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日本中が神様のエネルギーで溢れている

 日本全国にある神社の数は、およそ8万8千社以上に上ると言われています。
その内、有人神社(神職者が常駐している社)は、2万社程度と言われていますが、実態は定かではありません。さらに分社を入れると、十万を超える数となり、仏教系寺院よりも数が多く、日本で最も多い文化建造物となっているのです。そして神社のおよそ九割は八幡神社や稲荷神社を祀る秦氏が実権を占めているとも言われているのです。つまり、日本の神道は秦神道といっても過言ではありません。そしてそれより古いのが出雲大社や諏訪大社のような出雲族系の神社になります。
とにかく日本ではどこの街にも必ず何がしらの神社や寺院が有り、生活の至る所に神様が居て、その神々に守られて日本人は存在し続けているのです。
神々と伴に暮せる日本人は、なんとも幸せな国民であると言えるのではないでしょうか。
ところで神社とはいったい何なのでしょうか?本来の神道とは明治維新の際に悪の輩が裏から国民を支配する道具として利用して来た一神教の「国家神道」とは全く異なるものなのです。
神社の起源は、思想的には縄文時代の「縄文ヴィーナス」と言われる土愚の時代にまで遡るのだと私は考えています。
長野県や青森県の縄文遺跡で発掘された土偶は、その後シュメメール文明の神話や遺跡から出て来る、金星の女神「イナンナ」に酷似しており、何らかの文明の連続性が有るものと考えられるのです。ユダヤ教の「幕屋」構造が神社の神殿構造にそっくりな事からも、秦氏以前の古神道と呼ばれる最も古い神道は、ユダヤ教の影響を強く受けて発展して来たものと推測されるのです。
つまりノーマン・マクラウド氏の「日ユ同祖論」を支持することが出来るのです。
現在存在する神社に近い形で本格的に祀った最古の神社は、大三輪山と大神神社なのでは無いのかと私は考えています。
秦氏が日本に渡来した後の神社は、原始キリスト教である景教の影響を強く受けて、発展して来たように理解されるのです。
それらは現在のキリスト教における一神教的な教えとは異なっているようなのです。そして神道とは日本人の叡智そのものなのだと私は考えています。
縄文時代より人類にもたらされた「大自然を崇拝する心」、「自然の力の陰に隠れて見えない大きな力」それを、「畏れ敬い感謝する心」、「人間本来が持ち続けている大切な心」そのものなのかも知れません。
そして歴代の宗教概念、ゾロアスター教、ミトラ教、儒教、道教、仏教を一旦全て受入れ、それを日本人的に取捨選択、吸収し、その後ずっと守り続けて来た事を象徴するものと考えられるのです。
それが最終的には日本オリジナルの大きな思想、神仏習合へと熟成し、現在の神道へと至ったと考えられるのです。
 私は、世界の宗教や思想は全てエデンの園にあったと言われる「生命の樹」から発生しているものと考えています。
そして、世界中の神様は結局は全く同じ「存在」を指し示しているのだとも捉えています。
ですから八幡神社の祭神は素戔嗚でもあり、さらなる元はアフラマズダー、エンキで有ると解釈出来るのかも知れません。
そして伊勢神宮の祭神は天照大神であり、それはまたイエスキリスト、エンリル、イナンナだとの解釈も出来るのかも知れません。
 そして、それらを証明できるお宝が伊勢神宮には隠されていると言われているのです。
 伊勢神宮内宮に納められていると噂されている?
忌柱…イエスの磔刑十字架の「横木」
天御柱…同十字架の「縦木」
船形の御船代…聖櫃(アーク)
八咫鏡…モーゼの十戒石
 伊勢神宮外宮に納められていると噂されている?
天御量柱…モーゼの旗竿「ネフシュタン」
八尺瓊勾玉…マナの壷
 伊雑宮に納められていると噂されている?
イエスの罪状板(I.N.R.I)
 熱田神宮に納められていると噂されている?
天叢雲剣(草薙剣)…アロンの杖 
ここで言いたいのは、日本人にはそのような見えない力(エネルギー)を活用して、日々の生活に生かして行くという智慧が重要だったという事なのです。
 そして恵まれたパワーをどのように引き出すかが、これからの日本人にとっての大きな課題なのです。
日本の歴史は藤原不比等がカバラの奥義を駆使し、藤原氏以前の歴史を神話化し、
「古事記」「日本書紀」に封印してしまったが為に、暗号を解読するように難しく、不可解となってしまいました。
しかしながら、各神社の祭神や古文書や口伝を詳しく調べる事で、日本の宗教的、民族的、文化的な歴史も少しずつ明らかになって来るのです。我々日本人は、そのようにして残された手懸りを基に、ジグゾーパズルを組み立てる様にして、本当の歴史を取り戻す必要があるのです。それは途方もなく長い道のりかもしれませんが、絶対に諦めてはいけないことなのです。

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