無くなれない日々 (23)2020年3月後半

新型コロナへの対応を、首相が会見でつらつらと何が話している。具体性の乏しい、自粛を求めるばかりの話だ。しかし、ありがたいお言葉をもらったと喜ぶ「下々の人たち」が意外と多いらしい。

たしかに、当該ツイートをみれば、たくさんの「いいね」があり、首相への感謝と応援のコメントが多い。頑張ろうと頭を下げて、ありがたいお言葉を授けて自粛を求める。それだけで支持されるのであれば、ずいぶんと楽な仕事だ。

仮にかなりの多数派がそういう「下々」気分なのであれば、民主制は無理なので、やめた方がいいと思う。

まんまと多数決で勝った人間たちが好き放題振る舞うだけの政治になる。世の中が悪くなっても、「お上」には逆らわない。逆らうとしても、せいぜい慈悲を求めて一揆を起こすくらいだろう。たまに本気で逆らう集団があれば、非国民だとして排除されるのみ。

しかし、民主制を否定すれば何があるのか。他の制度はもっとひどいという説もある。

とはいえ、他の選択肢を初めから考えないというのは怠惰だ。

たとえば、中田考氏の主張するカリフ制を参考にするのもいいかもしれない。

これからの世界では宗教的にはムスリムが多数派になるというのだ。ならば、世界のスタンダードになっていくものを日本も受け入れればいい。かつて中華帝国の論理を取り入れて古代国家となり、かつて欧米列強の論理を取り入れて近代国家となったように。

多数決の勝者による横暴による支配より、世界の歴史の中で異例なほど長く広く受け入れられてきたイスラームの論理による支配の方がベターかもしれない。受け入れない人々はジズヤでも払ってもらって、どこかの居住区で静かにしていればいい、というのもアリかもしれない。

いや、呉智英氏の唱える封建主義を参考にするもいいかもしれない。

日本史上最も長期にわたり安定政権を築いた幕府の儒教的官僚支配が結局は良いのかもしれない。いまだに政治は「お上」がするものだと思っている人が多いのなら、それが自然だろう。被差別階級や特定の宗教迫害がなくても幕府が成り立つようなシステムに改良すればいい。

多数決の勝者による横暴による支配より、儒教道徳に基づいて仁政を施すことを目指す方がベターかもしれない。受け入れない人々は外様とでもして、最低限の法度だけ守って、どこかの居住区で静かにしていればいい、というのもアリかもしれない。

他にもいろいろ考え方はあるだろう。

安倍晋三氏程度の人物が「他にいないから」という下らない理由で支持を得る。本当にそんな人材不足なら、誰も政治権力を持たない方がいい。いっそアメリカ合衆国の州になった方がいいかもしれない。安倍晋三氏以上の人材がいない烏合の衆とはいえ1億人もいるのだから、大統領選に多大なる影響を与えることができる(のでアメリカは認めてくれなさそうだが)。

何はともあれ、もはやこの国の行末に期待はできないが、この国で生きるしか選択肢がないので、楽しく妄想の日々を過ごしたい。

おやすみなさい。