見出し画像

桃山邑の口上

(1)

 これからでかけるにあたって、手元にある紙片にあらためて目を通す。ページをめくると、水族館劇場の主宰者である桃山邑氏の口上が、こまかな、見た目にも漢字が多いことばの群となって、藤棚のように連なっている。
 このひとの文章にはいつも引きこまれる。古くさい言い回しのなかに、えもいわれぬ立体感と体臭があって、いたずらにことばと時間を労していないことがよくわかって背筋が伸びる。
 前回の三軒茶屋での公演のあとに襲ったであろう分裂と破綻と困難の顛末が、それとなく伝わるような文脈に、彼自身にまとわりついた死の影も見え隠れする。
 かようにおどろおどろしく、大仰に吹聴してまわるのも、またアングラならではのクリシェだと言えなくもない。しかしかれの文章や人生や芝居は、ありがちな意匠の向こう側に、それとはまたちがった様相を垣間見せてくれる。

 それがなんなのか、いったいどかからやってくるのかを知ろうとして、桃山さんの口上に、リーディンググラスをかけながら目を落とし、探っている。
「建築もまたひとつの藝能なのではないか。そんなことを考えるようになったのも、すこしずつわかち難くなってくる芝居と建設労働の日々のなかだった。」
 自身のこれまでを回顧するように、こう言うくだりがある。桃山さんは、芝居と建設という「現場」を生き抜いてきたのだと思う。
 桃山さんのいでだちは工事現場の作業員のそれだ。ニッカポッカに、たくさんのごつい道具をぶら下げて、ヘルメットを目深にかぶっている。
 芝居と建築には世間のひとたちからの蔑みと畏敬があると感じた桃山さんは、
「聖と穢とがあざなえる禁忌に変成してゆく過程をまのあたりにしながら、わたくしはますます藝能のはらむ両義性にのめり込んでいった。」
と振り返って綴る。

 「水族館劇場」においては、建てることと演じることが、どこまでもわかち難く、へだてようなく両立している。あたかも農民たちが薪をたいて、能を舞う、かつてあった藝能のひとつのありさまをのぞきみるような気にもなる。それがこころの芯につたわってくるのは、昨今の演劇、文化への、それとない違和感がぼく自身のなかにあるからにちがいない。
 想田和弘監督の「演劇」と「演劇2」を観ると、そこにでてくる劇団と劇団員がやっていくために、たしか六千万円だかの助成金を得るために四苦八苦する姿がこれでもかと映しだされる。
 そのいちいちを興味深くみながら、芝居をするって、続けていくってほんとうにたいへんなんだなあと、素直に思った。でも反面、結局そういうことなのかと、すこし気持ちが萎えたのも事実だった。

 「水族館劇場」の劇団員たちは劇場を自分たちの力で建てる。しっかりとした足場を組んで、立派な舞台と客席を組み上げ、作りあげる。これは素人にはかなわないプロの仕事である。ちゃんと消防署の許可もとって、はちきれんばかりの観客をいれるだけの強固な劇場。この劇場そのものがかれらの人生であるといってもいいように思う。
 ことばをかえれば、工事現場で働くひとたちが、自分たちで作った舞台にあがって、めいめいに芝居をするということでもある。ぼくたちの目のまえにあるのは役者としての自我を押し出すプロフェッショナルな技量ではなく、むしろ生活者、労働者としての、ごろっと転がっているような生身の身体性である。
 その役者たちが、神話でも、寓話でもあるような、どこでもない場所で起こる出来事を物語る。それはもうすでに何千、何万と演じられ、吐き出されてきた台詞まわしなのかもしれない。しかしある瞬間、それらが、立ち居や台詞が、ふっと息を吹き返すときがある。ことばとしてふたたび生命が宿る。かれら、かのじょらの、来し方といまこの舞台で放つ台詞が偶発的に交わるのである。

「劇的なもの」とは、すくなくともぼくにとっては、みえないものを現出させることだと思っている。それは一方的に与えられものではなく、観客として参加しているこちらがわの全身全霊の「補い」がどうしようもなく必要なのだ。
 客入れで桃山さんがいった「一緒に作りましょう!」という呼びかけは、あえて足りないもの、瑕疵があるもの、不十分なもののなかで、たがいの人生、そして想像力を持って、なんとかして劇を完成させようではないかという挑発なのだろう。
 まったくもって未完成なもの、それはそのままぼくたちのすがたにほかならない。不完全だからこそそれはおもしろいし、余白があれば楽しい。
桃山さんの口上にもこうある。
「はじめてご覧のお客さまも、ゆめゆめ演劇鑑賞などなさろうと思わずに。珍奇なもの、いかがわしさにあふれたものに目をかがやかせ、バッタもんを掴みにきた感覚で、一夜のまぼろしをお楽しみください。」
 さて、きょうは最終日、あの素敵な建物が壊されるまえに、もう一度、花園神社にでかけようと思う。


