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民主主義はおろか、人権さえも

 どうしても「犯人」に仕立て上げたい、こいつこそが「うそつき」であるという印象を広く植え付けたいという強い意志のもとに行われた証人喚問。あれほど私人だからと参考人招致を拒んでいたにもかかわらず、こと総理大臣を侮辱したというだけで証人喚問だと息巻くヒステリックさにはどこかファシズムの匂いがして、怖気がはしる。
 さらにさる議員が口にした「国にたてつくとたいへんなことになる」という発言が、これから目のあたりにするであろう公権力による「リンチ」の凄惨さを予感させる。

 まったくもって、ひどい時代になったものだと思う。「共謀罪」が閣議決定され、これからはこのような横暴な公権力の濫用が常態化することになるのだろうか。
 その暗澹たる時代の幕開けとして、この籠池理事長への証人喚問が、見世物=ショーとして執り行われるならば、これは近い日の我がこととして、否が応でも緊張せざるを得ない。
 これは菅野完氏が指摘している通り「人権問題」にほかならない。国が衆人環視のもと、ひとりの個人をなぶる、人格攻撃をする、犯人にまつりあげ、すべての責任と罪をなすりつける。これこそが人権蹂躙ショーでなくてなんであろう。自民、公明、維新の質問者は、はなから真相を究明する気などないのだ。それをわかったうえで、あの場に臨むというのは、どれほどの強い気持ちが必要なのだろう。

 ひどいものを見ることになるにちがいないという、ぼくの心配は、午前中の参議院での質疑がはじまるやいなや、杞憂にすぎないと知った。あれほどの圧力、そして悪意と策略の渦に飲み込まれることなく、籠池理事長はじつに堂々と渡り合った。いや渡り合うというよりも相手を凌駕していた局面すらあった。真相究明などとは無縁の、実に現政権の恐怖政治ともいえる「公開リンチ」は、その目論見がはずれ、思うような成果をだせなかった。
 これは大きな誤算だったろう。喚問後、御用コメンテーターや御用文化人、さらには御用メディアが一斉に、籠池氏とその奥さんの人格攻撃をはじめだした。政府や自民党議員は、あの証人喚問で籠池氏が「大嘘つき」だとわかったと、ややひきつりながら得意顔をしてみせる。だけどぼくもふくめおおくのひとは、籠池氏があの証人喚問で、保身のための「大嘘」をついているようには、どうしても見えなかった。

 その後の国会答弁や報道をみるにつけ、黒いものを白と言い切る鉄面皮、自分たちの利益やシナリオをどこまでも押し通そうとする強引さ、印象操作や時間稼ぎ、国民を愚弄する心持ちが透けて見える。増長した公権力は、おのれの万能さを妄信し、夜郎自大な振る舞いをやめようとしない。
 でもそれは「見えて」しまっている。映像とはかくも恐ろしいもの。隠していると思っている、あるいは見えないだろうと信じている狡猾さ、卑屈さ、尊大さ、その心の根っこは、しっかりと映像として映って、伝わってきている。4時間を越える国会からの中継を見ながら、あらためて映像の力を思い知った。

 「森友学園問題」には、いろんな側面があるだろう。もはやそれらにくわえ、「人権」に対する現政権の考え方や態度もあぶりだしているように思う。
 「共謀罪」が法制化されようとしているいま、「国にたてつくとどういうことなるか、よく見とけよ。」といわんばかりの証人喚問ショー。幸いなことに籠池さんの気丈なまでの精神力が、その幕開けをなんとかしのいだ。ここにかすかな希望を持ちながらもなお予断は許さない状況にぼくたちは立たされている。

 政権側にかならずしも有利にすすまなかったこのショーの最後に、下地議員からでた恫喝のことばが、すべてをあらわしているようで印象に残った。
「きょうの答弁があなたの人生にとって非常に重いものになると思いますよ。」
 ぼくたちはいつまでこのような幼稚で、衝動的で、頭の悪いチンピラたちに愚弄されつづけなければならないのだろうか。
 

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