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「花はんめ」

「うれしくても、かなしくても、人間これ、涙、だめだねえ。」
 ハルモニがそっとつぶやいた。

 ずっと観たくていた映画「花はんめ」にやっと出会えた。金聖雄監督による、川崎市桜本に住むハルモニたちを追ったドキュメンタリーである。追ったというと、なにやら社会的な視点でという風にとられてしまうが、本作はあくまでやんわりと、ハルモニたちの日常にカメラを向けただけである。それもとてもいい距離を保ちながら。

 おそらく桜本のスーパー「ライフ」なのだろう、水着を選んで、仲間同士で大はしゃぎしている。たまたまその場面に出くわした金監督は、その初々しさ、みずみずしさに強く胸を打たれたという。水着を買っているところを撮ってしまったんだから、プールも撮ろうということで、この映画の制作ははじまったそうだ。

 「花はんめ」の公開が2004年というから、さかのぼること、その4年ほどまえ、つまり2000年あたり。映画のなかのハルモニたちの時間は、ちょうど21世紀の幕開けとともにあったというわけだ。
 買ったばかりの水着をきて、プールで笑っているハルモニたち。
「40年、いや50年ぶりくらいにプールにきた。」
 なぜそれほど時間が開いたのか。映画のなかではなにも語られない。しかしそれはそのまま、徴用で日本に連れてこられた在日一世たちの、想像もおよばない人生の時間にかさなってくる。

 カメラは、清水の姐さんこと孫分玉さんの部屋によくおじゃまする。そこは一人暮らしのハルモニたちが集う寄り合い所となっている。分玉さんは、それぞれにやってくる友人たちにキムチをだし、お茶をいれ、クッパを作り、おおいにしゃべり、たくさん笑い、大きな声で歌う。
 彼女たちの一番の楽しみは、毎週水曜日に行なわれる「トラヂの会」だ。「トラヂの会」はいわば交流会。みんなおもいおもいに着飾って、集まり、飲んだり食べたり踊ったりで、とてもにぎやかだ。

 そんなひとりひとりを庭によんで、金監督はこう聞く。
「はんめの夢は、なに?」
 80を過ぎたハルモニたちはびっくりする。そんなこときかれたこともなければ、きかれるとも思っていなかったという体だ。
「いちばん楽しいことは?」
 みな口をそろえて「トラヂの会」だという。この小さな質問に、金監督の無邪気とも無垢とも言える品性の高さを思う。

 映画は、ハルモニたちの日常を映しながら、だんだんと孫分玉さんに近づいていく。なんといっても「姐さん」だから、そこにいけばハルモニたちがやってくる。ぼくたちもその茶の間にいて、一緒になって笑い、ときに涙する。
 
「過去に辛かった話だけはきかないように決めていた。」
と、アフタートークで金監督がいっていたように、いくらかの例外をのぞいては、彼女たちの過去は語られない。あくまでハルモニたちの「いま」だけだ。でもその「いま」が、語られなかった差別と偏見とともにあった人生の時間を、どうしても感じさせずにはいられない。

 とにかくたくさん笑って、たくさん泣いた。いい映画だったなと思う。肺を病んで、臥しがちになった「姐さん」が、ばっちり化粧をして、あたまに花をつけて、ひさしぶりに「トラヂの会」にやってきた。ナレーションの時制が、一瞬だけ過去形になる。
 ラストカットが最高だった。やはりこの監督の品性の高さを思わずにはいられなかった。
 

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