(2)

 場末の劇場「新宿座」の小屋付き台本作家のあまちが、そのクライマックスでこう叫ぶ。
「真に虐げられしものたちの物語を語っていかなくてはなるまい!」
 「この世のような夢」のなかで、もっとも印象深かったこのセリフの残響を耳の奥にこだまさせながら、桃山さんの口上を読み進める。
 「水族館劇場」の水の底には、いろいろなものが沈んでいるにちがいないが、そのおおきな沈殿物に「差別」にかかわるものがあるのは、実にはっきりとしている。
 口上では、乾武俊の「黒い翁」という書物が紹介される。それはそのまま劇中の大黒天煙之助が被る黒いお面の由来をしめすだけにとどまらず、被差別部落民たちの芸能という領域に深くわけいっていく。
 桃山さんは、乾武俊についてこう書いている。
「瑞々しい感性にさえ、ゆるがせにできない筋が一本通っている。この老人には譲れないなにかがある。強度となって言霊をあやつっている。退路をたったものだけが持つ厳しいまなざし。」

 「水族館劇場」には、徹底的に蔑まれ、差別されたものたちへのまなざしが、太い水脈となって流れている。そしてそれは差別する側からの視点だけでなく、差別される側からの視点もまた複雑に混ざり合って、独特なうたかたを生み出している。
 前作「嘆きの天使」では、作家永山則夫そのものを、みずからを無意識のうちに優位に置いた視点から語るのではなく、「棄民」永山に深く伴走する視点からも観客席に「差別」を問い続けたのは、実に見事だった。
 これほどに「差別」という問題を懐にいれて舞台をつくる劇団を寡聞にしてしらない。桃山さんがいう「藝能の両義性」とは「尋常ならざるものへの畏怖と差別」であり、「聖と穢とがあざなえる禁忌に変成していく過程をまのあたりに」することこそが、藝能の媚薬であり、ダイナミクスなのだと思う。
 さすれば必然的に、そのもやいを解いていくために、否が応でも「差別」に向き合うことになるだろう。藝能の民は被差別の民である。これでもかと容赦なく差別され、蔑まれることで、その「ゆるがせにできない一本の筋」や「強度」を体得していく。そしてその困難のはたてに、聖なるものをこよらせていくにちがいない。

 差別されしもの、聖を感じているものにしか持ち得ない強さとゆるぎなさこそが、「水族館劇場」のおおきな魅力である。
 太子堂の神社での公演のあと、この劇団の存続の危機をすくったひとりが、三重県津市の芸濃町の同和教育者であったというのも、あながち偶然ではないだろう。
 その芸濃町の名士はこう語る。
「人間の価値はどこに生まれたかではなく、どう生きるかにあり、ましてや地位や名誉ではない。」
 こうして書き写すと、これはおそらくどこかできいたような、きれいごとになってしまう。しかしこのことばを誰が言うか、どうように言うかによって、その内実はまったく異なってくるのである。
 「人間の価値はどこに生まれたかではなく、どう生きるかだ。」というクリシェに、どれだけの説得力と強度をもたせることができるか、それはそのまま発話者の生きかたやこれまでやってきたことへの問いかけとなる。
 生涯の長きにわたって差別され、また同和教育を実践していくなかで差別と向き合い続けたひとが語る「人間の価値」ということばには独自の強度がある。そしてこの強度こそが、いまのぼくたちにもっとも身につけなければならない技量なのではなかろうか。
 そのためにも「差別」を禁忌の檻から解き放ち、すすんで言挙げしていかなければならないと思うのである。


(3)

 「差別」はある。だれのなかにもある。これはもういかんともしがたい事実であって、いまさらそれを頭ごなしに否定してみても、根絶しようと試みたとしても、それは徒労でしかないだろう。
 「差別」は心根の奥底にある。みなの心の奥にある。そんなどうしようもない事実にうろたえてみたり、恥じ入ってみたりするほど、この国の近代化がいくら遅れていようとも、そこまでおぼこではないだろう。

