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秀吉が利用した本能寺の変時の陣形

❶明智光秀 坂本城、丹波播磨担当 統率力無
❷柴田勝家は富山の魚津城で上杉と合戦
★秀吉は丹羽長秀と勝家の不仲を利用、賤ヶ岳の戦いへ
❸滝川一益は関東管轄、柴田配下だが堺の池田恒興の弟子であることを利用
❹丹羽長秀、副将 佐和山城主
当の豊臣秀吉は備中高松城攻め
❺蜂屋頼隆!土岐氏岸和田城主、四国攻副大将
羽柴性になる程、丹羽長秀とも親戚
❻津田信澄、副将大坂城の暴君、柴田勝家養子
❼織田信孝が四国向け大将、九鬼水軍100➕200と1.4万人の軍は住吉に集結
❽前田利家は、加賀・越前・能登三国支配、懐柔へ
❾堀秀政は長浜城主備中に
武田征伐後は多賀常則、丹羽長秀とともに草津温泉で湯治したとされる
長谷川秀一は単なる家康道案内役
徳川家康は6月2日決行日未明に伊賀越出発
★6月1日は津田宗及宅茶会に家康と穴山梅雪が参加
足利義昭→鞆の浦、武力、財力、カリスマ性無し
★西尾吉次 家康との連絡役、伊賀越えに帯同
菅屋長頼は信忠と戦死 越前担当
森蘭丸も戦死
蒲生氏郷 日野城主 斉藤利三から武道推薦
茶屋四郎次郎 京都百足町 本能寺側
亀屋栄任 呉服屋 信楽から伊賀越に同行
細川藤孝 丹後担当 堺から懐柔
筒井順慶 大和国担当部下が反対し山崎参戦せず
武井夕庵 右筆、茶人

本能寺の変で怪しい人物
❶近衛前久
❷吉田兼見
❸足利義昭
❹正親町天皇
❺千利休とイエズス会





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