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1937年のこと 堀田善衛「時間」の覚書

1、

  頭の後ろがジンジンする。普段あまりしない読書なんぞをはじめたからだろうか。
 週刊金曜日という雑誌に、26回にわたって連載された辺見庸の「1★9★3★7」は、それ自体が戦慄を覚えるものであったが、いま読み始めたのは、単行本となったそれではない。その連載がきっかけとなって、はからずも再び産み落とされた堀田善衛の「時間」である。

 「1★9★3★7」もまさに読むというより、噛むといったほうがずいぶんとぴったりとくる、そんなすさまじい体験であったが、「時間」もそれに伍する、あごの砕けんばかりの噛みごたえである。これはほんとうに堀田善衛という作家が書いたのだろうか。
 所謂「書かれたもの」としての小説というには、あまりにも逸脱しているのだ。ことばが生々しく襲いかかり、目をえぐり、足先まで全身体のくまなくを突き通す。頭が割れそうになる。

 歴史が、あるいは日記という体裁がそうさせるのだろうか。おそらくそればかりではないだろう。なにかに憑かれた呪詛のような「わたし」の一語一語が、そのとば口に立ったばかりでありながら、前へと読み進めることを躊躇させるのである。恐怖と諦念と未知がすでに伝播し、どうにも身動きがとれない。1937年11月30日からはじまった「わたし」、すなわち陳英諦の日記は、12月9日の末尾にこう書いている。

「‥‥いつまでこんな日記を書いていられるか、わからぬ。明日はもう書けなくなるかもしれない。しかし、それが出来るあいだは、地下室の、この無電機を前にした机に向かって書きつづけるつもりである。無電機を移動させねばならなくなったら、このノートもいっしょに移動する。
これを書くについて、わたしの心掛けていることは、ただ一つである。それは、事を戦争の話術、文学小説の話術で語らぬこと、ということだ。」

 やはりそうだ。陳英諦はこうして語っている。自分のことばで、見たままの「事」を語ってきかせているのだ。これは書かれたものではない。息がかかるほどにすぐ間近で、陳英諦が語りかけてくる。
夜が明ければ10日、恐ろしさのあまり本を閉じる。「鬼」はもう、すぐそこまでやってきている。
 
2、

「江岸から南京站(駅)まで歩いているあいだ中、ぼこっ、ぼこっという深い水底から巨大な泡が上昇して来て水面で破裂するような、鈍い砲声が聞えた。それはまだ遠い。しかし、旬日のうちにも、あの怠惰な(何故かそう思われるのだ)音は、眼前に閃光を発して爆裂するものとなるであろう。」

 南京の城外から響いてくる戦争の音、大砲の音を遠くに聞きながら、それは確実に迫ってくることをつよく予感していながら、無為のうちに時間が過ぎていく。「わたし」は知っているのだ。恐ろしさとともにその「布を被せた太鼓をたたくのにも似ている」ぼこっ、ぼこっという音が、これまであった南京での時間を大きく変節させるであろうことを。かつて「わたし」は時間というものをこうとらえていた。

「この山にあっては、時間ははじめから凍結しているのだ。いささかも人間にわずらわされぬ、あの露骨な自然をわたしは愛する。」

 しかし、凍結した時間と、これまで流れてきた「わたし」の時間と、その両方をも歪ませるかもしれない事態を肌に感じたとき、ひとはいったいなにをどうするというのだろう。予感、予兆。これはどこか動物的ともいえる勘と振る舞いに依っているにちがいない。
 ぼこっという怠惰な音は、ことの重大さ、真剣さとは裏腹に、むしろ滑稽ですらある。これだけではひとはその向こうにある悲惨さを想像できはしない。南京市内は表面上平常と変わらぬ様相である。なぜならひとは生活しなければならないからだ。たったいま、シリアの街でも空襲のときをのぞけば、そこには暮らしがあるだろう。しかしその暮らしぶりを想像することはたやすくない。

 「時間」では、日軍の入城をすぐそこに控えた南京のひとびとの生活が、まるで目の前で、伸ばした手に触れることができるかのように描かれている。「わたし」は思い立って歯医者に行く。べつに歯が痛いわけでもなく、緊急でもない。しかし「わたし」は、平時では思うはずもない莫迦げた考えにとりつかれているのだ。

「恐らく、歯痛のある人は、死ぬ、或いは殺される直前にも歯が痛んでいるであろう。歯が痛い、痛い痛いと思いながら死ぬか殺されるかするであろう。」

たとえば時間の歪みというのは、こうしたこと、動物的なひととしての位相の錯綜を引き起こすのだろうと思わせる、そんなくだりである。

3、

 「時間」は中国人官吏陳英諦の手記というかたちをとっている。南京陥落が強く予感されるなか、12月7日には「命令」に関する記述がある。日軍の軍靴が迫り来るなか、「わたし」は命令を受けて塹壕を掘りにいく。そこで若い指揮官のいいようのない怒りを目の当たりにする。しまいには石や折れた鍬にまで怒りの矛先を向けているのをみて、「わたし」はこう思う。

「命令というものは、まったく人間に対してだけしか出来ないことなのだ。命令を下すことになれてしまった人間は、恐らく判断力を失ってゆく。あの若い士官の上級、その上、そのまた上の上へとピラミッドを辿っていったら、頂点にはどんな化物がいることだろう。」

 アイヒマン裁判ではないが、先日見た南京揚子江での大量殺害に加わった元日本軍兵士の証言のなかで「命令だったから」と、ぼそっと言うのが印象に残った。その命令は厳格で絶対的であって、またあたりまえだったのだと思う。

 辺見庸が「1★9★3★7」で、激しく自身に問い詰めたのは、この命令に対して果たして断ることができたか、「自分なら殺さなかったか」という内省であった。命令が、その内容の如何に関わらず、命令である限り、それに従うかどうかが、命令されるものに関わることである。善悪の判断、ことの良し悪し、倫理、そういったものを考える余地はそこにはないだろう。
 安全な場所にいて、想像力を徹底的に欠いたまま糾弾することだけは避けたいと思う。状況に身を置きながら、「ぼくはそのときどうしただろうか」と目を閉じる。堀田善衛によって書かれた陳英諦の手記「時間」は、その想像力に大きな力を与えてくれる。

 12月10日にはまたこうある。

「だが、この滅亡という、美しくかつ絶望的な光りに照らし出された幸福な状態は、反面われわれが陥っている病的な状態の証明でもあるのだ。極度の麻痺状態が訪れて来ているのだ。既に死者を見ても、負傷者を見ても、本当には心を動かさなくなっている。」

 極限の状況では、ひとは「麻痺」するのだろう。自己保存の本能からか、それともなにかから逃れるためか、ひとは思考することを停止し、自ら麻痺していく。そして麻痺は命令と無関係ではないだろう。願わくばその命令が「正しい」ものであってほしいものだが、それは命令されるものには預かり知らぬことである。

 ぼくのまわりでも、このところ「戦争」ということばが、ものすごく頻繁に聞かれるようになっている。ひどいことが世界のあちこちで起こっている。
 麻痺してやしないかと、ときどき自分に問いかける。目がうつろになっていやしないかと、ときどき鏡を覗き込む。


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