 桃山さんは「差別」に言及しながら、そこに生まれるある種の強度と両義性に拘泥している。すなわち「穢」として蔑まれ、差別されることで、「強さ」が生成されること、そして差別に向き合い、あらがいながら生きつづけることで、その「強さ」がゆるぎないものとして鍛えられていくことを知っている。
 そしてあるとき「穢」が「聖」に反転する、ないしは両立する瞬間に遭遇するという不可思議さに刮目し、そこに演劇という藝能の姿を描いているのだ。
 「この世のような夢」は、江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」が物語のレイヤーのひとつになっている。そこでも大富豪の当主と、捨てられた孤児として生きた男の入れ替わりが描かれていて、それは端的に「聖」と「穢」の両立と反転という構図をカリカチュアライズしているようにみえた。

 「水族館劇場」のリーフレットに書かれた桃山さんの口上。そのしめくくりの手前で、こう言っている。
「現実の縁にたったまま埒外の役者たらんという夢をあきらめない。いつでも市民社会に復帰できる通行手形など、とうの昔に紛失して怯まない。迷子のように途方に暮れた集団かもしれないが、叱られても叱られても喰らいついてくるからこそ可能性がみえる。とるにたらない能力しか持ちあわせぬ者だからこそ観客のこころにひびく芝居がうてる。」
 ここでつかわれる「こそ」という係助詞に、被差別者としての芸能集団の強さ、ゆるぎなさが凝縮されている。
 「差別」はある。そしてその「差別」を日々受けるひとたちがいる。それは唯物論的に是正されなければならない。ただここでは、その辛苦のなかから、独自の「強さ」というものが、たくさんの犠牲のうえに、しっかりと生成されていることに目をむけてみたいと思うのだ。
 
 沖縄のひとたちの新しい基地建設に対する反対運動には、そこしれない「強さ」がある。東京にのほほんと住んでいるぼくなどにはとうていはかることができないような「強度」がある。
 それはなにに由来するだろう、どこからやってくるのだろうと問いかけずにはいらなれない。そしてよく目を凝らしてみると、「強さ」の向こう側にある「差別」にいきあたる。
 戦時中、沖縄のひとたちは皇国日本に、いったいどんな目にあわされてきたか。そして戦後、沖縄は新生日本にどうあつかわれてきたか。その歴史、つい八十年くらいをさかのぼった歴史をかいつまんで知るだけでも、そこには厳然とした「差別」が存在していることに気がつく。
 たくさんの犠牲と乗り越えがたい困難と思い出したくもない現実をかかえながら、そのひとつひとつをじっとこらえてきたからこその、存在の強さ、抵抗の強度が生まれているのだと思う。
 それにくらべると、なかば独裁ともいえる為政者のやりたい放題にやられっぱなしで、ただにが笑いをするだけのぼくたちは、なんともひ弱にしか映らない。
 安保法制、いわゆる戦争法への国会まえでの反対運動の様子を見た辺見庸氏が、
「やつらは死ぬ気でやってんだ。もっと身体を張って真剣にやれ!」
と叱咤していたことを思い出す。
 
 ではなぜかようにひ弱なのか。そう考えたときに、ひょっとしてぼくたちは自分たちのことを、差別をする側、あるいはそれを黙認する側だと、無意識のうちに信じてしまっていやしないかと思い至った。いつのまにか自分は過酷な被差別の場から離れた安全なところにいると、やみくもに思い込んでいるのではなかろうか。
 でももし、ぼくたちが耐え難い差別をこれまでずっと受けてきたとしたら、そしていまもまさに差別の重圧がのしかかっているのだとしたら、いったいどうだろう。
 映画「スノーデン」のプロモーションで来日したオリバー・ストーン監督が、さるテレビのインタビューでこう言っていた。
「日本はすばらしい国だ。文化やあらゆる面でね。しかし、ただひとつだけ問題がある。日本はかつて持っていた主権がない。日本はアメリカの衛星国であり、人質なのだ。」
 

(4)

 菅野完さんというひとりのノンフィクション作家が、いわゆる「森友問題」を通して、国や政府、そして行政を相手に大立ち回りを繰り広げている。
 菅野さんが国という巨大な相手に対して仕掛ける喧嘩のやりかたは、いままであまりみたことがない類の流儀だ。それは一筋縄ではいかない、決して正攻法とはいえないものである。
 目潰しをし、すねを蹴り、うしろにまわって後頭部を打つ。ときには建物の影から石つぶてを投げつける。実に奇想天外であり、小気味がいい。さすがの巨人もこの無名の小兵にほとほと手を焼いているのがわかる。
 菅野さんはたったひとりでありながら、驚くほど強い。一強といわれた政権の足元をぐらぐらと揺らしている。ぼくはその強さに惹かれた。以前辺見庸氏が言っていた「『個』として戦端を開く」ということばのイメージが、具体的な像となって、菅野さんにぴたりと重なった。

