見出し画像

大和合(やまとあえ)の知恵

 大和合とは、大和に集結した縄文人、客家漢人、ユダヤ人の三つの民族が争いを避けて日本で平和に暮らす為に、お互いが混血して一民族になろうとした三民族間の約束の事を表します。
実際には、折角約束をしたにも拘らず、裏では縄文人を騙して、こっそり自分達だけO2型の血を守り続けて来たズル賢い客家族の存在があったようなのです。
 双分法とは、二つに役割を分ける事で内部分裂を回避し、喧嘩せずに上手くやって行く知恵そのものなのです。そして二つに分けて、その上で管理するグループを入れるとピラミッド型の3局組織構造となるのです。
一つの社会が二つの部分集団によって相互補完的に組織されている社会組織もしくはその状態をいうのです。民族支配とは正反対の考え方で、力を分散する事で内乱を防ぐ知恵なのです。
例えば、敵対する部族同士が政略結婚で混血化して親戚となり仲良くし、政教(政治と祀り事)を分離する事で、権力を分散し、部族内での無用の争いが発生しないように防ぐ方法などを言うのです。
日本での事例としては、戦国時代に領地を接するお互いの藩同士が嫁婿を出し合い、戦を避けて、緊張を緩和する慣わしが一番分かり易い事例なのだと思います。
 まずは、ある部族とそこに隣接する部族との「政略結婚」は、敵対する部族同士が協力し発展する上でとても効果的なのです。ですから日本人は、政略結婚を繰り返し、混血を進めて来たのです。その結果、日本人の平均化が進み日本人の中での身体的な特徴の差異も極めて少なくなって来ており、日本人同士での違いを殆ど認識できなくなるまで混血が進んだようなのです。違いが少なくなれば、そして親戚同士となれば結果としてそれに伴う争いごとも起きにくくなるのは当然の結果なのです。
また、それぞれの部落が独自に持っていた、技術やノウハウを交換する事でお互いのメリットとなるのです。お互いが親戚同士になるのですから、お互いに争いを控えるのは当然の結果だし、遺伝子学的にも優れた子孫を残していくのには有利となるのですから、とても合理的、平和的な制度なのだと思うのです。
また冠婚葬祭の際に、お金を包む習慣やお年玉の習慣も日本独特の習慣らしいと思います。
それらは親戚や同じ村の人々が仲良く生活して行く為に日本人が生み出した知恵ではないでしょうか。
そして混血が進むことによって、民族対立や人種差別の要因が少なくなって行くのです。
もうひとつの知恵は、政治と祀り事を分離した政教分離なのです。
世俗の首長と宗教上の首長、民間の首長と軍事上の首長のように分けることもあります。もしそれらの権力が一つに集中してしまうと、独裁政治となってしまい恐怖政治化してしまう危険性が高いのです。
 政治は政治で、私情を挟まず誰にでも平等で清廉潔白である事が望ましいのですが、宗教の場合には逆で感情的、私的な要素が大きく関わってくるからだと思います。
どうやら出雲の国譲り以降は、大和朝廷が政治を司り、出雲族が祭祀を司る双分法になったようなのです。出雲の国譲りの際には、本当は大きな戦闘があったのだと推測しますが、その後に遺恨を残さず、政権を安定させるためにも、「国譲り」という形にすること事で両民族を丸く収めて納得させた日本人の知恵だったのだと私は理解しています。
そして現在の日本の三権分立制度は双分法をさらに、安定化させたシステムと言えるのです。
三権分立はシャルル=ルイ・ド・モンテスキューが1748年に「法の精神」の中で提唱した制度です。
それは給付・反対給付の相互応酬によっても結びついているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?