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明治維新で「國體」を盗まれた日本

 一般的に國體(こくたい)とは、「万世一系の天皇を君主とする日本の国家を称揚する観念」と解釈されて来たのですが、本質的に考えてみると、國體とは、本来「国家の志」及び「国家の姿勢」を表すべき言葉だと考えられるのです。引き継がれるべき大切な宝は、万世一系の血筋では無く「国家の志」であるからなのです。
 日本国には平和そして家族国家という「国家の志」が存在し、これは永遠に不滅でなければならないのです。
 明治維新によって、日本には「國體」が築かれたと言われて来たのですが本当は真逆なのです。
明治維新によって日本は「國體」を奪われてしまったのです。そして未だに日本に真の「國體」は蘇っていないのです。
それは明治維新によって日本が、イルミナティに乗っ取られてしまったからなのです。
明治維新を裏から推し進めたイルミナティの目的は、日本を乗っ取る為の分割統治政策だったのです。
イルミナティ勢力は「本能寺の変」ではキリスト教という宗教を利用して、日本に潜入し分割統治しようと試みたものの失敗に終わってしまいました。
そこで明治維新の際には、ロスチャイルド家が藤原氏と協力し、キリスト教では無く国家神道によって、日本の統治を試みたのだと考えられるのです。
その陰では、修験道や陰陽道が弾圧されていたのです。
外国勢力と宗教の日本への侵入を防いできた、修験道の禁止については、一般の人には殆ど知られずに見過ごされて来たのですが、その影響は非常に大きかったのです。
「歴史の陰に藤原氏あり」と言われますが、日本の歴史は藤原氏を扇の要とし、南朝百済系平氏と北朝新羅系源氏の二大勢力による協調と対立の歴史と見る事も出来るのです。
イルミナティは、この二大勢力を巧みに利用しながら、日本を分割統治し、日本を混乱させて乗っ取る目的であったようなのです。
具体的には薩摩、長州、土佐藩の南朝勢力、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、三条実美、伊藤博文、坂本龍馬に加え、南朝天皇を擁立したい水戸学派の徳川慶喜をも動かし、北朝勢力を倒して明治維新を成功させたのでした。
 明治維新は英国、フランス、アメリカが日本を植民地にする為に仕掛けた一大イベントであり、見事にその目的を達成したのでした。
さらに恐ろしい事には、明治維新によって天皇がすり替えられたのだと言われているのです。
正確には表と裏の天皇に分けられ、裏天皇となった堀川天皇が八咫烏と伴に、陰で日本を操って来たと言うのです。
これがカバラの恐ろしい所なのですが、皇居を江戸に移して堂々と天皇を隠したというのです。
そして裏天皇は、ロスチャイルド家の娘と婚姻をしているので、ロスチャイルド家に乗っ取られたも同然なのです。裏天皇は神社本庁や自民党だけでなく、北朝鮮や統一教会の勢力をも動かす力があるという点が恐ろしいのですが、ロスチャイルドの金融力を合わせれば世界支配も可能な権力を手中にした事になるのです。やはり日本はイルミナティの手の平で踊らされ、第二次世界大戦にも巻き込まれてしまったに違いないのです。
 イルミナティ成功の明確な証拠と成果内容は、
①日本銀行設立を通じて金融面を支配する事
②富の略奪(絹製品、美術品の略奪、金銀の不当な交換比率)
③内戦「戊辰戦争」「西南戦争」と戦争「日清日露戦争」「大東亜戦争」の誘発と武器輸出であったのです。
①日本銀行の設立に関しては
「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一が、徳川幕府大政奉還の年でもある、1867年のパリ万博の時にフランスに渡りました。この時に渋沢は、銀行家のフリュリ・エラールから銀行業、近代の金融業をしっかりと学んでいたのでした。このエラールのボスがアルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵で、フランス・ロスチャイルド家の総帥だったのです。
ちなみに徳川家とロスチャイルド家の交流は現在も継続しているのです。
つまりは大政奉還される前に、既に中央銀行設立の手筈が整っていたという事なのです。
日本銀行は伊藤博文によって国立銀行条例が明治5年に制定されました。
明治14年に設立された日本銀行は、日本国政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立するのです。
資本金は1億円で、そのうち政府が55 % の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資しているのです。その政府以外の株主が未公開とされているのですが、おそらく大部分がロスチャイルド家なのだろうと思われます。
この時点で、明治維新最大の目的は達成されており、日本は植民地主義の術中に嵌められてしまっていたのでした。
※戦争での武器は鉄砲や戦車では無い
金貸し達の寄生虫戦略の原型はウィーン会議に見ることができます。
1.民間の中央銀行を通じて通貨発行権を握り、その金融力によって国家に金を貸して支配すること。
2.中央銀行支配に反対する国家指導者は抹殺すること。
3.対立する両勢力に金を貸し、情報操作(世論操作)を通じて戦争を煽ること。
ウクライナ問題で世界をお騒がせしたロシアのプーチン大統領が行おうとしていた事は、再びロシアを支配下に置こうとするロスチャイルド家との戦いであったのだと見ることが出来ました。
渋沢栄一は、1867 慶応3年 大政奉還の年、 パリで行われる万国博覧会に出席した慶喜の弟徳川昭武の随員として、フランスを訪れました。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問しました。
③彼らの目論みは、フランスが後押しする徳川幕府と英国が後押しする薩長軍等の維新軍に全面戦争をさせて、日本を内戦状態に持ち込み、とことん疲弊させた後で植民地として乗っ取る事だったのです。
彼らの目論み通り明治維新というクーデターは成功し、不平等条約や金銀の兌換レートで騙された日本は植民地化の道をまっしぐらでした。
しかしながら彼らの誤算は徳川慶喜の「大政奉還」と江戸城の「無血開城」であったのでした。
その後も、戊辰戦争、西南戦争と進めてマッチポンプで内乱を誘発してみましたが、賢い徳川慶喜は全てお見透しで、日本国を守る政策を最後まで貫き通せたのでした。
日本は残念ながら、西欧が期待をしていた内戦状態にはならずに済んだのです。
もしも内戦が進んでいたら、外国の植民地とされていても全く不思議では無かったのです。
 マッチポンプとは、「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えらています。つまり、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする行為なのです。それは、もちろん批判的に用いられる表現なのです。
 西欧諸国は、武力でもキリスト教でも日本と言う国を支配する事が難しいと見るや、
「国家神道」という仕組みを考えました。
天皇の権力を高め、天皇を中心に国家をコントロールし、神道により宗教的な色合いを加える事によって支配する方法を模索したのでした。そして江戸時代には熱狂的だった、お伊勢参り、お陰参りまで国家神道の枠組みに利用しようとしたのでした。
内戦を無事に逃れた日本ではありましたが、やがて奴らの思惑通り、日清日露戦争、最終的には第二次世界大戦で嵌められて、日本は西欧人たちの思い通りに潰されてしまったのでした。
日本人は國體を奪われるどころか、戦後には、「愛国心」までも奪われてしまったのです。

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