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寺子屋と藩校こそが最高の教育

 江戸時代にあり最も素晴らしかった制度は、「寺子屋」「藩校」といった教育制度でした。
江戸時代の識字率は、簡単な読み書きに限って言えば70%を超えており、世界断トツ一位のレベルに達していたと言われています。
 その流れを引き継いで、現代の日本の教育においても、私塾が日本の教育を支えていると言っても良いのです。
1883年に文部省が実施した、『日本教育史資料』による開業数の統計では、全国に16560軒もの寺子屋があったといい、藩校が270校、郷学118、私塾が1076も存在していたのでした。
 寺子屋の教育は「読み書き算盤」と呼ばれる基礎的な読み方・習字・算数の習得に始まり、さらに地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる要素の教育が行われました。教材には『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往復書簡の書式をまとめた往来物のほか、漢字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』、『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、『国史略』『十八史略』などの歴史書、『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられたそうです。
 それは江戸時代にも、より良い生活のためには、教育が必要だと考えられていたからなのです。
例えば、商人は帳面付けが出来なければ手代や番頭にはなれません。また、職人は、図面や計算が出来なければ職人の棟梁にはなれからなのです。
さらには、農民もリーダーになるには文書作成、その他多くの実際的知識が必要だったからなのです。
江戸時代にも、教育を受けていなければ、最下級の人足と呼ばれた日雇い労働者以外の職にはつけなかったのです。
 そして寺子屋教育の最も素晴らしかった理由は、「人生の師」として、教師が「生き方」を教え、人間そのものを育てる「人間教育」の場であったからなのです。
 現代の教育に掛けている部分は「生き方」を教える、まさにこの「人間教育」の部分だからなのです。
奮闘している全国の私塾や学習塾も、センター試験を頂点として、ペーパーテストの為の教育に重点が置かれており、哲学的な「人間教育」の部分が、如何してもおざなりとなってしまっているのです。       
 知識は教えてくれても、本当に人生で必要とされる、生き方そのものを殆ど教えて貰えなければ、学校に行く意味などあるのでしょうか。
 時間の無駄になってはいないのでしょうか。
そして日本政府も重い腰を上げ、2020年を目標に中央教育審議会が文部科学省に答申した大学入試制度改革を行って参りましたが、目標は達することが出来ていません。その本来の目的は「受け身型」の教育から「発信型」を育てる教育にシフトして行こうと言う姿勢だった筈なのです。
 さらなる問題は、本物の「人間教育」を出来る教師が、日本国内でどの位育って来るかという事になるのです。
そして義務教育(公務員)の先生だけでは、この「本物教育」をやりきる事は難しいと考えられるのです。
 ですから、私塾の先生達に今以上、頑張って頂き、江戸時代の「寺子屋教育」を是非とも現代の日本に復活させて欲しいと、切に希望しているのです。

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