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北朝鮮が、まさかの血統

 朝鮮民主主義人民共和国と言う国は、いまだに共産主義を貫く最後の国家であり、特殊で異質の国の様に受け止められるのです。
しかしながら、北朝鮮の国家誕生のいきさつには日本が関わっていた事はあまり知られていないようなのです。
 一説によると、現在の北朝鮮軍の組織は日本の軍隊の仕組みそのものだと言われているからなのです。
つまりは、陸軍中野学校の特殊部隊ノウハウが未だに生かされていると言うのです。
実は北朝鮮の幹部が陸軍中野学校の出身者であるという都市伝説なのです。そのなかでも代表的な人物が畑中理、韓国名、金策と言う人物なのです。
 金策とは、金日成と伴にソ連軍を経て、朝鮮共産党幹部、朝鮮人民軍前線司令官となった人物であり、金正日は金策の子だとも、まことしやかに言われているのです。
 もしこれが本当なのであれば、北朝鮮の政権幹部が金氏、つまりはガド族であるという事になり、古代天皇家の血統を守り続けている国家だという事になってしまうのです。また金正恩は金正日と拉致された横田めぐみさんの子だと言う都市伝説もあるのです。 
 なぜならば、横田めぐみさんの母親の横田早紀江さんが、皇族の梨本宮方子さんと後に婚姻した最後の朝鮮王朝李垠氏との隠し子で朝鮮と日本両国皇族の血を引いているからこそ、計画的に拉致されたと言う理由なのだそうです。
現在の日本人の中で、韓国朝鮮人と共通の遺伝子Y染色体であるO2型をもつ割合は日本全体で約3割なのです。関西や中国地方での割合に限定すればさらに高いのです。
 約3割もの遺伝子が共通するという事は、日本人と韓国朝鮮人は親戚だという事になるのです。
 親戚同士が喧嘩をすると言うのは、はなはだ「みっとも無い(みとうもない)」話ですから、日本と南北朝鮮はもっと仲良くしなければ本当に「みっとも無い」のです。
 残念ながら、日本国内では朝鮮民族との関係で問題が山済みなことも事実なのです。
殺人事件を始めとする犯罪率の多さや、裏ビジネスなどでのトラブルも多いのが現状だからなのです。
そのように関係が難しい民族であるからこそ、日本で生まれて日本の教育を受けて育った日系朝鮮人が、間に立って両民族が今後も上手く関係できるように仲立ち役となって欲しいのです。
日本人の価値観を理解した者達が、上手く同族に説明、説得する事で、両国のギャップが少しずつでも埋まって行く事を切に希望したいものなのです。
 ところで韓国では、歴代の王朝が頻繁に入れ替わって来たのですが、当然そのたびに支配者にはひれ伏して従属しなければならなかったのです。
そんな時代があまりにも長く続いてしまった事が原因なのか?韓国人の性格は両班と言われる特権階級に従属する事に慣れきってしまったようにも見えてしまうのです。ですから韓国の文化をあえて、「奴隷の文化」と言わせて頂きたいのです。
 韓国人にも韓国人種と言うものは無く、現在の中国を支配している現代漢民族やそれ以前の古代中国人及び李氏朝鮮時代の女真族が韓国民族を形成しているのです。
 また、高句麗、百済、新羅、加羅といった古代の朝鮮民族は、その大部分が日本へと避難して来てしまった歴史があるので、既に文化ごと日本と同化してしまった可能性が高いのです。
 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えます。この教えは日本人の武士道の中にも息づいているのです。
ところが一番の違いは、これらの教えを実践出来ているか、否かの問題だったのです。
また日常の生活に当てはめた場合に、日本人のように「清貧の思想」で地道にコツコツと働いて精進しなければならないのです。それは精神的な支柱が無い、「儒教」文化では限界なのかもしれません。
現代の韓国では、統一教会をはじめ、多くの人々がキリスト教的な教えで支えられているようなのです。
 そして、韓国の庶民たちも、日本人以上に支配者達に騙され続けて来ており、摩擦を起こすよりも、服従する事の方がましだと考えて、慣れきってしまったように見えるのです。
 やはり正しい教育を受け、正しい歴史を理解する事で「人間牧場」から脱して人間らしい生活や考え方を、是非とも取り戻してもらいたいのです。
韓国人が両班と呼ばれる特権階級達の「洗脳」から、解放されて「正しい判断」が出来るようになれば、韓国人も日本の「ヴィジョン」を理解してくれるものと信じたいのです。また、日本で生活している韓国人が、本国で日本の「ヴィジョン」を韓国本国にも正確に伝えてくれれば、韓国は大きく変われるのだと期待しているのです。
 今後「ヴィジョン」を持って海外で活躍して行くであろう日本人を「お手本」として、韓国にも飛躍を遂げて欲しいものなのです。
かつてリットン調査団のアメリカ代表のフランク・ロス・マッコイ陸軍少将は、
「吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し、平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。」
「これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう。」
と述べており、日本人の植民政策が欧米人の考える植民地政策とは全く別のものであった事を述べ、日本の統治が韓国にとっても有効で有り、素晴らしかった事を讃えていたのです。
 さらには満州国もやがては、日本人の手で素晴らしい統治とな筈であった事を、暗示している談話だったのだと受け取る事が出来るのです。
これは「奴隷の文化」の国、韓国において、初めて庶民が奴隷から解放された切っ掛けが、いみじくも日本の統治時代にあった事を証明してくれる資料だと言うことが出来るのです。

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