見出し画像

でてくる顔

映画館で働くことを想像する。そこにはいろんな仕事があるだろうけど、一番興味があるのは、上映後のお客さんの様子を見ることだ。扉をあけて、次々とでてくる顔を、まんじりというわけにはいかないから、お辞儀をしながら、ちらっと見る。するといま観た映画の印象が素直な表情となって伝わってくる。

目を腫らしてしていたり、微笑んでいたり、驚いていたり、あるときは金返せとでもいわんばかりの怒った顔もあったりするだろう。のちのちの頭でまとめてからの批評もいいけれど、でてくる顔こそが、いま体験したばかりの映画をなにより饒舌に語っているように思う。

暗闇のなかで、ひとつの物語とじっくり向き合う。フィクション、ドキュメンタリー、アニメーションなど、映像にはさまざまな表現のかたちがあるが、総じてそれは物語といえるだろう。そして素晴らしい物語には、ひとが生きるさまがある。豊かな情にあふれたそのまわりに、美しさや知性が、そして哲学がちりばめられる。

なにか真摯なものと向き合うには、映画館のあの環境がどこよりも適していると思う。1時間半、2時間と、物語をともに生きた顔は、はいってきたときの顔とはちがった表情をまとってでていくにちがいない。
ぼくはいつもでていくときの顔を意識する。いい歳をしてよく泣くというのもあるが、それだけでなく、映画からたくさん受け取った心の動きや考えたことが、ぜんぶ顔にでていることがわかっているから、なんか恥ずかしい。ふだんの生活のなかで、これほど内側を顔に表すことはない。はたしていま自分はどんな顔をしているのだろうと思いながらゆっくりと席を立つ。

昨日は新宿武蔵野館だった。ドアの向こうに明るいロビーが見えて、劇場スタッフがこちらを見ている。ぼくはとびきりの、すごくいい顔をしている。というのも「アダマン号に乗って」、そこで奇跡のような経験をしてきたばかりだったからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?