの常識」で国民の支持がなかったって斬っちゃうのはまあ雑だよね。

塩崎恭久なんか中核派に影響されて新宿高校で校長室の占拠までしたのが今じゃ自由民主党行政改革推進本部長やぞ。それが許された時代であるということ。

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「シールズなんかやると就職できない」に元全共闘ジジイどもが「???!」ってなったのもまあそういうことよね。

極悪番長漫画の悪役に見えるでしょうけど、これよい子も見るロボットアニメのパイロットの過去話ですよ。👇

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ああ、なにが言いたいかというと神隼人は暴力にまみれた学生運動家上がりという設定で、当時はさほど(ダイナミックプロ基準では)違和感なかったということ。

まあ、全般にワイルドで暴力に寛容な時代であったいうことですね。

だいたいねえ今は客が増長し過ぎなんですよ。中曽根が死んだときに「彼は国鉄職員の態度が悪いのを治した」って、日ごろ労働者の権利を謳う人まで高く評価していたけど、思い出して欲しいがあの頃は駅員だけでなく警官も医者もバス運転手もタクシー運転手も道で穴掘ってるおっちゃんもみんな横柄で客といえども子供なぞまともに対応なんかせなんだのだ。

デパート勤めのおねーちゃんなんかが近所にいると「あの子は会社の教育がいいからしっかりしている」なんて言われた、そんな時代。


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