 「森友問題」はじつにさまざま問題を派生させながら、こんにちまでなんの合理的な説明も責任の所在もあかされてはいない。そんななかで菅野さんの目は一点をじっと見据えている。それは「人権」であり、「差別」であり、「民主主義」である。それらは行動の基準となって、菅野さんの懐にしっかりと根付いていて、ゆるぎない強靭さを後押ししている。その軸足がしっかりしているからこそ、菅野さんの喧嘩は「しつこい」のである。簡単にひねりつぶされないように、前にうしろに身軽に動きまわり、状況を見ながら、絶妙のタイミングで手持ちの武器を繰り出してくる。
 つい何日かまえも籠池理事長夫妻と財務省官僚との録音データが公開されたばかりだ。あわてて民進党が籠池氏にヒアリングをし、朝日新聞があらためて社説を書く。けれども菅野さんはそんな大手とはつるまないし、媚びることもない。むしろ信用していないばかりか、大手メディアは手持ちの武器として利用するくらいのものなのだろう。
 菅野さんは、どこまでもひとりでいて、ひとりで闘っている。仕掛けたジャブやブローは徐々に効いてきている。そのしつこさは、巨体が膝を折り、崩れ落ちるまで、かれが「よし、しまいや!」というまで続くだろう。こんなにも見事な喧嘩の仕方に快哉を叫ぶとともに、ここから学ぶことがおおいにあると、考えをめぐらすことになった。

 菅野完さんは、その出自とあいまって、部落解放運動に従事してきた経験がある。ずっと「差別」というものが身近にあるなかで生きてきたのはまちがいない。だからこそかれの口からでる「人権」ということば、「差別」に対する姿勢には強さがある。
「籠池のおっさんだけが国会呼ばれて喚問されて、明恵さんがFacebookでなんや自分で書いたかもわからんもんで説明してって、そんなん道理が通らんやろ。おっさんの人権はどないなっとるん。」
 菅野さんが言っているのは、こんなシンプルなことだったりする。国有地が格安で払い下げられた、わたしたちの税金がどうのというのも大切だけれど、ぼくたちは菅野さんのように、人権をないがしろにする横暴な権力の行使に、もっと腹をたてなくてはならないと思う。

 ことばをかえるなら、ないがしろにされているのは籠池さんの人権だけではなく、ぼくたちひとりひとりの人権なのだから。決して自分たちを被差別の対象ではないと思ってはならないと思う。げんにこうして日々、ぼくたちは差別され、愚弄されているといってもいい状況が続いている。
 今村復興大臣が愚弄したのは東北のひとたちだけではない。「土人が!」と叫んだ自衛隊員が差別とともに目をむいたのは、沖縄のひとたちだけじゃない。旭日旗や日の丸を高々と掲げ、「殺せ!」と叫びながらデモをする。その声は在日朝鮮人だけに向けられたものではない。
 それらの差別と憎悪と不寛容さと権力の行使は、ほかならぬぼくたちに対してのものだ。まずもってその「差別」の矛先を自分ののどもとに突きつけないかぎり、これからも空回りしていくばかりだろう。

 たとえば、オリバー・ストーン監督が言うように、ぼくたちがアメリカという巨大覇権国家によって、ゆえなき差別を受けているのなら、そこからはじめるのもわるくない。そうして、「主権」を「人権」を「自由」を「民主主義」を求めていく闘いを、ひとりひとりがそれぞれの場所で仕掛けていくことが大切なのだと思う。それがほかならぬ「近代化」なのではないだろうか。そう、まわりを見渡せば「水族館劇場」があったり、菅野完さんがいたり、もっともっと、それぞれのスタイルで「近代化」に取り組んでいるひとたち、「人権」を守ろうとするひとたち、「自由」を求めるひとたちを見つけることができるはずである。そんなひとたちをじっと見ながら、しぶとく強くなれるよう、少しずつ鍛えていこうと思う。

「水族館劇場」の感想が思いの外に長くなってしまった。最後に桃山邑の口上の結びを引いて、この雑文のいったんの幕引きとする。

「海を越えて流されてきた散楽藝能の源流からあらわれ、宇宙の根源を認知した黒い翁は、田の泥の中から人間たちを誘っているのだ。たとえ、それが地上にもはやなく、二度とあらわれることがない蛍だったとしても。それでもなお、今宵のまぼろしが、みなさまの胸の奥にとびかう、あえかな祷りのような蛍火となることを信じながら。」

(了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?