見出し画像

「座頭市」

 その冒頭、どこやも知れぬ街道筋に腰掛けた「市」の息が、こころなしか荒くゆれている。その息の乱れは、追っ手から逃れてきたがゆえでもなく、身体の調子が悪いからでもない。
 鼻孔と口から不規則に吐かれる息。それは「座頭市」という「怪物=マシン」が孵化したばかりの時にあげる産声として、さらに「座頭市」という「物語」のはじまりをうたう前奏曲として、ある種の不気味さと違和感とともに耳に訴えかけてくる。

この恐るべき「怪物=マシン」を「殺す=壊す」唯一のチャンスは、このファーストシーンにのみあった。
 生まれたての「市」は、おのれが何者であるか、なぜここに腰掛けているのかもわからずにいる。だからこそ子どもの手によって、容易に仕込み杖をうばわれてしまう。この子どもをさしむけた刺客は、約束通りガキに駄賃をあげるべきだったし、四の五のいわずに「市」 をたたき斬るべきであった。
意気揚々としたチンピラが「市」をまえに、得意げにたれる能書き。
 その短い時間は「市」を完全に目覚めさせてしまうのに充分な「時」を与えてしまった。「市」は「座頭市」たるおのれと自分に課せられた「命=コマンド」を理解し、ただちにその履行を開始する。

 多くの血とともに、あの「座頭市」という物語を、もういちど反復しなければならないという「命=コマンド」。刺客とは名ばかりのチンピラがふんだドジのおかげで、観客は、幸か不幸かその物語に、ふたたび、いやおうもなくたちあわされていくことになる。

 映画がはじまる。この生成の瞬間、反復の現前にこそ、人は涙し、胸をおどらせるのだと北野たけしは静かに語りかけてくる。そして「座頭市」という「怪物=マシン」を世に放っていいのかと、それを引き受ける覚悟があるのかと、北野たけしはうつむきながら言う。その「怪物=マシン」が斬るのは悪人だけではなく、あなたの親や兄弟、こども、恋人なんですよと、後ろ姿で念をおす。

 もはや観客は冒頭のチンピラよろしく、いままでながながと垂れるだけ垂らしてきてしまった能書きを後悔する時間すら奪われている。
 この映画のはじまり、すなわち勝新太郎の死をもって封印された「座頭市」をふたたびスクリーンに放ち、その物語を反復するのだという決死の覚悟が、そのファーストシーンをかくも美しいものにした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?