見出し画像

暗闇坂

小さい頃、渋谷にでるのには、自由が丘から東横線をつかっていました。
道路の上にある中目黒の駅を過ぎると、電車はうっそうとした杜のなかへ入っていきます。
大きな木々にかこまれた代官山の駅をでてしばらくすると、いよいよ繁華街を予感させる景色と匂いにつつまれた明治通りに沿ってゆっくり走ります。

そんな車窓から見える風景が大好きでした。ああもう渋谷についてしまうと思うころ、その奇妙な建物がいつも目にはいってくるのでした。
全体が大きな看板、巨大なデコレーションがくっついた変な建物。それは大きなピエロの顔のオブジェで、半分に割れた顔の片方は、ネジや歯車といった機械仕掛けのなかみがとびだしていました。
まだ幼かったぼくは、あの建物のなかにはいったい何があるんだろうといつも思っていました。ちょっとこわいけど、きっと楽しいはずだと勝手に想像をめぐらせたりしていました。
でも実際にはその建物の近くに行ったという記憶はありません。 渋谷駅が近くなった時の、ゆるやかな風景の秘かな楽しみだったのでしょう。

その奇妙な建物が何だったかを知ったのはずいぶん後になってから、大学に入る頃でした。
それが寺山修二が主宰する劇団「天井桟敷」のアトリエ、いわゆる「天井桟敷館」だったとわかったときには、すでに取り壊されてなくなっていました。

この二ヶ月ほど六本木ヒルズの映画館で、成瀬巳喜男の映画を週代わりで一本ずつ、全部で十本の作品が見られるというので、毎週のように地下鉄の麻布十番の 駅からゆるやかな坂道をのぼって丘のうえの映画館に通う日がつづきました。これまで六本木ヒルズにも行った事もなく、麻布十番にもすっかりごぶさたでし た。
いい機会なので、ゆっくりとあちこち見回しながら歩いてみます。
商店街を抜けて、お風呂屋さんの角に立って見上げると、左に緩やかに曲がった暗闇坂があります。坂の登りくちに右にはいる細い道があって、ちょっといったところに、真っ黒に塗られた一軒家があったのを思い出します。
やはり黒々と塗られた風見鶏が印象的だったその家こそが、渋谷から移転してきた、もうひとつの「天井桟敷館」でした。とはいえ、ぼくがそこを訪れたのは寺山修二が死んで、劇団が解散を決めたあとのこと。主をなくした家が店じまいの処分セールをしたときでした。
寺山修二の死にものすごくショックを受けていたぼくは、なにがなんだかわからないまま、そこで「レミング」や「百年の孤独」「奴婢訓」でつかった衣装や小道具、それと合田佐和子の絵を買ったのでした。

今回その時以来、暗闇坂の手前を右にまがってみました。
このあたりだったかな、もう少しさきかなと、記憶をたよりに歩いていると、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」が、自然と口をついてでました。

 ♪ ところは東京麻布十番おりしも昼下がり
    暗闇坂は蝉しぐれ
    黒マントにギラギラ光る目で
    真っ昼間から妖怪変化
    ももんが ももんが お~おももんが ♪
 
冬のスズナリの階段のあがり口で、黒いコートを着た寺山修司を見つけたことがあります。ポックリのせいかとても大きく見えました。岸田理生の芝居がはねたばかりで、きっとだれかを待っていたのでしょう。
背景からぐっとせり出す妖怪変化。化かされてばかりだった寺山修司が亡くなって、もうずいぶんと経ちました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?