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ブルース・ウェーバーの映画

「ジェントル・ジャイアンツ」
「トゥルーへの手紙」
12月某日 シネマライズ渋谷

 「アメリカの鱒釣り」と出会ったのは1981年、英語の授業の教材としてだった。以来折りにふれ読み返す、友だちのような本である。ポケットにはいるペーパーバックサイズが持ち歩くのに便利だということと、どこから読んでも、どこで閉じてもいいというのが魅力だ。
 今はもうぼろぼろになってしまった表紙の写真には、ベンジャミン・フランクリンの銅像の前で、こちらにむけて笑いかけているようなひと組のカップルの姿が写っている。
 帽子にめがね、くちひげ、後ろ手にくんだ手、そしてデニムといえばまっさきにこの写真を思い出すくらいかっこいいデニム。左足をちょっと前にだす立ち方がとても印象的だ。そのかたわらには、小さな木の椅子に腰掛けるブーツをはいた面長の女性がいて、あたまには、包帯のような大きなヘアーバンドを巻いている。ベンジャミン・フランクリンはこちらから見るとやや右前方の彼方を眺めているようだ。この写真こそが「アメリカの鱒釣り」そのものだ。
 
リチャード・ブローティガンが生きたアメリカは、カーペンターズの歌のように、明るく空虚で暗黒な繁栄を演じ続けてきた。だからこそ「アメリカの鱒釣り」テロリストは、一年生たちの背中に「アメリカの鱒釣り」と書きつけるのだ。
 白墨で書かれた「アメリカの鱒釣り」は数日のうちに一年生たちの背中から消えてしまう。しかし「アメリカの鱒釣り」はそれからも明るい繁栄のそこここにブラックホールのようにあいた「空虚な暗黒」を見つけだしては、印をつけ続けているのだ。
 リチャード・ブローティガンという、世界一立ち姿がすてきな作家は、ぼくがこの本に出会ったほんの数年後にピストル自殺をする。でも「アメリカの鱒釣り」が死んだわけではない。
 
つい先日も渋谷の映画館で観たブルース・ウェーバーの短編フィルム「ジェントル・ジャイアンツ」にも「アメリカの鱒釣り」の姿が、はっきりとあった。
 一見プライベートな、この15分たらずのフィルムは、決して「戦後」をむかえることなく走り続けてきたアメリカが行きつくであろうひとつの到達点、具体的にいえば「9・11」とその後にやってくる「暗黒の百年」を、実に見事なまでに予見している。
 ブローティガンが死んだ84年には、まだ「アメリカの鱒釣り」テロリストたちが印をつけた空虚な暗黒の穴たちも、まだそれとはわからない小さなものだったのだろう。しかしこの映画が撮られた94年には、それらの穴が、十年という年月の間に、くっつきあって巨大化し、このままではとりかえしのつかないことになるほどになっていたのではないか。その事態をひとりの鋭敏な写真家が痛いほど自覚していたということだ。
 そしてこのすぐれた写真家が皮膚感覚として感じていた恐るべき予見、すなわち来るべき「暗黒の百年」の到来は、不幸なことに「9・11」という形で的中してしまう。

 だからこそブルース・ウェーバーは、百年後の映画「トゥルーへの手紙」を撮らなければならない羽目になったのだ。
「『9・11』が起こって以来、君たちのことが心配でならない。」
 スクリーンいっぱいに映し出される犬たちの姿は、どこまでも「不完全」だ。しかし「不完全」でありながら、いやむしろ「不完全」であるがゆえに投影される真実の淡く小さな光を信じて、ブルース・ウェーバーは手紙を書く。
 映画のなか、かかりつけの獣医が語るエピソードがある。仲間が庭で遊んでいるさなか、ある犬がひっそりと息をひきとる。すると傍らにいた一頭がその亡骸におおいかぶさり、40分以上の長い間そうしたまま動かずにいる。
 獣医は言う。
「死にたいして悲しみと畏敬の念を表したのだ。」
 そして次の瞬間、その犬は、なにもなかったように庭にでて、他の仲間たちと一緒に走りまわっていた。そうやって世界は明日をむかえる。

 くり返すが「トゥルーへの手紙」は百年後の映画、すなわち百年の長きにわたって「明日」を迎えることを信じて撮られた映画である。百年たって映写機にかけられたこのフィルムは、スクリーンからこう問いかける。
「そこにだれかいるのかい?まだ誰かいるとしたら、この百年をどうやって乗りきってきたのか教えてくれないか。『9・11』が起こって以来、ぼくは君たちのことが心配でならないんだ。」

百年後の映画館、人々や犬たちの目にはこの映画がいったいどう映るのだろう。
 

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