還暦
ぼわっとしたものがあって、それをなんとかしてカタチにしようと思ってきた。そんな六十年だったのではないかと思う。
高校生の頃、竹橋の美術館でアンリ・マチスを観たときに、どうしようもなくざわめいた。このなんともいいようのない心のひだを、ほかに伝える言葉を得たいと思った。言い得ないものを、言う、語る。
まったくもって生産性のないことがらに、いまもって腐心する。ぼわっと、ぼんやりしたものがあって、それをなんとかして言葉にしようとする。ぼくの場合、熟考はかえっていけない。勢いのままに、一気呵成にとらえて書こうと試みる。
しかし、推敲の段階で、なにかちがう。まったくそのぼんやりとしたものの中心をつかまえられていない。投げた投網に狙っていた魚ははいっておらず、そのまわりにいた小さな魚たちしか手にすることができない。
追えども追えども、それは幻影のままで、それをとらえようとするこちらはいたずらに歳を重ねていくばかりだ。オニの背中を見つけたように得意になっても、その実、いつまでもつかまえることができないでいる。そんな凡夫の悲しさ。
せめて言い訳をしたり、虚栄の飾りだけはするまいと、それだけを矜恃にしてきたと思う。そしてつねに「戦後」のなかで、ものを考えてきたし、いまもそれはかわらない。そしてこれからもかわらない。
いまこうして、「いかに戦争に向かったのか」という素朴な疑問が、実感を持って解かれようとしていることに、ではわかったからといって、なにができるのかという自問が痛いほど突き刺さる。
もはやわかることに満足する時間はあまりない。しかしながらわからないことには足を前に出せない。このジレンマの果たてに死があるとするならば、時間は過酷にありがたい。
いったいなにができるのか、できないのか。つかまえることができるのか、できないのか。1961年8月17日に生まれしDUSTは、いまだもってDUSTでしかない。
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