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シワ

 高校は、都立深沢高校に通った。桜新町の駅をあがってサザエさん通りを行き、246号線をわたって、桜並木を抜けていく。ぼくがいたころは、学生運動のなごりで、私服だったということもあり、自由な雰囲気が漂っていた。
 成績も態度もよくなかったからか、一年の終わりには担任に呼ばれて、自主退学を勧められた。差し出された退学届に名前を書かなかったのは、なんとなく、いろんなひとがいるこの学校が好きだなと感じていたからかもしれない。
 同じ学年に障害のあるひとがいた。バリアフリーという考えがまったくなかった時代の学校生活は、さぞ苦労が多かったことだろう。そんな彼女とは、在学中につながることもなく、少し離れたところから眺めているだけだった。

 彼女は、卒業して児童文学作家になり、大きな賞を取ったりした。ひさしぶりに新作が上梓され、この12月に「いのちのカプセルにのって」は刊行された。
 出版を記念する会を、ぼくがやっているフォークユニットの定例ライブとあわせてやることになった。演奏とともに、作家の挨拶や絵本の読み聞かせなどがはさまる。いつもとは一風変わったライブで、新鮮な楽しさがあった。
 集まった高校の同級生をまえに、彼女はこんな話をした。児童文学を目指したのは、あまり漢字ができなかったから。そしてがんばれたのは、大人になって、こうしてみんなと会ったときに恥ずかしくない自分でありたかったからと。

 新作「いのちのカプセルにのって」は、障害をかかえた女の子あかりと子犬の話だ。そのなかで、やはり障害をもったおばあさんがでてくる。ふつうの子たちは、みんな乱暴でいじわるだと、そう思い込んでいたあかりの気持ちをゆっくり解いてくれるのが、このおばあさんだ。あたかも障害のある人生も悪くないよとばかりに、大きく笑う様子が印象的だ。
 58歳になった作者自身が、かつての、ちょっとひねくれ者だった少女の自分に話しかけている。それが「人生、わるくないよ」と響いたとき、ぼくは強く胸をしめつけられ、涙がとまらなかった。

 かけつけてくれた同級生のなかには、離島の障害者施設で働くひともいれば、障害のある子のおとうさんもいた。
 彼女は挨拶をしめるにあたり、こういった。
「深沢高校にいって、『健常者もへんなひとばっかりだ』とわかった。」
 ほんとうにそう思う。ぼくが好きだなと思ったところも、同じ。へんなひとばっかり。
 へんなひとたちが、その話をききながら、うれしそうに笑っている。ぼくは、同級生たちの顔に目をやる。その皺にくったくのない善良さを見つける。そんなとき、ぼくは深沢高校に通えて、彼らと出会えて、ほんとうによかったと心から思う。
 ここまでの時間は決して短いものじゃないけれど、それぞれが過ごしてきた人生は、なにはともあれ、そう悪くなかったと信じたい。
 これからも生きて、歌って、話して、お酒飲んで、そしてときどき会いたいと思う。
 

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