見出し画像

なぜ世界が武士道精神を尊敬するのか

 日本の「武士道」とは、自分自身の心と向き合う「自己規律」・「精神」の強さを表す言葉であり、他者を力尽くで圧倒したり、外界に見せびらかすパフォーマンスではありません。
これは日本の美学であり、「心の姿勢」を表す「道徳心」の集大成なのです。
そして「武士道」とは武士を意味する言葉ではありません。ましてや刀を使い武力で闘いを行う事でもありません。それどころか反対に、武士道精神を生かして争いや戦争を止める為のものなのです。ですから「武士道精神」を極めた日本人は、いらぬ争いや戦いは避けて行わないのです。
武士道精神は、孔子の教えである儒教の「五常の徳」すなわち、仁、義、礼、智、信に基づいており、武士だけなく女性にも子供にも万人に与えられる精神なのです。
この精神の中で人を区別・差別する事はありません。この点が西洋とは大きく違うところなのです。
一般的な儒教が「道徳心」を中心としているのに対して、その教えを実践する陽明学の流れを汲んでいる事、孟子の性善説に立っており、仏教の運命への服従と禁欲の精神、神道の主君に対する忠義、祖先への尊敬、親孝行といった「忠」の精神をも取り込んでいる事が特徴なのだと考えます。ですから儒教には「誠」「切腹」という概念が無いのです。
 武士道の起源は、おそらく西洋の騎士道と起源を同じだと考えるのです。
すなわち、サルマタイ、スキタイ、サカの騎馬民族が生み出した精神では無いのかと推測するのです。
 武士道の元となる儒教は、ユダヤ人である孔子が説いた、ジュー(ユダヤ)教だったのです。
西洋の騎士道は外界に対して、美しさをアピールするパフォーマンス的要素が強いのに対して、日本の武士道・美は、自己規律の精神であり、外界に見せびらかすものではありません。
そして武士道精神がどんなに素晴らしいからと言って、それをお金で獲得する事は出来ないのです。
また、悪党がどんな方法を使ったとしても、金品、領土、権利のように強奪する事が出来ないのです。
「仁」は情けを表し、たとえ敵でも相手に情けをかけるのです。
「義」はフェアプレーを表し、たとえ勝負に勝っても不正行為で得た勝利は賞賛されないのです。
「礼」は他人に対する思いやりを表し、相手に見える形で表します。
「智」は物事の本質を見極め、常に切磋琢磨し、より良い手法を得ようとする心得なのです。
「信」は信じる強さ・信頼を表し、本来の日本では契約という概念なくしても口約束で十分事足りるのです。
「忠」は愛する者への自発的忠誠心を表し、これは強制されるものではありません。
無能な上司、主に服従、愛する行為を忠とは言わないのです。
したがって尊敬していない者、愛してしない者への忠誠心は存在しえないのです。
「誠」は言+成=言った事を成す。とした意味があり、一度でも口にした事は命がけで守り、守れなければ死をもって償わなければならないのです。
すなわち「信」が成り立つのは、「誠」あっての事なのです。
このように武士道とは、人が人として美しく生きる「姿勢」にあり、見せかけだけのパフォーマンスではないのです。
武士の基本となる武士道精神とは、人が人として生きる道を説いているのです。
よって無用な殺生はせず、よほどの状況にならなければ刀は抜かないのです。
ただ刀を持っているだけでは武士とは呼べません。
古来の日本文化では、男、女、子供、階級に関係なく平等に礼儀を尽くす精神が存在していたのです。
現在行われている「男女共同参画社会」とした政策は、元々日本に存在していた価値観なのです。
紳士・レディーと差別した関係性でありません。
しかし、いくつもの時代の中で日本にも西洋のような階級社会が存在していた時代もありました。
そんな社会の中で、人を階級で区別、差別する事への反発心から武士道精神が生まれたとも言われているのです。
たとえ相手がホームレスであっても礼を尽くし、困っているなら情けをかけるのです。
生きている事への感謝の意味もあるのです。
これこそが武士道なのです。
グローバルな時代の中で日本は、西洋文化、欧米文化に大きく影響を受けてきました。
明治以降、男尊女卑が強く日本に反映されたのは、階級社会からくる西洋文化、欧米文化を日本人が誤った角度から取り入れた為であると考えるのです。
これは男性だけでなく、女性も大きく誤認しており、互いにその間違いに苦しめられているのです。
武士道精神は、成文化された書物があるわけでもないのに、何百年にも渡って日本人のDNAに受け継がれてきました。なぜ世界が武士道精神を尊敬するのでしょうか…?
それは彼らの世界がそれとは真反対の環境であるからであり、過去どの国にも類を見ない唯一無二の精神でもあるからなのです。
 武士道を心得る者は、頭を下げて挨拶をし、正座をして、敬語で話をするのです。
礼儀とマナーを守る事を、最初から全身で表現するのですから、日常生活においても余計な問題などはまず起こらないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?