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「生命の樹」が萌え立つ国

「生命の樹」とは、旧約聖書の『創世記』に登場する、エデンの園の中央に植えられた木のことなのです。カバラ哲学の根幹と構造を象徴する木であり、命の木とも訳されています。
そして生命の樹の実を食べると、神に等しき永遠の命を得るとされているのです。
私は世界の宗教や思想が全てここから始まったのだとの理解をしています。言い換えると、「生命の樹」こそが世界の理想の姿を表しているのだと考えます。
そして、日本の哲学、文化、建築、習慣等も、知らないうちに「生命の樹」の哲学をもってデザインされて来ていたのです。
 聖書のエゼキエル書37章15から23には「ユダの木にエフライムが接ぎ木する生命の木」の話が載っています。ユダ族とエフライム族と他のイスラエル族が一致団結し、やがて人類が再生されるような暗示が述べられているのです。
七世紀の聖徳太子が活躍した飛鳥時代には、日本はシルクロードの終点と位置付けられており、東欧州、中東から日本までがシルクロードを経由し繋がっていたことが正倉院の宝物からも分かるのです。
この時代に人類再生の基盤が完成されたのかもしれません。そして、生命の樹を象徴する為に、立派な樹木が日本中の神社に植えられたのではないのでしょうか。

 日本人が何処から来たのかを調べる方法としては、ハプロタイプのDNA分析結果が参考になります。
日本は先住民の縄文人をベースに、ユーラシア大陸からの渡来人である弥生人との混血でなりたっている民族なのです。
日本人は大きくD1b、O1b2、O2、その他の4種類のY染色体から成り立っています。
Y遺伝子は男性だけが引き継ぐ遺伝子ですから、日本人の男性は大きく4タイプに分けられます。
もしこの4タイプを正確に分析できれば、日本の歴史及び日本人のルーツの答えが極めて正確に解明出来ると信じており、今後のDNAの研究に強い期待ができると考えています。
 まずD1b型遺伝子は先住民の縄文人に加え、日本から東欧州、中東へ移民し、再び日本に戻って来た渡来人だと推測されます。同じD型の遺伝子を持つチベット人は、日本から離れて日本に戻って来れなかった民族なのかもしれません。
詳細は今後のDNA研究で明らかになる事が期待されるのですが、おそらく新羅秦氏系がこの遺伝子を持っていたのではないかと私は推測しています。
O2型遺伝子は、中国からの古漢族が直接やって来ました。もしくは「呉越同舟」で有名な中国の呉や越民族が直接もしくは朝鮮半島を経て日本に渡って来たようなのです。
 稲作を日本に本格的に伝えたのが弥生人で、おそらく百済物部氏系がこの遺伝子を持っているのではないかと推測されるのです。どういう訳なのか、O2型の遺伝子の持ち主たちは、混血を嫌がりO2型遺伝子を頑なに守り続けたように遺伝子研究者側からは見えるようなのです。その理由を解明する為のこの先の遺伝子研究も楽しみなのです。
O1b2型遺伝子は、大陸南方や朝鮮半島からのツングース系混血の渡来人であった可能性が強いのです。
 おそらく金管伽耶藤原氏系がこの遺伝子ではないかと私は推測をしています。
いずれにしても日本には、それらの多民族が移住してきたのです。
 多くの移民があった事は、既に歴史書や各地における伝承からも分かっていて、主に秦氏系の渡来人が多く来日してきているのですが、これらに加えてペルシャ系、漢民族系、北方女真族系の渡来人もいたのだと推測出来ます。
それらの人々は、同時にミトラ教、ゾロアスター教、仏教、道教等のさまざまな宗教や、文化、言語、文字を日本へと持ち込んで来た事が間違いないのです。
 おそらく日本文化は唐の影響を最も強く受けており、また独自の宗教や文化、出自を隠すためにもあえて漢字、仏教や科挙の制度を導入して行ったものと考えられるのです。そしてそれがカバラの奥義だったのだと私は考えるのです。
 日本の良い所は、良いモノを取り入れしっかりと伝承して行くことなのですから、人類全体が共有して来た古代の文化、宗教、伝統の大本が今の日本には力強く流れ続けているのです。

 日本に渡来人が入って来たであろう証拠となる歴史を、私的な妄想とともに、様々な文献や記録から注目してみると。
1)BC220年頃の徐福が二度目の来航で、約3000人規模の移民がありました。
 秦の始皇帝から課せられた万里の長城等の過酷な土木事業において、奴隷的な労務、焚書坑儒に耐えられずに大陸を脱出して来たと考えられているのです。
2)西暦250年頃には、神武天皇の渡来に同伴して来た、朝鮮半島南部から千人規模の移民がいました。
 大陸は戦闘が激化し朝鮮半島南部の倭の内乱も関係していたのだと考えます。

3)370年頃に神功皇后もしくは応神天皇に同伴 して数千人規模の移民がありました。
朝鮮半島を平定した応神天皇のお供で、大規模の移民がいたようなのです。
4)475年頃の雄略天皇の時代には1万8千人規模の移民がありました。
 騎馬民族エフタルに関係する雄略天皇が朝鮮半島を征し、日本に凱旋したのかもしれません。
5)530年頃の欽明天皇の時代に3~4万人規模の大移民団がありました。
 朝鮮半島を支配した欽明天皇と一緒に日本へ移動して来たのかもしれません。
6)660年の白村江の戦いで日本の敗北がありました。敗戦の結果、唐から600人、百済から1400人の軍隊が唐の命令で日本統治の為に上陸してきたようなのです。
 その前に日本に逃げて来た百済人は述べ一万人に達するとも考えられています。
現在ユーラシア大陸に住む人々達も、一度日本を訪れれば、日本に残るユーラシア大陸の古代文化と歴史や祖先の匂いを懐かしく感じることが出来る筈なのです。
 ですから日本を訪れて、それらの痕跡を是非発見してもらいたいと切に願うのです。
 ところで地球上には様々な生き物が存在していますが、改めて観察してみると植物ほど強い生命力を感じさせるものが他に無い事に気がつくのです。
 なぜなら、ほとんどの生物が10年程度から長くても100年で一生を終えるのに対して、樹木だけは何千年も生き続ける事が出来るからなのです。
 多くの寺社にあふれるエネルギーの一部は、樹木が生みだすモノなのです。千年を優に超える樹木が茂る神社においては、強烈なパワーが宿っている事を体全体の五感を通じて感じる事が出来るのです。
ですから神社に参拝すると、特別にすがすがしい気持ちになれるのも当然なのだと思います。


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