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おいんこいん

グラフィカルな淵へと降りていく渡り廊下のようなひとすじの道を、私は密かに「おいんこいん」とよんでいた。その国のだれかがそれを指し示すのに使ったことばをうまく聞き取れず、なんとなくの響きをおもしろがって、ろくに調べもしないままそう呼んでいた。
灰色と黄土色が複雑にいりみだれた岩肌は両側にそびえたち、どこからか湧きでた水がその表面をつたってゆっくりと滴っている。ごつごつの地面から、ほんの少しばかり浮かぶように架けられた「おいんこいん」は、最初にもっていたと思われる木の瑞々しさを長い時間をかけて置き忘れ、鈍い黒となって、この無機質な風景の一部として同化している。ずっとのびた先は鋭角に曲がっていて、私はそれをエッシャーのような直角だと思って見ている。曲がったさきは大きな岩のうしろに隠れ、ここからは臨むことはできない。
「どうしました?」
ながく下りてきた道の真ん中で、問いかけられた友人の声に、ふと我にかえる。
私たちは、この斜面を木の道「おいんこいん」をつたって、もう何時間も降りてきたのである。振り返ると友人の耳にかかった眼鏡の柄のさきに、稜線にたつ幾本かの樹木が、霞んだ空気のなか、くねるようにして立っているのが見てとれた。
眼を合わせることができないのは、明らかに私が躊躇していたからである。
果たして、このまま「おいんこいん」を下っていくべきなのだろうか。いやもっと正確にいうなら、「おいんこいん」の終着点にあるものは、これほどの危険を冒してまでまみえる価値があるのだろうか。

いいだしたのは私のほうである。友人のベッドサイドに陣取り、彼の目が覚めるのを待って、こう告げた。
「今日こそ『おいんこいん』に出かけようと思うが、どうだ。」
それまで、私たちは何キロにもわたる木の廊下をおりていこうかを迷って、山小屋のようなゲストハウスに、すでに一週間も滞在していたのだった。
ようやく意を決しても、滝のような雨が窓を打ちつける激しい音に目が覚め、あきらめの気持ちをかかえながら二度寝に耽ってきた。かようにこの地は雨が多く、ましてや雨期の今は、月のうち二十日以上が降り止まない雨に四方をかこまれるのである。

しかし今朝ばかりは違った。
雨音ではやくに目覚める習慣がついていたのだが、その忌まわしい音がないことがかえって早起きをさせたのである。
起き抜けの彼は驚くでもなく、無言でうなずいた。私たちは朝日を受けながら、靴ひもをしっかりと結び、簡単な朝食を食べて「おいんこいん」へとでかけたのだった。

「どうしました?」
そう問いかける友人の顔はみるみるうちに翳っていった。それが私の躊躇のせいなどではないことは、あたり一面の光が、すさまじいばかりの勢いで奪われていくことでもわかる。あっと思う間もなく、大粒の水のかたまりが額を打ちつけだした。
雨だ。雨が降り出したのだ。
私の躊躇は、はっきりとした姿となって現れたのである。ダーっという音が地響きのようにして、四方を水浸しにしてしまった。うかつにも軽装で来てしまった私たちは宿るところもないまま、ただただ、激しい雨に打ち続けられるばかりであった。
やがて「おいんこいん」の両脇は、雨水でできた川にふさがれ、濁流となって私たちの足下まで浸してきた。豪雨のカーテンは視界をはばみ、目を落とすと、くるぶしまである水はすっかり「おいんこいん」を覆っているのがわかった。
私たちは片方の腕で顔を守り、もう一方の手はしっかりと握りあっていた。
ゆるやかに下ってきたと思った「おいんこいん」は見上げると急な勾配を持った、まったく違った景色と気配を漂わせていた。
踏ん張った足は一歩も動かせず、冷えてきた身体は、この雨がこの先、数日にわたって降り続けるのだという、ある確信のような予感にさらに震えていた。
私は握っていた手に力を込め、だれにも聴こえない小さな声で、
「進むことも、もどることも・・」
と発するのが精一杯であった。

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