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一日だけの水泳部

 むかしからスポーツは、からきし駄目である。なんといっても「痛い」のがいやなのだ。サッカーは脛を蹴られて痛いし、バレーボールは腕にボールが当たって痛い。野球は球が硬くなると当たるのが怖い。身体全部をぶつけ合うラグビーなんてもってのほかだ。
 中学生になって、一番痛くなさそうなバスケットボール部にはいったが、まったくおもしろくなくてすぐに辞めた。そのあとは茶道部である。
 とにかく闘志をむき出しにして痛いことをするっていうのが、どうにも理解できない。自分が痛いのはもちろん、ひとが痛いのを見るのもいやである。オリンピックなんて「痛いの祭典」でしかなく、なにがいいのかさっぱりわからない。
 個人競技はまだいい。自分の問題だから、やめたければやめればいいのだ。いけないのはチームでやる競技だ。痛くてやめたくても「チームのために」という大義をいつの間にか背負わされて、あとに引けなくなってしまう。さきの大戦では、きっとこうして、いやいやながら突撃して死んでいった兵隊さんもいっぱいいたにちがいない。大義に背くことは許されないのだ。
 バスケットボール部を一学期で辞めたときも、なんとなくそういう気まずい雰囲気があった。部活を辞めるということは、社会生活からはじかれるような、そんな無言の圧力があって、能天気なぼくでさえ、これはやばいと感じたくらいである。でもつまらなかったので、痛くはなかったけど辞めた。

 水泳は好きだった。ほとんど遊びの延長線にあって、小学生の頃は、プールが遊び場だった。最初は鬼ごっこばかりだったけど、そのうち泳ぎだして、バタフライや背泳ぎも覚えて、気がつくと400メートル個人メドレーとかができるようになっていた。
 あるとき、茶道部のばくは水泳部の顧問に呼ばれて、学校のプールを泳がされた。タイムを計っていて、あがると先生はにこやかに、
「大会にでてもらうから、入部手続きをしてくれ。」
という。ぼくも水泳なら痛くないからいいかと思って、大きくうなずいた。
「わかりました。」
入部願いに署名して、手渡した。すると帰り際に、先生が
「明日までに、坊主刈りにしてきてくれ。」
と、わけのわからないことをいう。
「え、なぜですか?」
ときくと、
「規則だからだ。」
と、あいかわらず爽やかに言う。
 ぼくは、大いに戸惑った。すでにロックにはまりきっていて、これから長髪にすることを決めていた矢先である。
迷いはなかった。
「じゃ、退部します。」
とだけ言って、顔も見ないで部室をでた。くだらないことはいっぱいある。ほとんどのことはくだらない。

 ぼくは明るいプールで、ひとり泳ぐ。かつての長髪はすっかりなくなって、坊主頭に水泳帽だ。いずれこうなることがわかっていたら、顧問の言うことをきいて、素直にバリカンをあてればよかったか。まさか、そんな馬鹿な。
 優雅に歩くご婦人がたのわきを抜けて、きょうもクロールでゆっくり泳ぐ。痛くもないし、ぼくにはこれくらいがちょうどいい。


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