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いつのまにか

 歳の瀬も押し迫った夜、飲み屋さんの看板の端にけつまづき、もうひとつ向こうの別の飲み屋さんの看板に、倒れこむようにして頭をぶつけた。近くのひとに声をかけられたが、さほど痛くもなかったので、だいじょうぶですと、照れを隠すように先を急いだ。
 二、三歩いくと、目玉のうえのほうからなにかが垂れてきた。手をやると真っ赤だ。どうやらひたいを切ってしまったらしい。当人はたいしたことがないのだが、はたからの見目がとても悪い。ティッシュでおさえて、大きめの絆創膏をひたいの真ん中にあてて、その場をなんとかしのいだ。

 朝起きると、右目がパチリとひらかない。どうやら右目近くもぶつけていたようで、鏡を見ると眉毛のあたりが赤紫になっていた。その日も外出があるので、対面するひとの具合が悪かろうということで、眼帯をすることにした。しかしこれがたいそう不便で、片方の目だけで世界を見るというのは、かくも脳や肩を疲れさせるものなのかと、あらためて知ることになった。
 駅に行く十分ほどの時間でもう限界となり、改札口に着くまえに、眼帯はお役御免になった。ひたいの絆創膏は毛糸の帽子をすっぽり被ることで、なかったことにできたが、半あきのまなこに赤あざでは、
「どうしたんですか、それ?」
ときかれて、毎回、ことの顛末のいちいちを話すのも億劫だなと考えながら、手すりにつかまっていた。
 たしかにこのところずいぶんと歩いて身体は疲れていた。さらに深底の重い革靴を履いてもいた。しかし看板のへりなどは楽に越えられたはずだ。そのちょっとが容易にかなわなくなっているところが、いかにも還暦の歳末にふさわしいようで、情けなく思うどころか、妙に納得するからか、かえって微笑ましくさえ感じた。
 しかしそれはぼくのなかのことであって、対面するひとは不思議に思ったり、心配したり、ときに不快に感じたりするかもしれない。自分の間抜けさを吹聴してまわるのもどうかと思ったので、ひとがたくさんいるところにはいかないようにした。なので、たいへんにお世話になったお店の最後のイベントにも、年の近いひとのお別れの会にも行かなかった。

 いつからか、にぎやかなことや大きな集まりがあまり好きではなくなった。その日が近づくとなんだか憂鬱になったりする。いろんなひとと会って、なにを話したらいいのか、どう振る舞ったらいいのかが、きっとわからなくなっているのだと思う。
 以前はなんということもなかったのだけれど、そのちょっとしたことが心につっかかっている。あたかもあがるはずの足が看板のへりにつまずくように、こればかりは如何ともしがたい。いくつかの集まりに行かなくていい口実を得たと思うなら、小さなコブも大量の出血も吉である。
 みそか、大晦日も静かに暮れて、気がつけばいつの間にか正月であった。


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