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山の声

 真夜中に山あいの道を車で走った。宮崎県の延岡市街から40分ほどを分入った道には灯りもなく、ただヘッドライトをたよりに進むばかりだ。周囲は漆黒の闇に落ちているにもかかわらず、確実にそこに山があることを感じる。ひとの気配よりも山の気配にあふれている。
 ぼくはぶるっと震える。こわいのだ。夜のしじまが、どこか「死」を連想させるような、この静寂と黒がどうにもいけない。
「山あいの村落に暮らすことは、ぼくには到底できそうにないよ。」
運転している友人にそう話しかける。

 こうして車で走り抜けるだけでも、いろんなものの気配に包まれる。ぼくは想像する。たとえばいま通り過ぎたあの平屋の家に寝ているとして、だれかが家や部屋にはいってくる様子だ。そのだれかは「ひと」ではなく、空気のような気配をまとった「なにか」だ。その「なにか」を気にしないでいられるか、仲良くやれるかが、こうした山村での暮らしの、必要かつ第一の資質のように思う。
 田舎暮らしなどと、やや甘美に響くことばとは裏腹に、どうにもコントロールできない環境に身を置く厳しさや楽しさについて考える。九州だけでなく、日本には山が多い。「暮らし」といえるもののひとつのカタチ、独特な暮らしぶりが、山での生活に確実にあったと思う。山は静かで、じっと動かないようでありながら、闇のなかでは大きく迫り、覆いかぶさってくるようだ。

 木下闇(こしたやみ)ということばがあるが、山にはたとえ陽がある時間でさえ、闇の入り口がここそこにある。そして気配に満ちている。かつて山での暮らしがごく普通であった時代には、こうした気配とひととの交流や交換が、日常的に執り行われていたにちがいない。
 しかしいつしかひとは山から下りて、街に住むようになった。ぼくのように気配をこわいと思うようになったのか、それともひとの手に負えない自然の力に降参してしまったのか、いずれ便利さと快適さと豊かさをもとめて、ひとは人工の街に居を移した。

 助手席の窓を半分開けてみる。ついさっきでてきた街よりもずっと空気が冷たい。ひとがいるであろう家はポツリポツリとしか見つからず、住むひとと山が発する気配とのバランスが大きく崩れて、あたかもだれひとりとしてそこにいないかのようだ。
 あらためてここに腰を据えて暮らすことを、自分のこととして想像してみるが、自らの生き物としての弱さばかりを感じてしまう。しかしあるひとたちにとっては、この山の気配がぴったりときて、すごく心地いいものになるかもしれない。人工物に病んだ暮らしから、もっと自由で大らかな、気持ちの楽な暮らしぶりができ、豊かな人生の時間になるかもしれない。

 先日、やはり深夜の渋谷の街にいて、ほんとうにたくさんのひとで溢れかえっているのを、いまさらながらに驚いて、なにやら感慨のようなものを感じながらながめたのを思い出した。
 そのときもちょうどいま感じたバランスの悪さみたいなものを思った。ぼくはたくさんの若者たちを見ながら、同時に地方のシャッターばかりの商店街や、山村のことを思い描いていた。ひとはそこにはいない。ここにいる。ひとはみな、自然が発する気配から逃れて、この道玄坂に集まって狂騒の声をあげている。極に集中し、周縁が穴だらけになって、この国はなんだかずいぶんとバランスを欠いているように思った。

 地方創生とは、かような人工の極をあちこちに、公共事業で作ることではないだろう。カネを落とすことだけを考える従来からの発想を、どこかで方向転換しないことには、おそらく地方の疲弊はとまらない。中央目線の画一化とはちがった価値観と暮らしのスタイルを打ち出さないかぎり、この自然豊かな国にありながら、バランスを欠いたいびつな、ある意味でグロテスクな地方を創生することになりかねない。
 その昔、自然のことごとくを神とした暮らしぶりがあった。その精霊たちの声に、じっと耳を傾ける姿勢があってもいいのではないかと思う。
 

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